神戸大学・小川滉太 仲間と握手し「最後やな、いくぞ」ドラマを追ったラストドライブ
関西学生アメリカンフットボールリーグ1部の第6節、神戸大学と京都大学が対戦した。京大が一時14点差に広げたが、神戸大が終盤に追い上げて終了間際まで勝敗の行方がもつれた。神戸大は勝負所での三つのターンオーバーが響き、24-31で敗戦。神戸大の最終節は同志社大学の不戦勝(シーズン棄権)だったため、この試合で一足早く2022年シーズンを終えた。そして、1人のQBが学生フットボールにピリオドを打った。
TDパスを通したが、反則で取り消しに
神戸大のQB小川滉太(4年、豊中)は攻めあぐねていた。京大戦、7-14で迎えた攻撃でインターセプトを喫した。チームは第2クオーター(Q)にフィールドゴール(FG)を返して追い上げ、後半のキックオフリターンでTD。17-14と一時逆転に成功した。
その後は2TDとFGを許し、17-31と14点差に広げられた。だが第4Q8分、小川が橋本侑磨(4年、星陵)に35ydのTDパスを決めて24-31。TD1本差に詰めた。小川は「これはマジで筋書き通りや」と思った。試合時間残り2分19秒。7点を追う展開は「試合前、そういうシチュエーションが来たら同点か、逆転を狙うのかっていう話をしていて。4回生では絶対に勝ちに行きたいという話をしていたんです」。神戸大はここまで3勝3敗。京大に引き分けてもリーグ4位になることが決まっていた。
「ああ、ドラマやなあ。これでTDをとって、2ポイントを決めて自分たちが勝つんかって」。ワクワクした。自陣深くから得意のミドルパスでテンポよく進んだ。「ブワーって。自分の中で上がっていくものを感じました」。ピリつく攻防で敵陣深くまで攻め込んだ。ここで左サイドの橋本へのTDパスを狙った。「オーディブルで直前にランから橋本のパスに変えた。はっしーならどんなパスでも捕ってくれるやろって」。思惑通りにTDパスを通したが、反則を取られて取り消しになった。
その後も京大のアグレッシブな守備に阻まれ、決めきれない。小川はラストプレーの前、オフェンスのハドルの中で全員と握手をしながら「最後やな、いくぞ」と話した。WRの竹本修人(4年、時習館)に「いつも通りやれよ」と言われ、ヘルメットをたたかれた。「冷静なつもりでしたが、あのときは興奮していたのかもしれないです」。小川が振り返る。
残り時間26秒、京大DLのプレッシャーを右に流れてかわした。パスターゲットを探した。右手のボールが甘くなり、こぼれて転がった。ラストプレーで小川は、落としたボールを目で追うことしかできなかった。あと一歩まで行ったが、思い描いたドラマにはならなかった。
仲間と競争しながら、エースに成長
QBは勝敗を大きく左右するポジションだ。神戸大はエースQB馬庭功平が、昨春に卒業。小川はオフェンスリーダーに決まっていたものの、エース不在の状況で新チームがスタートした。小川、多田龍平(3年、市立西宮)、榮大志(2年、清教学園)の3人でエースを争い、5月29日の京大戦からは小川がエースとして独り立ちした。
「競争しながらエースになれてよかったです。試合に出ずベンチで声をかけるよりは、プレーで見せられる方が仲間に示しやすいので」。3年のときはQBスニークで2、3プレーしか出たことがなかったが、最上級生になってオフェンスを束ねるところまでたどり着いた。
試合時間は残り4秒。フィールド上では試合終了のカウントダウンが行われ、神戸大のサイドラインで小川は泣いていた。「まだ終わってなかったけど、勝手に涙が出てきました。今シーズンの3敗は全部自分のせいで負けているので。みんなに対して申し訳ない」
2本のインターセプトとファンブル。普段から「どんな状況でも落ち着いてやろう」と話をしていたが、試合中にターンオーバーでサイドラインに下がったとき、自分としては切り替えているつもりでも、仲間からは「むっちゃへこんでるやん」と言われていた。
やりきったという気持ちの一方で、やはり「もっとうまくやれたのでは」という気持ちがあふれた。試合後も涙は止まらなかった。
中3で甲子園ボウルを観戦し「カッコいいな」
中学までは野球少年。大阪府高槻市立第八中の野球部と、クラブチームの高槻レッドバッファローズを掛け持ちし、ピッチャーとショートだった。クラブでは補欠だったが、受験を控えた中3の12月頃まで野球に熱中した。
中3だった2015年はワールドカップの影響でラグビーが盛り上がり、激しく体をぶつけあう姿が衝撃的だった。秋にはアメフトを見るのが好きだった父・太郎さんの影響で、テレビで甲子園ボウルを見た。「アメフト、めっちゃカッコいいな」。これだと感じた。住んでいた高槻市からは遠かったが、高校の出願ギリギリにアメフト部のある豊中高を第1志望にして、合格した。
晴れて豊中高ロードランナーズに入部し、ポジションはLBとWRになった。高2の冬にあった池田高との練習試合で、QBをしていた同級生が腕を骨折。それから小川がQBをすることになった。野球で鍛えた肩には自信があって、長いパスを投げることと自分で走ることが得意だった。
豊中高は部員が少なく強くはなかったが、選手が何事にも主体的に取り組み、とにかく楽しかった。大学で続けることを考えたのは、一つ上の先輩の代が引退したときだった。京大のリクルーターが勧誘に来て、パンフレットをもらった。大学では強いチームで挑戦したいと思うようになった。「最初はすこし京大を目指したんですが、学力的に厳しくって」。同じ1部に所属する国立の神戸大を目指し、レイバンズ入りの夢をかなえた。
矢野川HC「やらなアカン自覚がレベルを押し上げた」
4年になるまではほとんど出番がなく、2、3年時は新型コロナウイルスの影響で部の活動自体も大きく制限された。小川がオフェンスリーダーになってから、前年までディフェンスを見ていた矢野川源ヘッドコーチ(HC)がオフェンスの担当になった。
「入部したときはすごく怖くて厳しい人っていうイメージしかなかったんです。1回生のときの合宿でゾーンとマンツーのリードをミスったQBにブチ切れてるところを見てしまって(苦笑)」。小川から見た矢野川HCの第一印象だ。
今シーズンは一緒にオフェンスをつくってきた。「面白いオフェンスのアイデアを出してくださって、スペシャルプレー含めてほかのチームにない面白いオフェンスができたのかなと思っています。アメフトに対する知識も深く、めちゃくちゃ尊敬しています」
矢野川HCは小川についてこう話す。「プレーの理解がQBの中で一番よかった。結構ふてぶてしいところがあって、実際には結構焦ってるんですが、あまりそう見えないのがQBとしては得でしたね。今年は自分でやらなアカンという自覚が、彼のレベルを一段押し上げたのだと思います」。厳しい局面もあったが、あえて勝負をすると決めた結果によるものだったといい、小川の成長を評価した。
QBとして幸せだった4年間
「途中でコロナとかもあったし、オフェンスリーダーはやることが多く大変でした。4回生になってから辞めてしまった仲間もいた。色々あったけど、高校では弱小のQBやったのにこうして1部で戦うことができた。目標に掲げていた日本一には及びませんでしたが、QBとしてやれたってことはほんまに幸せだったなと思います。今年はリーグ戦が完全な形でできたこともうれしかったです」。小川は神戸大での4年間をこう振り返る。
「これ『4years.』ですか?ずっと憧れでした」。試合後に小川に声をかけると、こちらが言う前にこう話してくれた。単位は取り切ったが就職活動のために大学に残ることが決まっている。アメフトを通じ得た経験と成長を、新たなステージの糧にする。