陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

中央学院大OB・辻茂樹さん、上り坂、向かい風、暑さに強い職人ランナー

中央学院大学OBの辻さんは現在、大塚製薬工場で社業に専念されています(提供写真以外、すべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は辻茂樹さん(35)のお話です。高校時代は5000m15分24秒でしたが、中央学院大学では箱根駅伝3年連続出場。関東インカレ2部ハーフマラソンでは優勝も飾りました。実業団では北海道マラソン優勝やニューイヤー駅伝8年連続出場など、暑さ・上り坂・向かい風などタフな条件になればなるほど強みを生かす職人のようなランナーとして現役時代を過ごされ、2019年1月に現役を引退されました。

高校時代は5000mのベストは15分台

大阪府出身の辻さんは元々、運動はあまり得意ではありませんでしたが、当時好きだった野球ゲームの影響で中学では野球部に入りました。「野球部の練習で平日300mを3周、週末は学校の周りの700mを3周を全力で走る練習があり、野球はうまくならなかったのですが、走る方でアピールしていました!」。中3の夏に野球部を引退してから陸上部に。「野球では全く目立たなかったのですが、陸上では大阪市内でそれなりに上の方へ行くことができました」と、高校でも陸上を続けることを決めました。

北陽高校(現・関大北陽高校、大阪)に進んで本格的な練習が始まりました。高校時代は3000mSCで大阪府高校総体で優勝し、近畿高校総体に出場したものの、5000mのベストは15分24秒でした。

のちに、箱根駅伝5区、ニューイヤー駅伝5区、北海道マラソン優勝など、上り坂・向かい風・暑さといったコンディションで安定した職人のような走りを魅せた辻さんですが、「高校時代はロード、単独走も得意ではなかったですし、暑さや上りも得意ではなかったです。大阪市内に住んでいたので、坂がないところに住んでいました(笑)。なので、住んでいる場所に関係なく取り組み方次第で箱根の山は走れますし、人はいつ伸びるか分からないですね」と、学生アスリートの皆さんにエールを送ります。

北陽高校時代の辻さん

必死についていくことで変化

高校卒業後は中央学院大学へ。練習の質が上がり、毎日がいっぱいいっぱいだったそうです。ただ、その状況でも粘り抜いて練習していったことで、変化があったと言います。

「まずは練習を必ずこなそうと、練習はいっぱいいっぱいになりながらもとりあえずついていました。暑さに弱い選手や坂で離れる選手もいる中、そこもいっぱいいっぱいなりながらもついている内に、暑さや坂も走れるようになり、監督からも評価していただけるようになりました」

5000m15分24秒で入学し、1年生の秋に14分台に。1年目はハーフマラソンが1時間08分台と、まだ長い距離が走れなかったそうです。

その後、1年生の2月に故障をしてからランニングフォームをイチから見直しました。「それまで故障らしい故障をしてこなかったのですが、元々ピッチ走法気味の走りをさらにピッチを意識するようになりました」。より効率のいい走りを意識した結果、長い距離にも対応できるようになってきました。

2年生の夏にじっくり走り込み、箱根駅伝予選会では当時20kmを61分半ほど、11月の上尾ハーフでは1時間03分34秒まで記録を伸ばしました。「それまで長い距離に苦手意識がありましたが、克服できたことで、逆に長い距離でしか戦えないと変化していきました。スピードはなかったので(笑)」

この年、2年生で箱根駅伝8区に出場。上り坂に強いということで遊行寺の坂がある8区に抜擢(ばってき)されました。「すごい緊張でした。箱根駅伝は別物でしたね。声援がすごくて、自分を見失いそうでした」。初めての箱根駅伝は8区区間14位と悔しい結果となりました。

箱根8区でまさかのアクシデント!?

3年生の箱根駅伝も再び8区を走りましたが、実はこの時、中継では気づかないアクシデントがありました。普段はコンタクトレンズを使用している辻さん。この日もいつも通りコンタクトをつけて走っていたのですが、「6km付近で汗を拭いた時に片方外れたんです。しかも反対も12kmで外れてしまって、そこからリズムが狂いました。裸眼ですと0.01ないくらいなので、もはや雰囲気で走っていましたね(苦笑)。コンタクトをしていて外れたのは人生でいまだにこの1回だけです」

当時は運営管理車から給水を渡される場面がありましたが、川崎勇二監督から水を渡されるのも寸前まで気がつかなったほど見えていませんでした。

「白線だけを追って、なんとか走り切れました。次の走者の篠藤(淳)さん(現・山陽特殊製鋼陸上競技部コーチ)に『すみません、すみません』と言って渡しました。やらかしたなぁと思いました」。序盤の定点までは区間2位ペースだった辻さんですが、終わってみたら区間11位に。

ただ、珍しいハプニングがあった辻さんですが、続く9区の篠藤さんは1時間08分01秒の区間新記録を樹立。この記録は今年、青山学院大学の中村唯翔選手(4年、流通経大柏)が更新するまでの14年間、区間記録として君臨する記録でした。篠藤さんの快走もあり、チームは総合3位となりました。

関東インカレ制覇と念願の山上り

4年生では関東インカレ2部ハーフマラソンで優勝を飾ります。当時は旧・国立競技場の周回コースで行われました。当時は周回ごとに競技場の出入りの度に坂を上って下ってというコースで、辻さんが得意とするところ。

「2部が先にスタートして、1部が3分後にスタートでした。2部はスローペースで大集団で進んでいたのですが、ラスト1.5kmで1部の先頭だった(メクボ・ジョブ・)モグス選手(当時・山梨学院大学)が追いついてきたんです。前の周を走っている時に次の周で追いつかれるなと思っていたので動じなかったし、むしろついていこうと思いました」。モグス選手のスピードを利用して辻さんもスパート。他の選手はここでは反応しませんでした。その後、猛追を受けたものの1秒差で逃げ切りました。「ラストがないので、ロングスパートで逃げ切れて良かったです(笑)」と、初タイトルを獲得しました。

関東インカレ2部ハーフマラソンでは接戦を制して優勝も飾りました(83番が辻さん、写真提供・ekiden@photosさん)

そして、4年生の箱根駅伝では念願の5区山上りに登場。当時23.4kmと最長区間でした。

「最後ということで気持ちも入っていました。その年は柏原(竜二)君(当時・東洋大学)が1年生の時でした。とにかくすごかったですね! 後ろからスッときて抜かれて、彼は1年生なので自分も4年生の意地と思って後ろについたと思ったらもう離れてました(笑)。一歩一歩の伸びが違いましたね。スピード感があまりに違ったので、本能的にこれはついたら危ないと思いました」

柏原さんの驚異的な区間新記録の快走を肌で感じながら、区間4位(1時間20分28秒)の好走で天下の剣・箱根の山を駆け上りました。

ラストイヤーでは念願の箱根5区に挑み、区間4位と好走しました(写真提供・ekiden@photosさん)

「川崎監督からは『才能がない者は努力と工夫で頑張らなあかん』と言われていました。フォームにしても工夫して、地道にやることをやっていたら、結果に現れます。いかに陸上のことを考えて、陸上にプラスになることをやり続けるかですね」

努力と工夫で自らの強みを見出して、現状打破し続けた4years.となりました。

3度目の正直でつかんだ北海道マラソン優勝

大学卒業後は実業団・東京電力へ。「実業団では走り込むというよりもスピード練習が中心でいっぱいいっぱいでした。同期が6人いて、切磋琢磨(せっさたくま)できましたね」。上り坂や向かい風に強い辻さんはニューイヤー駅伝では5区を担当。ただ、実業団のレベルの高さに驚いたそうです。「この向かい風の中をこんなに速いペースでいくの?とびっくりしました」

中央学院大卒業後は実業団の東京電力へ(奥が辻さん)

その後、大塚製薬に移籍し、2012年に延岡西日本マラソンが初マラソンとなりました。暑さでも強さを発揮する辻さんは北海道マラソンで真骨頂を発揮します。2012年に2位、2013年も2位、そして2014年に優勝を飾りました。

「2012年は川内優輝選手(現・あいおいニッセイ同和損保)が25kmで飛び出して優勝、自分が2位でした。2013年は僕が25kmで飛び出したのですが、失速して逆転されて2位に。2014年は松尾良一選手(旭化成)が25kmで飛び出してついていき、終盤スパートして念願の優勝でした。過去2年の経験が生きましたね!」。暑く過酷なコンディションの中、2時間15分24秒で初優勝を飾りました。

ニューイヤー駅伝には8回出場し、5区を6回走りました

箱根駅伝では遊行寺坂のある8区が2回に山上り5区が1回。ニューイヤー駅伝出場8回のうち6回が上り坂と向かい風基調の5区。北海道マラソンでの職人のような走り。上り坂にも向かい風にも暑さにも強い、タフな条件になればなるほど強さを発揮される辻さんが心がけていたことについて教えてくれました。

「上り坂、向かい風では半歩前に足を出すことを意識していましたね。自分はピッチ走法なのでピッチで上ると歩幅が狭くなるので、半歩前にというのを意識していました。あとは下を向かないことですね。ひたすら20~30m先を見続けていました。あとは普段の筋トレですね。体幹や腹筋、大学の時は懸垂もやってましたね。暑い時は我慢が大事ですが、水分補給が重要です。スタート前から潤った状態でいること、水分をしっかりとっていくが大切です」

辻さんと同じ学年には北京オリンピック日本代表の竹澤健介さん(現・摂南大学陸上競技部ヘッドコーチ)や、現在も現役で活躍を続ける佐藤悠基選手(現・SGホールディングス)や川内優輝選手もいました。「自分で言うのもですが、よく10年も実業団でできたなと思います。地道に積み重ねてきたという自負だけはありますね」。工夫しながら強みを生かして、コツコツと職人のように走り続けた辻さんは2019年1月に現役を引退し、現在は社業に専念しています。

新たな挑戦

引退後は少し太ってしまったようですが、市民駅伝に誘われたことをきっかけに、社内で有志でクラブチームを作って走っています。

マスターズ陸上でお会いする日も楽しみにしています!(左から、辻さんとM高史)

辻さんは今まで、自分の生きがいのように感じながら走ってきましたが、引退して走らなくなり、そこからまた走り始めたことで、「やっぱり陸上好きだったんだ」と気づかされました。また、練習をする中で記録が伸びる楽しさも改めて感じています。

「社内の有志のチームでは陸上経験がなかった方もいるので、自分がやってきたことを伝えてその方の記録が伸びると嬉(うれ)しいですし、陸上をやってきて良かったなと感じますね。マスターズ登録したので、マスターズで競り合っていきたいです。あとは全く陸上をやったことない人が3000mSCに出てみたいという方がいて、一緒にやることになりました(笑)。久しぶりに障害を跳んだら、こんなに障害って高かったっけと思いましたね(笑)」

社内で有志のクラブチームも作り、新たなランニングの楽しみを感じています(右端が辻さん)

競技者としてトップを目指して挑み続けてきた辻茂樹さん。引退後も新たな陸上競技の楽しみ方を感じ、走り続けます。

M高史の陸上まるかじり

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