陸上・駅伝

特集:New Leaders2023

中央大学・湯浅仁 「力がない」→「復活させたい」3年間で大きな成長を遂げた新主将

名門・中央大の新主将に就任した湯浅(撮影・井上翔太)

中央大学は箱根駅伝で歴代最多の出場回数(96回)と優勝回数(14回)を誇る。前々回の箱根では10年ぶりにシード権を獲得し、今年1月の第99回大会は22年ぶりのトップ3となる準優勝に輝いた。2023年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根の学生3大駅伝三冠を目指し、「再び動かす真紅の歴史」をチームスローガンに掲げる。ロードで抜群の強さを発揮する湯浅仁(3年、宮崎日大)が新たな駅伝主将に就任し、エースの吉居大和(3年、仙台育英)や副主将の中野翔太(3年、世羅)らとともに大目標に挑む。

今後を見据えて2年からマラソンに挑戦

1月の箱根駅伝で湯浅は2年連続の9区を任され、1時間8分54秒の区間6位で躍進の一翼を担った。しかし前年が1時間8分31秒の区間3位で、今回は「1時間8分20秒ぐらいで区間賞争いをできたら」と考えていただけに「(単独走で)難しい展開だったけれど、もう少し自分の力を出したかった」という悔しさが残った。

それでも3位以内の目標を上回る結果で終えたチームについては、「やってきたことというか、努力の方向性は間違っていない」と手応えをつかんだ。

湯浅はその後、1月下旬の全国男子駅伝で宮崎県チームのアンカーを務め、2月26日には大阪マラソンに出場。昨年3月の東京マラソンに続き、2度目のフルマラソンを2時間15分12秒の自己ベストで走破した。湯浅はマラソンへの挑戦をこう捉えている。

「中大は藤原正和駅伝監督や山本亮コーチなど、スタッフのマラソン経験が豊富で、自分もいずれはマラソンで勝負したいと思っています。大学生では4年生でマラソンに初挑戦する人が多いですが、早い段階で経験しておくのも今後にプラスになると思ったので、スタッフにお願いして2年生の時から走らせていただいています」

もちろん、年間を通してマラソンに特化したトレーニングを積んでいるわけではない。「普段はみんなと同じ流れで箱根駅伝を目指した練習をして、箱根後にマラソン練習をしています」。ただ「その取り組みや練習過程が自分に良い影響をもたらしてくれる」と確信している。

「いずれはマラソンで勝負したい」と2年の頃からフルマラソンに挑戦している(撮影・小野哲史)

実現させた「チームを都大路へ」

小中学生の頃は野球に熱中した。生粋のジャイアンツファンで、宮崎市選抜に入ったこともある。木花中3年の時、駆り出されて出場した駅伝で初優勝。湯浅はアンカーで区間賞に輝き、宮崎日大高の藤井周一監督から勧誘を受けた。

「正直、野球を続けたかったですが、自分は体も大きくないですし、上に行くには難しい。これからのことを考えたら走った方が可能性があると思って、高校から陸上を始めることに決めました」

宮崎日大では全国高校駅伝(都大路)を目指し、2年生の時には前年まで20年連続で都大路に出場していた強豪・小林高を破って県高校駅伝で初優勝を遂げた。「勧誘の際、藤井先生から『チームを都大路に連れていってほしい』と言われ、先生に良い思いをさせたかったので、本当にうれしかったですし、県大会の初優勝は今でも印象に残っています」

3年ではキャプテンを務めた。冬は2度目の都大路で7位入賞を果たしたチームは「練習になればスイッチが入って頑張ってくれる」メンバーばかりだった。一方、部員全員が寮で暮らす生活は「みんなが言うことを聞かなくて、365日ずっと大変でした」。湯浅は苦笑いを浮かべながら当時を振り返る。

「食事の制限や寝る時間、携帯電話の回収時間などは厳しいルールがあって、それをみんなに守ってもらうのは難しかったです」

今となってはそれらも懐かしい思い出だ。

宮崎日大高時代も主将を務めた(撮影・小野哲史)

中央大で着実に成長し、2年目に箱根駅伝初出場

2020年に中央大に進んだのは、藤井監督が背中を押してくれたからだった。藤井監督は西脇工高の一つ先輩にあたる藤原監督を尊敬している。

大学陸上界の中でも屈指の伝統校である中央大だが、湯浅が入学するまでの数年間は苦しい時期が続いていた。湯浅は当時、世代のトップレベルとは言えず「しっかり練習を積んで、まずはチームの一員として力になれるような選手を目指して」大学生活のスタートを切った。入学早々にコロナ禍となり、試合の中止も相次いだが、「大学で頑張るぞという気持ちでいたので、練習のモチベーションが落ちることはなかった」と語る。

こつこつと練習を継続する努力が実を結び、10月の箱根駅伝予選会には1年生ながら出走メンバーに選ばれた。初のハーフマラソン(1時間4分06秒)はチーム最下位に終わったものの、湯浅は「良い経験ができた」と前向きに捉えた。しかし、本戦ではエントリーメンバー16人に入れず、その悔しさを2年目の活力に変えた。

1月から花田俊輔コーチのもと、「土台作り、脚作りをより意識するようになり、練習量も明らかに増えた」という。秋以降に結果も出始め、箱根予選会はチーム6番手。11月には10000mで初の28分台(28分47秒81)をマークした。

入学早々のコロナ禍にもモチベーションが落ちることはなかった(撮影・井上翔太)

湯浅はついに箱根駅伝出場のチャンスをつかみ取った。復路のエース区間と言われる9区を任され、設定タイムを約1分半も上回る1時間8分31秒で区間3位の好走。チームとして10年ぶりのシード権獲得に大きく貢献した。

「すぐ後ろから東京国際大と創価大が来て、そこについていきながら15kmから出るという良い展開でした。前半は余裕を持って、後半も自分の持ち味を出せたので、イメージ通りの走りができました。あれほど大きな舞台で走ったことがなかったので、両親は泣いて喜んでくれました」

上級生となった3年目は「自分が主力という覚悟を持って臨んだ」。5月の関東インカレ1部10000mで、入賞にあと一歩に迫る9位と奮闘。10月には5000mで初の13分台(13分58秒32)をマークし、全日本大学駅伝初出場にも7区で出走した。

理想は主将や監督が指摘しないチーム

2023年度の駅伝主将就任は、昨年12月に決まっていた。1年時から学年リーダーを務めており、自身にとってもチームメートにとっても、ごく自然な流れだった。「他にキャプテンをやる人がいなければ、自分がやりたいと思っていました」

湯浅はこれまで3年間、池田勘汰(現・中国電力)、井上大輝(現・大阪ガス)、若林陽大(4年、倉敷)といった主将を務めた先輩たちの姿を見てきた。

「池田さんは責任感が強く、『俺についてこい』というタイプで、井上さんは周りとコミュニケーションを取って、学年で自分の意思を共有して学年で引っ張っていくチーム作りをしていました。若林さんは口数は多くありませんが、だからこそ発言に説得力がある方でした。そういう先輩たちのおかげで、いろいろと学ぶことができました」

1年時から学年リーダーを務めた湯浅(左)が主将になるのは自然な流れだった(撮影・北川直樹)

その上で湯浅はどんなキャプテン像を描いているのか。

「自分や監督があれこれと指摘しないのが理想かなと。一人ひとりが自分を律して生活や練習に取り組める雰囲気を作れるのが強いチームだと思います。高校でのキャプテンは大変でしたが、大学は各高校のエース級の選手が集まっているので、それほど心配していません」。現時点では「中大は藤原監督のチームでも、誰か特定の人のチームでもないので、選手間の力の差をなくして、約40人のみんなで強くなっていきたいです。苦しんでいる選手やモチベーションを保てていない選手がいれば声をかけて、選手層を厚くできれば」と考えている。

1人の選手としては、「学生全体で見ればトラックのタイムがまだまだなので、5000mで13分45秒、10000mで28分20秒を切ることと、箱根駅伝は区間賞を取って優勝に貢献したい」と意気込む。入学当初は「自分は力がないので、活躍してチームを復活させるというほどの思いはなかった」という湯浅。しかし一歩ずつレベルアップした3年間を経て、今では「強い中大を復活させたい」と力強く言い切れるまでに成長を遂げた。

名門・中央大の新主将の新たなチャレンジは、すでに始まっている。

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