ラグビー

特集:駆け抜けた4years.2023

慶應義塾大・今野勇久 第123代主将が得た仲間と「苦しい時ほどチャンス」の心得

慶應蹴球部の第123代主将が4年間を振り返った(撮影・慶應スポーツ新聞会)

日本で最初に設立されたラグビー部が、慶應義塾体育会蹴球部だ。2022年度で第123代を数え、現在に至るまで日本屈指の強豪校として大学ラグビー界を引っ張ってきた。歴史のある蹴球部を1年間率いてきた男が、今野勇久(4年、桐蔭学園)だ。彼を象徴するのは、誰にも劣らないと自負する「熱さ」。そんなリーダーのもと、今年度の蹴球部は数多くの死闘を見せ、ベスト4まであと一歩というところまで肉薄した。入学時から目指したという主将の立場で、彼が目指し、手にした4年間の成果を取材した。

慶應大・今野勇久主将 最初に来て部室を掃除、「行動と発言の一致」でめざす日本一

高校で培った「結果が出るまでが努力」

高校時代は、副将として「花園」で準優勝し、慶應義塾大学の門をたたいた。「いろんなところで自信を持った学生が集まる恵まれた環境で、スポーツだけでなく勉学も伸ばしたい、自分の可能性を伸ばすのに最適かなと思った」と選んだ理由を語る。またラグビーの面は、泥臭いと言われる慶應ラグビーが彼のプレースタイルに合致していることも大きな決め手となった。こうして1年生から、文字通り「若き血」をたぎらせていくことになる。

大学では高校までとの大きな違いを感じた。決まり事は多くなく、自分が緩めようと思ったら、どこまでも緩められてしまう。そこで自分に対し、ストイックになる必要性が増した。「簡単に結果は出ないというのは高校時代に知って、だからこそ結果を出すまでが努力だと思ってやってきた」。目の前の結果に向けて、折れずに鍛錬を続けていった。1年生から試合への出場機会を得て、上級生のプレーや生活から自らを見つめ直し、自分なりのラグビーを探した。

自らの鍛錬を怠ることなく4年間の礎となる体力を築いた(撮影・田口恭子)

自らを見つめ直したコロナ禍、そして主将へ

順調に大学ラグビー生活を送っていた今野を襲ったのが、コロナ禍だった。一時期は練習すら満足にできず、慶大蹴球部ではコロナ特別規則が作成された。実家が関東にない者は帰省も制限されることになり、ラグビー以外の面でも厳しい環境に置かれた。今野はコロナ禍を「こんなに頑張った練習も、陽性者が出ただけで水の泡になるんじゃないかという不安がずっと隣り合わせにあった。1人出ちゃうと練習が2週間止まっちゃうので、ラグビーをどうこうというレベルではなく、止まること自体が怖かった」と振り返った。

そんな環境下で、彼自身はこの期間を転機ととらえた。「自分が何のためにラグビーをするのか、それを見つめ直すチャンスになりました」。原点に立ち返って、1から再スタートを切ることになった。

厳しい環境下で3年生までを過ごし、ようやくコロナ禍が落ち着いてきた中で迎えた4年生のシーズン、ずっと憧れだった主将の座についた。部員からの投票で主将に選出された際、チームメートからいくつもの言葉を送られたという。「このチームを引っ張っていけるのは勇久だけ」「勇久なら信頼してついていく」と言われ、今野の腹は決まった。こんなに信頼されているなら、裏切ることはできない。責任を持たなければならないと覚悟を決めた。

主将としてチームを引っ張り、フィールドでも積極的に声を出した(撮影・慶應スポーツ新聞会)

今野が立てたスローガンは「REBORN」。これには二つの意味を込めた。一つ目は「転んだ時からの再起」。常に右肩上がりにはいかないからこそ、つまずいた時にもう一度立ち上がって諦めないということを、スローガンで表現した。
もう一つは、慶應ラグビーとして歴史あるチームをもう1回進化させるという意味だ。今まで引き継いできた伝統のプレースタイルはもちろん、それにもう1個自分たちらしいものを付け加える世代にしようと彼は試みた。最たる例とも言えたのが、蹴球部のSNS戦略だ。もともとマネージャー中心で行っていたものに、選手たちも積極的に参加。学生や若い世代を中心に、新しい観客やファンの誘致に成功した。部員たちが出した新しいアイデアに対して、今野は積極的にゴーサインを出した。

自分たちらしさを表現する場は、フィールドに限られない。おのおのがチームのためにできることを精いっぱい行うことを、彼は主将という立場から支えた。これには栗原徹監督(当時)も「学生たちが主体的に色々なことにチャレンジしている。こちらに忖度(そんたく)することなく、チームを良くするために必要なことはどんどん取り入れていると感じる」と評価していた。

ラグビーに対する情熱について、今野は慶應のみならず、全国の誰にも負けないと自負する。選手たちに向けたアンケートで、今野の印象を聞けば、全員が「熱い漢(おとこ)」と回答するほど。その原動力について「仲間がいるからこそ熱くいられる」と今野は分析している。

彼自身、そこまで気の強い性格ではないと感じているようで、自分のためだけであれば、チームを束ねて行動することなど、とてもできないという。ただ自分を信頼し支えてくれる仲間のためであれば、自分を犠牲にしてでもその人たちを喜ばせたいという強い信念を持っている。

試合後は当時の状況を冷静に振り返る(撮影・慶應スポーツ新聞会)

ラストイヤーに不可欠だった「仲間」の存在

満を持して始まったラストイヤーだったが、決して順風満帆とはいかなかった。チャレンジャーとして挑んだ格上相手には、歯が立たなかった試合も多く、夏に2回の合宿を通じて課題点を一つずつ解決した。目指したのは、チーム全員がこのメンバーで勝利したいと思える環境を作ること。部員が150人いると、モチベーションには差が生まれてしまう。その中でスタッフや学年に関係なく、全員が1日でも長くラグビーを続けたいと純粋に思えるように、部員たちと対話を重ねた。

成果が実り、秋は順調に勝ち星を重ねた。対抗戦では3年間勝てなかった筑波大学に16-12で雪辱を果たした。慶應が誇る低いタックルからボールを奪うプレーができたこと、どんな厳しい状況でも勝ちにこだわる姿勢を全員が貫けたことが、勝利につながったと分析した。

その後は格上の明治大学、早稲田大学、帝京大学に敗れた。すでに出場権をつかんでいた大学選手権に向け、「REBORN」を思い出し、敗北を糧にはい上がる決意を新たにした。

大学選手権は負けたらシーズン終了の一発勝負。目先の1勝に目が行く選手も多いこの時期に、今野が見据えていたものは一つだった。「この仲間と1日でも長くラグビーをすること」。終わりが見えてきたことで、負けたらこの仲間たちと練習できないという寂しさが一気に募った。この時期、厳しい練習を一緒にこなしたのに、ベンチに入れなかった部員たちと何度も話し合ったという。「チームが勝つためなら、俺らは頑張れる」という声を今野は何度も聞いた。そんな彼らを悲しませてはならない、負けてはならない。モチベーションは上がっていった。

春に4点差で敗れた流通経済大学に快勝し、大阪で迎えた京都産業大学との準々決勝。終始点の取り合いとなり、客席も圧倒的に関西の応援が多い中で、自らのプレーを全うした。しかしわずか1点差で敗れ、今野の4年間は幕を下ろすことになった。この1点は「自分たちの甘さであり、ここをもっとやっていれば、というような点がかなりあった」と振り返る。勝つ自信は十分に持っていただけに悔しい結果となったが、主将としてやり切ったという感情が、表情から読み取ることができた。

「熱さ」は仲間への信頼があってこそ(撮影・田口恭子)

18年間続けたラグビーで得たものを手に、新たな舞台へ

今野は3歳で始めたラグビーをこの冬で引退し、春からは商社マンとしてのキャリアをスタートさせる。ラグビーで得たものは二つあるという。一つは「仲間」、もう一つは「苦しい時ほどチャンス」。

自分を信じてくれる仲間や後輩、チームのために自らを犠牲にする先輩など、様々な人と一緒にいられたからこそ、自分が折れてはいけないという思いを強く持てた。どんなに苦しい状況でも、自分についてきてくれる仲間を信じて突き進むことができる幸せを、身をもって体感した。

後者は彼の最も好きな言葉だといい、ラグビーそのものでもあると言う。自分が好調な時に頑張れるのは当たり前で、プレッシャーがかかったり、折れそうになったりした時に、どれだけ頑張れるかが大事ということをラグビーから学んだ。「厳しい状況でも、その苦難を乗り越えて努力できるかというのは、スポーツはもちろん、今後の人生全般を通しても重要になると思っている」。決して右肩上がり続きではなかったラグビー人生だからこそ、得られる貴重な教訓だ。

「いつかは慶應の監督として日本一を取りたい」と今野。日本一の夢は後輩に託された(撮影・慶應スポーツ新聞会)

仲間のために頑張るという「熱さ」を、経験したことのないフィールドで試すため、彼はラグビー人生にピリオドを打ち、果敢に新天地へとタックルしていく。

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