明大・白尾雄大 一般入試からチーム初のロード総合優勝「飛び抜けた明大生」の4年間
明治大学の白尾雄大(4年、城北)は一般入試で進学し、体育会の自転車部に飛び込んだ。スポーツ推薦ではない部員は数年に一人いる程度だが、昨年9月のインカレで創部初となるロードレースの総合優勝に大きく貢献。今後は明治大学大学院に進むと同時に、プロチームに所属し、レースに参戦する。
マイ自転車を持っていけなかった高校時代
白尾は中学3年までサッカーをしていた。同時に自転車に乗ることが好きだった。「中学生のときもママチャリじゃなくて、21段ギアの付いたクロスバイクを買ってもらいました」。クラブチームでサッカーをしていたとき、周囲は前かごに荷物を入れる選手が多かったが、白尾は一人、肩にバッグを背負って通っていた。友人から漫画の「弱虫ペダル」を教えてもらい、「自分の好きな自転車がスポーツとしてあるんだ」ということを初めて知った。自転車部がある高校しか受験せず、私立の中高一貫校・城北高校に進んだ。
高校時代は自宅から高校が10km以上離れている場合、自転車登校ができないルールだった。該当者の白尾は「自転車部なのに、高校に自分の自転車を持っていけませんでした」。通学をトレーニング代わりにできない分、練習時間は限られた。自宅で自転車を専用マシン(通称・固定ローラー)に固定し、インターバルトレーニングを行ったり、自宅近くの坂を全力で繰り返し登ったりしていた。部室にも共用の自転車はあったが、自分の体のポジションに合わず、本気で練習するには効果が薄いと感じていた。他の部員と練習するのは授業のない日曜日だけというのがほとんどだった。
白尾の専門は、高校生だと40~100kmを走って競うロードレース。東京都大会は個人で2度の優勝を飾り、関東大会は2位、全国は8位が最高成績だった。
練習と大会は、まったく違う世界だった
自転車と並行して、自動車のことも好きだった。将来は自動車メーカーの開発職を志し、明治大の理工学部に進んだ。当時はまだ自転車競技を続けるかどうかも、決めていなかった。合格してガイダンスを受けているうちに、「普通と違う『飛び抜けた明大生』になりたい」という思いが湧いてきた。「高校で全国8位にしかなれなかったけど、あれは練習時間が短かったから。自分の可能性はもっとある」
自転車部に入ると、東京都世田谷区・八幡山にある寮で共同生活を送ることになった。一方で白尾が所属している理工学部は約10km離れた川崎市多摩区の生田キャンパス。1年の頃は、ギア付きのママチャリで登下校をしていた。高校時代も近くの駅まで5kmの道のりをこの自転車で通っていた。「練習量が少ないのに、割と結果が残せていたのは、この通学5kmが効いているな」と感じていたから、続けることにした。
競技には短距離、中距離、長距離の専門がある。白尾が専門とする長距離は、全学年を通して4~5選手。このときはスポーツ推薦で入部してきた選手たちにも「受験で落ちた体力が戻れば追いつく」と思っていた。だが、大会に出てみると「レベルが高い」と感じた。練習のときは明治のスポーツ推薦の選手たちと同じ実力がついたと思っていたのに、大会では練習で競い合っていたはずの選手たちが、次々と結果を残していった。「周りと同じ練習をしていたけど、それだけでは十分ではない」。夏前まで、多く練習する時期は自分の状態も上がっていたが、夏場に練習量が落ちると、能力も落ち、ペースのアップダウンについていけない体になっていた。
最上級生となり、芽生えた自覚
その後は自分の弱点を克服するための練習を続けていたが、ここで立ちはだかったのがコロナ禍だった。2020年春、部活動は解散となり、実家に戻った。白尾にとっては練習を思う存分に積める時間が作れた。コンディションは春から夏にかけて上がり、7月に部活動が再開となったが、8月上旬に再び新型コロナウイルスの影響で部活動が解散に。多くのレースも延期になり、モチベーションの維持が難しくなってしまった。
3年のときも練習時間を増やせないでいた。だが10月に代替わりとなり、自分たちの学年が最上級生となると、練習メニューを決める立場になり、自覚が芽生えた。「それまでは『オフはせっかくなら楽しもう』という考え方だったのですが、10月以降は自分の取り組みが、そのまま自分に返ってくるようになった。そのとき結果を残すには『そんなに休めない』と思ったんです」
スケジュールを組み立てる中で、大切だと感じたのは睡眠。「起きたときに『よし、やるぞ』という気持ちになっていないと、練習中にどこかで気持ちが折れてしまう。まず起きたときのメンタルの作り方から始めました」。寝る時間を一定にしたり、寝る前に睡眠の質がよくなるように工夫したりして、練習の質が上がるとともに、回復力も増加。どんどん練習できるようになり、いい方向へ歯車が回り始めた。
4年になったとき、コロナ前は全員が参加していた朝練習を復活させた。ただ「無理やり全員参加にはさせたくなかった」と白尾。モチベーションがバラバラになってしまうことを恐れた。競技の特性上、毎日全員が集まって練習することのメリットも見いだせなかった。自身は朝から夕方まで研究室にいる必要があったため、朝しか練習時間を確保できなかった。
朝4時半に練習を開始。午前9時ごろに登校する際は約70kmを走行し、正午までに学校にいなければならないときは約120kmを走った。
大学院に進んだ後も、プロチームでこぎ続ける
昨年9月に鹿児島県内で行われた「第77回全日本大学対抗選手権自転車競技大会」(インカレ)。チームの出走選手上位3人の順位に応じてポイントが割り振られる方式で、部の史上初めて、ロードレースで総合優勝を飾った。白尾は個人順位で2位に入り、チームに最も多くのポイントをもたらした。
145.2kmのコースで、約150人が一斉にスタート。最初は14人ほどが集団を抜け出した。そこに明治大の後輩が入ってくれたことで、そのまま先頭集団に逃げ切られても、「チームのメンバーがいるから大丈夫」。白尾自身は、後ろの集団のペースを上げないでいいと思えた。レース終盤に抜け出した2人の中にも、明治大の後輩がいたから、さらに力を蓄えることができた。2位に入った白尾の他、6位と9位にも後輩が入り、初のロードレース総合優勝につながった。「自分だけが強くなるんじゃなくて、後輩たちもどうやって強くなるかを考えてきた。みんながコンディションを上げてきたおかげだし、まぐれではありません。とてもうれしかったです」
今後は明治大大学院で自動車メーカーへの就職をめざし、研究活動に取り組むと同時にプロサイクルロードレースチームの「さいたま那須サンブレイブ」に所属し、競技を続ける。「自転車の方は、インカレで道がちょっと切り開かれました」。飛び抜けた明大生の4年間は、最高の形で締めくくられた。