アメフト

特集:駆け抜けた4years.2023

山形大学マネージャー田中佑沙 叫び、笑い、泣いた最終戦「もっと試合がしたかった」

仲間のナイスプレーに全身で喜ぶ(すべて撮影・北川直樹)

東北のある大学に元気のいい女子マネージャーがいる。そんな話をずっと聞いていた。昨年11月、ようやく彼女の大学最終戦に、取材のため仙台へ向かった。顔も知らない。変に意識させてしまってもいけないと、事前に連絡も取っていない。「どの人か分かるかな?」と思っていたら、試合開始まもなく分かった。「ごー、よん、さんー、にー、いちー」。山形大学トムキャッツのサイドラインに、オフェンスのプレーまでの残り時間を大声でカウントダウンする人がいた。叫んで笑って、また叫んで泣いて。田中佑沙(4年、長岡)の4years.が終わった。

リーグ6位で終えた最後のシーズン

2022年の東北学生リーグは8チームをA、Bの2ブロックに分けて争った。Aブロックの山形大は9月4日の東北大学戦を棄権、19日の秋田大学戦は6-17で敗戦。10月2日の仙台大学戦には19-0で勝ち、Aブロックの3位に。11月3日の順位決定戦でBブロック3位の東北工業大学と戦った。

山形大はいきなりオフェンス最初のプレーでファンブルロスト。簡単に先制タッチダウン(TD)を許した。次のオフェンスでもファンブルロスト。フィールドゴールを決められて0-10となった。そのまま前半終了。

第3クオーター(Q)に入ると様子が変わった。山形大のディフェンス陣がナイスタックルを連発。オフェンスも進み始めた。「さすがだねー」「強気にいこう」。田中の声にも活気が出てきた。このQ終盤にQB槇和馬(4年、仙台向山)からWR岩渕匠翔(2年、一関第一)へのTDパスが決まって6-10とした。

本気でやってきたからこそ、心から笑い、泣いた

第4QにインターセプトリターンTDを食らい、6-17と点差を広げられたが、あきらめない。2年生のQB清水悠介(野々市明倫)が二つのパスを決め、相手の反則も誘って前進。最後はQB槇がWR佐藤利将(2年、仙台南)へTDパスを通した。2点コンバージョンも槇の左へのキープで成功。14-17だ。田中は感極まって涙を流した。続くキックオフはオンサイドキックを試みたが失敗。山形大はリーグ6位でシーズンを終えた。

1人で作った37人分のキーホルダー

全国の国公立大学には勧誘の面で新型コロナウイルスの影響をまともに受けた部が多く、山形大トムキャッツもその一つだ。3年生の選手が1人もいない。そこで4年生はこのシーズン最終戦を1、2年生中心で戦うことに決めた。だから前半はちぐはぐなプレーも多く、追う展開になった。しかし、こういう決断はなかなかできない。1、2年生は試合でしか得られないものを手にしたうえで、後半から出てきた4年生の姿を頼もしく感じたことだろう。

試合後、山形大の面々はフィールドの脇に集まり、4年生が1人ずつ話していった。田中も泣きながら最後の思いを伝えた。

取材に来たことを伝えると、彼女は驚いて「マネージャーのことをたくさん撮ってくださるカメラマンさんがいるなあ、と思ってたんです」と笑った。そして前夜、部員37人分を1人で作ったというキーホルダーを見せてくれた。「作らなかったら後悔すると思って」。彼女はこういう人なのだ。

お茶屋さんの一人っ子として育った

高校時代は吹奏楽部、やりきった3年間

新潟県小千谷市にあるお茶屋さんの一人っ子として生まれ育った。県立長岡高校時代は吹奏楽部でクラリネットに青春をかけた。コンクールのたびに県で優勝を争う部で、練習はほとんど休みなし。「次の大会に進むのが当たり前で、みんなで練習に食らいつくような毎日でした」。その一方、2年生のときには先輩から頼まれて応援団長もやった。女子の応援団長は史上初だった。

1年浪人して、後期の入試で山形大学地域教育文化学部に入った。「面接だけだったんで、鬼しゃべりました」。高校時代に吹奏楽をやりきった思いがあったから、同じような取り組み方は高校で終わりにしたかった。「サッカー部のマネージャーしようかな」と思いながら新歓フェスに顔を出すと、アメフト部に捕まった。話をしていくうち、先輩から「お前みたいなマネージャーがいたら楽しいわ」と言われた。グッときた。トムキャッツの一員になった。

鋭いランが光った山形大のQB槇和馬

山形大は県西部の鶴岡(農学部)、南部の米沢(工学部)、東部の飯田(医学部)、小白川(人文社会科学部、地域教育文化学部、理学部)の4キャンパスに分かれている。小白川キャンパスにあるグラウンドに全員が集まるのは、基本的に土日だけだ。そんな中でもアメフトIQを上げていこうと、平日にオンラインミーティングを重ねてきた。

田中はコーヒーショップと居酒屋のアルバイトを兼務してきた。まったく知らなかったアメフトを理解しようと、試合のスコアをつける係をやった。強豪チームには分析を担当する「アナライジングスタッフ(AS)」が必ず存在することを知り、2年生のときに「ASをやらせてください」と申し出ると、先輩やコーチから「ウチのチームの現状でASを置くのは難しいなあ」と言われ、悲しかった。珍しく黙ってしまった自分がいた。

ラストミーティングで涙をこらえきれなかった

先輩が1試合もせず卒業、そのピンチ救った

3年生のシーズンは苦しかった。新型コロナウイルスの感染拡大で、大学から対外活動の許可が出なかった。東北学生リーグは開幕を1カ月遅らせてトーナメント方式に変更したが、1回戦の東北大戦は不戦敗。交流戦として組まれた仙台大戦も棄権せざるを得なかった。ようやく大学の許可が出て別の大学と交流戦ができるようになったが、相手に負傷者が多くて中止になった。

自分を勧誘してくれた4年生が1試合もできずに引退してしまう。そのやるせなさをツイッターでつぶやいた。すると予想外の反応があった。同じリーグの大学だけでなく、関東大学リーグのチームからも「交流戦をしましょう」との申し出があった。トムキャッツの誰もが驚いた。そして結局、東北の社会人チームとの交流戦ができた。「私はつぶやいただけなんですけど、それでも存在意義を感じられた出来事でした」。その春の新入生勧誘でも、田中たちはSNSを駆使して、12人の選手とスタッフを迎えることに成功していた。

4年間を振り返り、田中は「不完全燃焼というか、ちょっと物足りなかった」と正直に振り返る。「もっと試合がしたかったというのがあるし、2年生のときに覚悟を決めてASをやってたら、かなり違ったと思います。でも、これでよかった。楽しかったです」。大手の人材情報サービス会社に就職し、春から埼玉県内で働くことになった。「社会人になって少し落ち着いたら、チームに所属できたらなと思ってます」

今度こそ、完全燃焼してほしい。田中佑沙のフットボール人生は始まったばかりだ。

秋には関東のフィールドで、彼女の元気な声が響くことだろう

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