九大大学院・吉岡龍一選手 船舶海洋工学を極め、2度目の全日本大学駅伝へ
今週の「M高史の陸上まるかじり」は九州大学大学院修士2年・吉岡龍一選手のお話です。太華中学校(山口)では全中3000mで9位。徳山高校(山口)では1500mでインターハイに出場しました。九州大学を経て、九州大学大学院に進んでからは10000mで28分45秒78をマークし、全日本大学駅伝では日本学連選抜チームの8区も務めました。
全国で勝負の中学時代
山口県周南市出身の吉岡選手。小学校では野球をしていましたが、中学から陸上を始めました。太華中学では「中学1年の時は1500mで4分50秒くらいでした。2年生になると4分12秒まで一気に伸び、当時の全中標準まであと少しまで迫り、来年はかなりいけると感じましたね」。この年のジュニアオリンピックB1500mでは9位となり、「全国で戦っていくんだという自覚が芽映えた大会になりました」と翌年を見据えていました。
迎えた3年生の全中。3000mで決勝に進出し、8分47秒15で9位という結果に。「悔しかったですね。8位であれば賞状、3位まではメダルでしたし、陸上で泣いたのはこれが最初で最後でしたね」。優勝した遠藤日向選手(現・住友電工)が8分44秒46、8位の大保海士選手(現・西鉄)までも8分46秒38ということで、入賞や表彰台が見える位置での大接戦でした。
「当時の入賞メンバーは今も活躍していますね。彼らと同じレベルでは今は競技ができていませんが、同じレースを走ったことがあるのは自分でも嬉(うれ)しい思い出でもあります」。その後もジュニアオリンピック3000mで14位、都道府県駅伝2区区間16位と果敢に全国の強豪選手たちに挑んでいきました。
「1年の頃はとにかくがむしゃらでした。2年、3年と徐々に実力をつけて、競技を長く続けていく上でのきっかけになる3年間でしたね」と中学時代を振り返りました。
文武両道の高校時代
高校は徳山高校へ。「陸上部員も少なく、いわゆる強豪校ではないスポーツ推薦もない進学校でした。文武両道が校訓で勉強と競技の両立を目指していましたね。一番大切にしていたのは時間を無駄にしないことでした。課題に追われて補習もあって部活もあって、スマホを触る時間を極力ゼロにと思っていましたね(笑)」
そういった環境の中でも、1年生で国体少年B3000mに出場。3年生では1500mでインターハイにも出場しました。同じ全国大会でも中学の時とは気持ちの面で変化があったと言います。
中学では悔しい全国でしたが、高校では出場できて満足の全国でした。「中学生の頃は悔しくて『高校でこそインターハイで入賞だ!』と思っていたのですが、いざ高校に入ると進学校ということもあり、どこか強豪校との差を感じていました。なかなか勝てない中、自分なりに取り組んだ結果、インターハイに出場することまではできました。予選落ちで決勝にはかすりもしなかったですが、やり切った自分に出会えたからこそ、悔しさよりも清々しい感情でしたね」
高校3年間はとにかく忙しかったと振り返る吉岡選手。そんな中でも1500m3分53秒、5000m14分40秒まで記録を伸ばしていきました。
九州大学での4years.
高校卒業後は九州大学へ。難関の国立大学ということで受験勉強に集中していた分を取り戻すのに時間がかかったそうです。「部活を引退してほとんど高校3年の8月からあまり走らなくなりました。大学1年の時は少し戻すのに苦労しましたね。自分はいけると思っても体がついてこない状態でした。過去の自分を超えられず、戻ってきたのはかなり時間がかかりました」。戻そうと思い焦って練習を積むと故障をするような日々が続きました。
久しぶりに自己ベストを出したのは大学4年生の9月でした。大学入学後、陸上で結果が出ずに苦しい時期も続きましたが、「そこでやめなかった自分がいて良かったなと思います。嬉しかったですね。過去の自分がなぜ乗り越えたのか今でもよく分かっていないのですが(笑)。陸上が好きだったのかなと思います」。5000mで14分36秒と、高校時代のベストを約4秒更新しました。
ちなみにこのレースでは、古川大晃選手(現・東京大学大学院博士課程2年)が1位となり、吉岡選手は2位でした。古川選手と言えば、九州大学大学院から東京大学大学院に進み、今年の箱根駅伝で関東学生連合メンバー入りも果たしましたね。
さて、久しぶりの自己新を出した吉岡選手ですが、そこから自身の競技スタイルが分かってきたそうです。
「無理をしない! これに尽きると思います。無理をしないことの本質をつかんだ感覚でした。よくいろんなランナーさんから無理をしない方がいいと聞きますが、どこかで練習の段階で無理をしていると思います。本当に無理をしないというのは、こんなにも楽なことなんだという気づきました。腹八分どころか腹六分くらいです。故障をしないで練習を継続することでベストを更新しました。陸上競技は奥が深いですね。人によってもちろん違いますが、無理をしないというのは普遍的だと思います」
無理をせず練習を継続することで壁を突破しました。
大学院で急成長! 再び全国の舞台へ
九州大学大学院に進んでから競技の方でも急成長を遂げます。昨年のホクレン・ディスタンス深川大会では5000m14分09秒97と大幅に自己ベストを更新。「自分でも驚きました。研究にかける時間など自分の時間をコントロールできるようになったので、大学院は自分で自分の時間をマネジメントできているのだと思います」。自分自身を管理するという習慣は、実は中学時代からしていると振り返ります。
「中学の顧問が自分で考えて陸上をやりなさいという方でした。中学2年の冬、『吉岡は半年後の8月に3000mで全中決勝に残る。そのために今日クロカンで1000mを5本やる。なんでこの練習をするのか考えて』と言われました。中学生の時から自分で考えて陸上をやる、というふうに自分で管理する大切さを知りましたね。当時は無茶じゃないかと思いましたが(笑)」。当時から自分で自分をマネジメントする能力が磨かれ、大学院でも競技力を伸ばすことにつなげていきました。
昨年10月には10000mで28分45秒78をマーク。全日本大学駅伝には日本学連選抜チームに選出され、最長区間アンカー8区(19.7km)を任されました。全国規模の駅伝は中学の都道府県駅以来でした。
「選ばれた時は嬉しかったですね。ただ、走ってみて一言で振り返ると『甘酸っぱかった』と感じました。まず、全日本に出るためには九州地区で勝ち抜いて、選抜メンバーの14人に入らなければなりません。そのメンバーを勝ち抜いて8人に入れたことに、そこまで来られた自分に感謝したいというのが甘い思い出です。一方で、やはり全国大会は厳しいなと感じました。中学時代もすごく速い選手たちと走って全国は厳しいなと感じましたが、全日本を経験して久しぶりの全国に、これくらいではまだまだ戦えないというのが酸っぱい思い出ですね」
8区で区間17位という走りを「甘酸っぱい」という独特の表現方法で振り返りました。また競技面だけでなく、日本学連選抜チームに選ばれたことにより「全国から集まったメンバーと仲良くなれました。みんな頑張っていて、いい関係で切磋琢磨(せっさたくま)でき、負けてられないと思いましたね」と刺激も受けました。
大学では工学部で地球環境工学科で学び、大学院では船舶海洋工学専攻で研究を続けています。船舶海洋工学の研究と陸上競技の両立について、「全く関係ないからこそ、どっちも頑張れます(笑)。何か関連があるとどちらかダメになった時に道づれになってしまいそうですが、例えば足を故障している時は研究に没頭したり、陸上に集中したい時は研究が邪魔にならないように圧縮したりしています。両方が全く関係ないからこそ分配できるのが強みですね」。オンとオフのメリハリをつけることが両立の秘訣のようです。
修士2年となる今シーズンは9月の日本インカレを目標にしています。そしてもう1度、全日本大学駅伝へ出たいという思いがあります。
「どんな世界が待っているか楽しみです。競技は大学までで、将来はいわゆる市民ランナーとしてやっていきたいです。これまでに厳しい世界を知ったつもりですし、自分の競技スタイルなら市民ランナーとしてやっていた方がいいかなと感じています」と、冷静に自己分析をしています。
大学院を経て、市民ランナーとして年々進化を続ける中村高洋さんのような可能性も感じつつ、まずは大学院ラストイヤーの今年、全国の強豪を相手に挑む吉岡龍一選手の現状打破な挑戦に注目です!