筑波大学・田中万衣羽主将 コートネーム「カノ」に込められた思い「可能性を広げる」
筑波大学は今シーズンの主将にガードの田中万衣羽(まいは、4年、四日市商業)を選んだ。コートネームは「カノ」。小学校のミニバス時代から中学、高校と各カテゴリーで主将を務め、当時から全国の舞台を踏んできた経験豊富な主将を中心に、2015年以来となる大学日本一をめざす。
初参加の「TSUKUBA LIVE!」で声援に感謝
3月22日、筑波大の学生たちが中心となって企画・運営を担うホームゲーム「TSUKUBA LIVE!」が開かれた。3回目の開催となったが、女子バスケットボール部が参加するのは初めてだった。オフェンス中もディフェンス中も、声援とハリセンを打ち鳴らす音がアリーナ内に響く。筑波大は昨年のインカレで準優勝だった白鷗大学と対戦し、52-78で敗れたものの、田中はホームゲームへ参加できたことに感謝していた。
「コロナ禍になってから、声を出しての応援がなかったんです。シュートが入ったときも、自分のことのように喜んでいただいたので、応援を実感できてすごくうれしかったです。悪くなった時間帯のときも、リズムを取りやすかったです」
今年度に最上級生となる選手たちは入学早々、コロナ禍に見舞われた世代だ。チームには3月の中旬ごろに合流したが、2020年4月に国から緊急事態宣言が発令されると、完全に自宅待機となった。移動の自粛が求められたことから、三重県に帰ることもできず「まだ(近くに)友だちもいない状態だったので、すごくホームシックになりました」。公園や道ばたを40分間、1人で走ったり、トレーナーからもらったトレーニングメニューを行ったりして過ごす生活が7月ぐらいまで続いた。バスケットは外でハンドリングの練習をするぐらいで、対人練習はまったくできなかった。
孤独でつらい時期を知っているからこそ、会場で浴びた声援は「当たり前のことじゃないと感じましたし、すごくありがたい機会でした」。
フリースロー大会で楽しさを知った
バスケットボールを始めたのは、小学2年のときだった。3学年上の兄がサッカーをしていた影響で、当時は自身もサッカーをしたいと思っていたが、日焼けを心配した親から止められた。小学校の運動場で兄がプレーしている様子を観戦していたところ、隣の体育館でミニバスのチームが開催していたフリースロー大会に「おいでよ」と誘われた。
「バスケは初めてで、見たこともなかったです。サッカー以外のスポーツに楽しさを感じたことがなかったんですけど、『何だこれ、めっちゃ楽しいやん、こんなんあるんや』ってなって。入るとみんなが喜んでくれるし」
そこからはバスケ一筋。田中のこれまでのキャリアを振り返ると、一番強いチームで活躍するというよりは、「自分が入ったことでチームを強くして、一番強いところを倒したい」という道を歩んできた。鈴鹿市立千代崎中学校の頃は市内では無敵だったが、県大会に進むと、四日市市立朝明中にだけは勝てなかった。高校では桜花学園高校(愛知)や岐阜女子高校といった全国的な強豪がひしめく東海地区で、鍛えられてきた。「負けん気が強いんです」
学年関係なしに意見を言い合えるチーム
高校時代、チームは全国高校総体(インターハイ)とウインターカップに3年間出場し続けた。2年時のインターハイは下級生で唯一のスターターとしてベスト4進出に貢献。3年では主将を務めた。ただ田中本人は、高校限りで競技に一区切りをつけることを考えていたと振り返る。「大学に行くのも迷ったほどで、就職活動も軽くやってました」
3年になる直前、3月にあった東海大会を筑波大の前のヘッドコーチだった柏倉秀徳氏(現・ENEOSサンフラワーズ・アソシエイトヘッドコーチ)が見ており、声をかけてくれた。当初は「筑波大はすごい選手ばかりで『自分なんか……』っていうところが昔はあった」と振り返るが、3年のインターハイのときに少しだけ自信をつけた。周囲の後押しもあり、筑波大で競技を続けようと心に決めた。
女子バスケットボール部の魅力は「学年関係なしに意見を言い合えることで、1年生も率先してプレーできる環境がそろっている」ことだと言う。チームに合流した当初は、日本一をつかむために先輩たちが意識高く練習している姿に魅了された。コロナ禍で自宅待機の期間は、6人ぐらいでLINEをつなぐグループワークを行い、先輩たちが気遣ってくれた。
「13番」はラッキーナンバー
今季の主将となった経緯は「なりゆきです」。昨年のインカレを4位で終えてオフの期間が終わった後、4年生で集まり、あっさりと決まった。「学年の代表になっていたのもありますし、ポジション的にもガードで、試合中に指示を出すことも多いので、やりやすいというのもあります」。チームのメンバーは田中自身がリーダーシップを発揮する必要がないぐらい、同じ志を持ってバスケと向き合ってくれている。「自分がキャプテンというより、みんながキャプテンみたいなチームです」
コートネームの「カノ」には「チームの可能性を広げる」という意味が込められている。1学年上の先輩がつけてくれた。また背番号「13」には、特別な思い入れがある。高校2年のインターハイで3位になったときに13番を背負っており、チーム内では「次のエースになる人がつける番号」とされている。誕生日は「平成13年8月13日生まれ」で、自身のラッキーナンバーとなっている。
高校限りで競技をやめないでよかった、と今は心の底から思える。それほど筑波でのバスケットボール生活は充実している。