陸上・駅伝

特集:New Leaders2023

中央学院大・飯塚達也 誕生日に決まった主将就任、まだ未経験の3大駅伝出走のために

日本学生ハーフマラソン選手権で力走する中央学院大の飯塚(撮影・井上翔太)

昨年の箱根駅伝予選会は12位で、本戦出場を逃した中央学院大学は全日本大学駅伝を終えた後に新チームの体制が決まっていった。今季主将を務めるのは飯塚達也(4年、東播磨)。川崎勇二監督やコーチ陣から「お前でいこうと思う」と打診され、学年ごとに話し合って決めた。引き継ぎ式を経て、正式に決まったのは11月21日。自身の誕生日だった。

昨年の全日本選考会で味わった緊張感

学生3大駅伝は、まだ出走経験がない。昨年11月の全日本大学駅伝は補員の一番手だったが結局走ることはかなわず、2区を走ったエースの吉田礼志(3年、拓大紅陵)にタイムを伝えたり、5区や6区の応援に回ったりしていた。そこから約4カ月半前。チームがこの本戦の舞台に立つために開催された関東地区選考会では3組目を走り、緊張感のあるレースを体験した。「関東インカレあたりから『走らないといけないなのか』みたいな感じで、ばたばたと準備をしました」

10000mのタイムレースを4組行い、各組には各校2選手が登場。計8人の合計タイムで本戦出場が決まる関東地区選考会は、いわば「誰も失敗できないレース」だ。「今までやって来た中で一番緊張した試合でした。失敗しないことでしか、本戦に通る道筋がなかったんで、その危機感だけは走った8人全員が持っていたと思います」と飯塚。箱根は2021年の第97回大会に出場できず、18年連続でつなげてきた歴史が途切れてしまったが、それまで9年連続で出場している全日本だけはつなげたいという気持ちが、チーム全体を支えた。

昨年の全日本大学駅伝関東地区選考会で、緊張感のあるレースを体感(撮影・井上翔太)

少しずつ太くなってきた中央学院大とのつながり

競技を始めたのは、小学校4年のとき。兵庫県明石市内の大会に出るための練習会に参加していた。最初は短距離でリレーメンバーにも選ばれていたが、冬になると駅伝メンバーにも選ばれるようになった。飯塚本人は短距離の方が好きだった。しかし当時は体が小さく短距離は「どう考えても勝てない」と思うようになり、中学から長距離一本に絞った。

明石市立大久保中のOBには、西脇工業から駒澤大学に進んだ加藤淳(現・住友電工)や広島経済大学で4年間を過ごした山崎優希といった全国レベルの選手たちがいた。「大久保中なら、ちゃんと長距離をやりたい」と競技に向き合うようになった。

当時は今のように大学でも競技を続けることを「1mmも」考えず、兵庫県内の強豪校である西脇工業や須磨学園高校から声がかかるようなレベルでもなかった。たまたま中学時代、先輩につれられて兵庫県のインターハイを見に行くと、後に高校でも大学でも先輩となる森田智哉(現・大塚製薬)が優勝した。「ここに行きたい」と思うようになり、真剣に受験勉強に取り組み、東播磨高校へ進学した。

高校に入ると著しくタイムも上がり、結果も伴ってきた。1年の兵庫県高校ユース陸上5000mで3位に入り、このレースを中央学院大の千葉敬弘駅伝コーチが見てくれていた。高校の先輩で箱根駅伝に3度出走した有馬圭哉さんも中央学院大に進んでおり、少しずつつながりができてきた。翌年の県ユースでは5000mで優勝。改めて中央学院大から声がかかり、川崎勇二監督と話して、意思が固まった。

21歳の誕生日に主将就任が正式に決まった(撮影・井上翔太)

「あっけなく終わってしまった」箱根予選会

中央学院大では、チームへの合流から3日後に右仙骨の疲労骨折が判明した。「昔からそんなに大きなけがはなかったんで、ここに来てすぐに折れてしまい、びっくりしました」。いきなり出遅れてしまった。約2カ月間、満足に走れず、復帰した頃には6月になっていた。コロナ禍の当時は多くの大会や記録会が中止、延期を余儀なくされ、いつ再開されるのか見通せない時期でもあったが「自分の実力を考えると、普通に力不足でした。目標を設定するというより、日々の練習をこなすだけで必死でした」。

主将に選ばれた理由は、一つが積極的にコーチ陣ともコミュニケーションを取れるから。もう一つは入部直後の疲労骨折以来、ほとんど故障がないからだった。「昔から同級生としゃべるより、部活の先輩と仲良くなったり、先生としゃべったりする方が好きでした。中学時代は長距離をやっている同級生がいなかったんです」。選手とコーチ陣との橋渡し役を担い、故障なく日頃の練習から先頭に立って走ることで、仲間への発言にも説得力が増すことだろう。

チームの目標は、全日本大学駅伝と箱根駅伝でシード権を獲得することだ。各予選会での目標順位も設定しているが、「まずは通らないと話にならない」という認識が全員にある。

中央学院大は昨年の箱根駅伝予選会で12位。飯塚も走り個人168位、チーム内では7番目の成績だった。「暑さの準備ができていなくて、レース後に倒れてしまって救急車で運ばれてしまいました。悔しいというより、あっけなく終わってしまったというのが自分の中では大きいです」。もう二度と同じ悔しさを味わわないように、「ちゃんと走れるイメージをつける」と臨んだのが、ほぼ同じコースを走る3月12日の日本学生ハーフマラソン選手権大会だった。

嫌なイメージをぬぐい去るために日本学生ハーフを走った(撮影・藤井みさ)

選んだ道が正しかったと証明するために

1時間3分7秒で11位に入り、「結果的に負のイメージはなくなった」と手応えをつかんだ。ただ2位となったエースの吉田がレース後、「優勝して同じチームの人たちに刺激を与えたかった」と話した言葉を伝え聞くと「負担をかけてしまっている」と気付いた。「学生ハーフは、箱根予選会で倒れてしまったイメージを払拭(ふっしょく)したい一心で走っていたんですが、その分チームに目を向けられなかったとも思いました」

中央学院大・吉田礼志が学生ハーフ2位 篠原倖太朗とのライバル対決、ユニバでも続く

いま必要なのは、チームの底上げだ。その役割を担うのは、吉田ではなく自分だと感じている。「礼志は個人の能力を上げてもらうことに徹してもらいたいし、そういう選手であるべきだと思います。僕が中間層を上げるために練習で引っ張ったり、声を出していったりしないといけない」と実感する学生ハーフでもあった。

まだ未経験の箱根駅伝出走については「そのためにこっちに来た」と走りたい思いが人一倍強い。競技がうまくいかないときは、関東の強豪大学で挑戦すること自体「失敗したかもしれない」、高校の同級生が大学の受験勉強をしている姿を見ると「そっちの方がよかったかもしれない」と弱気になってしまうときもあった。自分で選んだ道が正しかったと証明するためにも、箱根駅伝に走りたいと飯塚は言う。

これからのトラックシーズン。飯塚は6月の全日本大学駅伝関東地区選考会と、10月の箱根駅伝予選会、両方の本戦で自分が走れることだけを考えて過ごす。

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