陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

特集:第98回箱根駅伝

箱根駅伝1区4位の専修大・木村暁仁選手 けがからの復活で魅せたエースの走り!

中学3年生になると、ジュニアオリンピック入賞をはじめ全国の舞台でも活躍(写真提供:本人)
今年の箱根では1区4位の好走を見せた専修大学・木村暁仁選手にお話を伺いました

今回の「M高史の陸上まるかじり」は専修大学・木村暁仁(あきひと)選手(2年、佐久長聖)のお話です。高校時代は全国高校駅伝(都大路)6区3位、都道府県駅伝では長野県チームの優勝にも貢献しました。専修大学では一昨年、1年生ながら箱根駅伝予選会でチームトップとなり、7年ぶり69回目の出場に大きく貢献。今年の箱根駅伝では高速レースとなった1区で区間4位の好走を見せました。

けがを乗り越えて全国でも活躍

長野県出身の木村暁仁選手。小学校の頃は地元でミニバスのチームに入っていて、当時から走ることにも自信がありました。中学では陸上部の顧問の先生のお誘いもあり、陸上部に入部。

女鳥羽(めとば)中学では2年生までは全国規模の大会に出られなかったそうですが、3年生になると転機が。「都道府県対抗男子駅伝に向けた育成の練習会で、スタッフの先生に声をかけていただいたんです」。そこからは先生と二人三脚。飛躍のきっかけとなりました。

3年生では全中に1500mと3000mで出場。ジュニアオリンピックA3000mでは5位入賞(8分33秒87)。「結果が出るのが嬉(うれ)しくて、競技やっていて良かったなと思いました」と振り返ります。

中学3年生になると、ジュニアオリンピック入賞をはじめ全国の舞台でも活躍(写真提供:本人)

高校は強豪・佐久長聖高校(長野)へ。入学してから最初の2年間は故障に悩まされました。「1週間走ったら2カ月走れないような状態で、何回か部活から離れたいと思ったこともありましたが、親や友人の支えが力にもなりましたね」。けがを乗り越えて、3年生で体がだんだん練習に追いついてきたと言います。

「高見澤(勝)監督、市村(一訓)コーチの愛情あふれる指導のおかげで、結果につながっていきました」。11月の日体大長距離競技会では5000mで14分11秒96の自己記録を更新。迎えた都大路では6区(5km)を任され区間3位(14分21秒)という好走も「正直、6区では区間新記録を狙っていました。タイムとしても順位としても納得いかない結果でしたね」とさらに上を見据えていました。

1月の都道府県対抗男子駅伝では長野県代表で4区(5km)を走り、区間2位(14分13秒)。15位でもらった襷(たすき)を8位まで押し上げ、チームの逆転優勝に貢献する走りでした。「高校ラストの大きな大会で都大路の悔しさを唯一晴らせると思いました。自分のキャパを超えるハイペースで入り、後半は気合いで追い込みました。順位も上げることができましたし、チームに貢献できたのかなと思います。駅伝で初めて優勝を体験しましたが、全員で勝ち取る面白さを体感しましたね」

長野チームで全国男子駅伝優勝。全員で勝ち取る面白さを体感しました(撮影・安本夏望)

高校時代は寮長を務めていた木村選手。同級生には鈴木芽吹選手(現・駒澤大)、服部凱杏選手(現・立教大)、宇津野篤選手(現・神奈川大)といった顔ぶれが。「鈴木くんが主将で服部くんが副寮長でした。とても面白いメンバーに囲まれながら生活することができました。鈴木くんは冷静に判断できるタイプで、周りからすごく愛される選手でしたし、後輩たちからもすごく慕われていました」。同級生の活躍は刺激になっているといいます。

「本当に苦しい3年間でしたが、今後の人生にとって一番貴重な3年間と言えるような、とても大事な経験でした」と佐久長聖高校での3年間を振り返りました。

「本当に苦しい3年間」「貴重な3年間」とふりかえる佐久長聖高校での3年間でした(写真提供:本人)

予選会チームトップも、箱根を走れず

高校卒業後は専修大学へ。木村選手が入学するまで68回の箱根出場(当時)を誇る古豪も、直近の6年間は箱根路から遠ざかっており「自分がエースとして活躍できるチームにと思っていました」という思いを込めて、専修大学に入学しました。

また、専修大学の長谷川淳監督とは高校時代にこんなエピソードも。「高2の都大路もメンバーに入っていたのですが、刺激練習で足を骨折してしまったんです。競技場からの帰り道、足を引きずって歩いている時にたまたま長谷川監督にお会いしたのですが、『この悔しさは来年だったり、大学で晴らせばいいよ』と言っていただいたんです。いい言葉をいただけましたし、精神的にキツい時に支えていただいたのは嬉しかったですね」。今では監督と選手という間柄です。

1年目はコロナ禍で大会の中止や延期も相次ぎました。また自身の故障もあり、全くレースに出られない日々が続きました。「他大学も含めて同期が記録会などで活躍しているのが刺激になっていましたね」

1年生の箱根予選会ではチームトップとなり、チームの7年ぶり箱根路に貢献。ゼッケン194番が木村選手(写真提供:専修大学陸上競技部)

大学初レースとなった箱根駅伝予選会。チームトップとなる個人44位(1時間02分44秒)で、専修大学としては7年ぶり69回目の箱根出場に大きく貢献しました。「個人としては当時の練習でよく走れたなと思います。チームとしては当時の主将・茅野(雅博)さんがレース中の声かけなどでチームを引っ張ってくださいました。7年ぶりの箱根路ということで、寮に帰ってきてから監督や主将を胴上げして、幸せな時間を共有できましたね」とチームメートと歓喜を味わいました。

ただ、箱根駅伝本戦では木村選手は走ることができませんでした。「箱根予選会で自分の実力以上の結果を出してしまい、膝(ひざ)に違和感を感じていました。MRIを撮っても原因が分からなくて、病院にも通いました。炎症がひかない状況で悔しくて苦しい期間を過ごしましたね」。予選会で予想以上に走れてしまった代償に苦しむこととなりました。 

復活、そして1区での好走

「ライバルやチームメートがいい成績を出す度に焦りました。早く走りたいのに、体が言うことを聞いてくれなくて、走れていない自分とのギャップが激しかったですね」。けがが長引いている時は1度競技から離れようと思ったほどだったそうですが、支えになったのは1年の時に同部屋だった先輩・勝俣航希選手(4年、相洋)でした。「ちょくちょく声をかけてくださいました」。けががしっかり治ったのは11月ということで約1年もの間、苦しい期間を過ごしました。

苦しい時期に声をかけてくださったという先輩の勝俣航希選手(写真右、写真は本人提供)

12月4日の日体大長距離競技会では10000mで29分04秒21の自己ベストをマーク。「足の痛みもなくなって、ある程度自信を持って臨めました。箱根のメンバーに入れるかどうかの瀬戸際だったので、まずは16人のメンバーに入ろうと。1回きりのチャンスでした」とプレッシャーのかかる中、しっかりと結果で復調をアピールし、最後のチャンスを掴(つか)みました。

箱根メンバー入りに向けてラストチャンスとなった日体大長距離競技会で自己ベストを更新(写真提供:専修大学陸上競技部)

その後は箱根に向けては調子も上がっていき、不安なく本戦に臨めました。迎えた箱根ではスタートの1区を任されました。

箱根駅伝1区スタート前の木村選手(写真提供:専修大学陸上競技部)

「1区ということで、まず一番映像に映る区間、来年のポスターに映る区間だなと思っていましたね(笑)。あとはチームとしては昨年1区で苦しいスタートだったので、そこを打破するために、チームにとっていいスタートを切れたらと思っていました」と冷静でした。

高速レースとなった1区で区間4位の好走(写真提供:専修大学陸上競技部)

レース中、マークしていたのは駒澤大学の唐澤拓海選手(2年、花咲徳栄)でした。「高校の時から都道府県駅伝や地元の駅伝などで走っていて、強い選手という認識でした。唐澤選手をしっかりマークしておけば上位で来られる、最後まで残れると思っていました。利用させていただいたら、最後負けちゃいましたが(笑)」

中央大学・吉居大和選手(2年、仙台育英)の区間新記録を始め、区間2位以降の選手たちも含めて高速レースとなった今回の1区。「あわよくば区間賞を狙っていたので、吉居選手が出た時に最初ついていこうと思ったんです。ちょっと横に出て吉居選手の姿を見た時に『あ、これ、だめだ』と思うくらい吉居選手のオーラと余裕そうなのが見えたので、結局ついていかなくて正解だったのかなと思っています」。周囲の選手に伝わるほどのオーラを放ち吉居選手は突っ走っていったのでした。

10km27分58秒と区間記録を上回る高速ラップを刻む吉居選手の後方で、2位集団も10km28分30秒とハイペースで通過。木村選手の10000mのベスト29分04秒21を大きく上回る通過タイムです。

「15kmを通過するまでは戦略として集団の中で走ろうと思っていたので、あえて時計を見ないようにしていました。ただ、横を走る中継バイクから10km28分30秒と聞こえてきて『マジか!』と驚きましたね(笑)。それでもリラックスした状態で走ることができて良かったです。15kmまではあまり動かずに、六郷橋を越えてからが勝負と思っていました」。集団のペースも上がり、つけない選手が落ちていくサバイバルな展開に。

駒澤大学・唐澤拓海選手、青山学院大学・志貴勇斗選手(2年、山形南)、東海大学・市村朋樹選手(4年、埼玉栄)、國學院大學・藤木宏太選手(4年、北海道栄)と激しい区間2位争いに。

「意地のスパートでしたね。最後、同タイムだった東海大学の市村さんに勝ちたかったですね。悔しい部分はありますが、満足いかない結果だったからこそ来年につながると思いますし、先につながるためには良かったと思います」

ラストのスパート争いにも離されず、好スタートを切りました(撮影・北川直樹)

1区で区間4位(1時間01分24秒)と幸先のいいスタートを切った専修大学でしたが、チームとしては総合20位と悔しい結果に終わりました。「結局、誰か1人が走れても戦えないのが駅伝というのを改めて実感することができた大会でした。ただ逆に、このチームを見ていて力のある選手やポテンシャルのある選手は見えているので、今年1年間で自分が持っている陸上の情報などをうまく共有できていけたら、チームとして来年は戦える箱根駅伝になると思います」。選手が自主的に考えて行うことができるのが専修大学の強みとチームの魅力についても木村選手は話します。

「選手が自主的に考えて行うことができる」のが専修大学の強みです!(写真提供:専修大学陸上競技部)

恩返しの走りで、愛される選手に!

自身の走りやチームのことを冷静に分析して、最適解を導く印象の木村選手。そんな木村選手も競技を離れれば1人の大学生。陸上以外の時間は趣味の音楽でリラックスしています。「小学生の時に父親にギターを教えてもらって、今でも空いている時間にギターを弾いたり、楽器に触れたりするのが好きですね。自分の好きな曲を弾きますし、弾き語りもします。作曲をすることもありますよ! 音楽が息抜きで、陸上をやっていてキツい時はリフレッシュしたり、うまくバランスが取れていますね」。競技で現状打破し続けるためにもやはり気分転換は大事なんですね!

今後の目標について伺ったところ「個人としては、今年の箱根や前回の箱根予選会を振り返ると、自分の戦える距離としてハーフマラソンが一番合っていると感じています。ロードへの愛着もありますね。まずは日本学生ハーフ、来年度の箱根予選会、そして箱根駅伝ですね。戦える距離だからこそ徹底的に戦いにいこうと思っています」と得意なハーフマラソンに自信をのぞかせます。

自身の走りのここを見てほしい! というポイントについては「表情を見てほしいですね。楽しそうに走っているとよく言われるのでニコニコ走っているのがアピールポイントです(笑)。あまりキツそうな顔をしたくないので、そういう時もニコッと笑っちゃうようなくせがあります」。集団でニコニコ走っている選手がいたら、木村選手かもしれませんね(笑)。

「母親から『愛される選手でいなさい』とよく言われるので、いろんな方から愛されて応援していただけるように、言葉遣いや自分の思想だったり、考えていかなければなと思っています。応援してくださる皆さんのサポートをすごく感じているので、それを力にやれています。これからしっかり恩返ししていきたいですね!」

「愛される選手」を目指し、お世話になった方へ走りで恩返しを誓う木村選手(写真提供:専修大学陸上競技部)

木村暁仁選手は今回の箱根1区での好走を糧に、お世話になった方への恩返しの走りを続けていくことで、ますます愛される選手になっていくのではないでしょうか!

M高史の陸上まるかじり

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