学連幹事長と杜の都駅伝出場を両立! 東北大OG・飯田夏生さん
今回の「M高史の陸上まるかじり」は飯田夏生(なつき)さん(25)のお話です。東北大学では東北学生陸上競技連盟の幹事長も務め、選手として東北学連選抜で全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)にも出場されました。現在は市民ランナーとして走り続けています。
駅伝への想い
宮城県仙台市出身の飯田夏生さん。「元々運動が得意なタイプではなかったのですが、水泳を幼稚園から小学校までやっていたこともあってか、持久走だけは得意でした」ということもあって中学で陸上部に入りました。
「良い先生に巡り会えて強くしていただきました」という中学時代は、宮城県新人大会の1500mで8位に入賞。
中学時代、一番印象に残っているレースは「都道府県女子駅伝の宮城県代表を決める選考会ですね。3000mのレースで代表枠が2枠しかないので、すごく牽制するレースになったんです。私は牽制(けんせい)するという頭がなく『なんか今日のペース余裕だな』と思って先頭に飛び出してしまったんです(笑)」
結果的にはラスト1000mの集団のペースアップに耐えきれず、代表にはなれなかったそうですが「先生からは『今日はいいレースだった』とガッチリ握手していただきました! 最終的には負けてしまいましたが、普段から『積極的に前へ』という先生だったので、褒(ほ)められたのが嬉(うれ)しかったですね」。この時に出したのが3000mで10分30秒ちょっと。ちなみにこのタイムを更新するのは社会人になってから、つい最近のことになります。
高校は仙台第一高校へ。「元男子校の高校で、私の代で女子は三期生でした。まだ運動部に所属している女子も少なかったですね。どうしても高校駅伝に出たかったのですが、陸上部だけだと人が足りなくて他の部活の子にも助っ人になっての声をかけてまわりました(笑)」。バレー部やバスケ部で中学時代に駅伝を走ったことがあった友達にも声をかけました。
なんとか人数を揃(そろ)えて挑んだ宮城県高校駅伝に出場。飯田さんはエース区間の1区を担当。次に長いアンカー5区5kmを走った友達はなんと普段は合唱部でした!
「襷(たすき)を仲間とつなぐのは最高でしたね。テンションが上がりすぎて、飛ばしすぎた記憶があります! 仙台育英高校などは一緒に走ってすぐ見えなくなりましたが(笑)。駅伝はすごくいい思い出ですし、一緒に走ってくれたメンバーに感謝ですね。寄せ集めで期間限定だったのに一体感もあって良かったです!」。青春だったと飯田さんはふりかえります。
部活引退後は勉強に集中。「夏頃から本腰を入れ、2年半おろそかにしていた分を取り戻すべく自分なりに計画を立てて取り組みました。『今日はこれをここまでやる』『この科目を強化する』『何割くらいは到達できるようにする』という目標を立てていたので、陸上にも似ていますね。得意科目は国語でした。読書が好きで、小学生の時から図書館に通っていましたね。小説を読むのが好きでした」
受験勉強中も合間を見つけて息抜き代わりに走っていたそうです。「朝とかお昼に30分くらい走った方がスッキリして、ずっと机に向かっているよりもかえって勉強にも集中できました」。走った後は再び集中して勉強に打ち込みました。受験も現状打破し、難関の東北大学に現役合格しました。
東北大で学連員と競技者の両立
東北大学でも陸上部に。また大学では陸上部で競技を続けるだけでなく、東北学生陸上競技連盟(東北学連)で学連員も務めることになりました。
そもそも東北学連とは?「自分たちの大会を自分たちで運営しようという自治組織のようなものですね。宮城県にある5つの大学(東北大学、宮城教育大学、東北学院大学、東北福祉大学、仙台大学)から学生が集まって大会運営のいっさいを仕切る団体になります」と教えていただきました。
「中でも東北インカレがメインイベントになりますね。審判の先生にお声かけしたり、タイムテーブル作成、競技場の予約、スケジュール調整など役割はたくさんあります」と社会人がやるようなことまでこなしていきます。
さらに、飯田さんは学連員をしながら競技も続けるという二刀流。「大会運営の時間は大会本部にいるのですが、自分も出場するので1500mの前になると後輩に『ちょっと、よろしく!』とアップに行ってましたね(笑)。いったん離れて競技者モードになるのですが、自分のレースが終われば再び本部に戻って仕事をこなしていましたね」というスイッチの切り替え!
特に東北インカレに向けての事前準備では「学連事務所で資料作成や物品の準備などを行います。試合前、インカレに出場する選手たちは治療に行ったりコンディションを整えたりする中、夜遅くなることも多かったですが、気合いで乗り切りました!」。プログラム作成では過去の資料を参考にしながら、トラック・跳躍・投てき種目との兼ね合いや組数などを計算し、シュミレーションしながら公平になるように作成していきます。
両方やるというモチベーションについては「そもそも自分が競技をやりたいと思って陸上部に入ったので、競技をやめるという選択肢はなかったです。大会運営の仕事にもやりがいを感じていましたし、どちらもやりたいと思っていましたね。選手の皆さんからの感謝や『ベストが出たよ』という声が嬉しかったです」
3年生になると東北学連の幹事長に。「幹事長は大会統括、各部署への指示などをしていきます。東北インカレでは開会宣言や閉会宣言もやりました。緊張でかみそうになりましたね(笑)」と学連員をリーダーとして引っ張っていきました。
「競技をやりながら幹事長をやりきることができたのは『走ることを諦めない』という思いを理解してくれて、支えてくれた学連の先輩、同期、後輩のおかげです。その支えがなかったら走り続けることはできなかったかもしれません」。両方ともチャレンジできたのは心強い仲間の支えがあったからでした。
地元・杜の都駅伝を駆ける
競技の方でも4年生になると東北学連選抜チームに選ばれ、杜の都駅伝に出場しました。
「東北学連選抜で走りたいとずっと目標にしていたので、選ばれた時は本当に嬉しかったですね。選ばれてからはもう一段頑張ろうと気合いが入りました。しかも地元を走れますし、家族・親戚に全国大会を走っている姿を見せられるのは本当にうれしかったです」。飯田さんは4区を任されました。
「地元で日常的にJOGでも使ってた道を走るので、コースに対して何の不安もなかったですね。3区の選手が走ってくるのが見えた時にテンションが上がってしまって、いろんなことが込み上げてきて泣きそうになり、最初の1km突っ込んでしまって勢いよく行ってしまいました(笑)。後半はつらかったですが、4.8kmをすごく楽しく走れましたね」。地元ということもあり応援も力になりました。「大学が地元だったので、いたるところで『夏生がんばれ!』って応援してもらってキツい時に粘れましたし、ここまで陸上やってきてよかった!と思えました」
大学では中学時代で止まっていたという1500mのベストも更新。「中距離パートの仲間とも一緒に頑張れました。仲間にも恵まれたいい学生生活でした。学連の縁、陸上部の縁は今でも繋(つな)がっています。本当に人に恵まれましたね。特に学連をやらなかったら他の大学の種目の違う人たちと交流もなかったと思います」。ますます陸上競技が好きになれたという4years.でした。
社会人になっても走り続ける
大学卒業後、現在はメーカーの営業職として東京に勤務。社会人3年目となった今でも走り続けています。
「学生時代よりも時間が限られているので、どうしたら効率良く練習できるか考えていますね」
社会人になってからはトラックがメイン。「夏は1500mをガンガン走っています(笑)。楽しいですし、一番好きですね。レースプランがハマった時の気持ち良さが1500mの魅力ですし、記録が出たとき、勝負に勝った時は快感ですね!」と陸上好きなのがビシビシ伝わってきますね(笑)。
3000mでは中学2年以来10年ぶりとなる自己ベストを更新。1500mでも4分43秒と自己ベストを更新。大学でのベストは4分52秒ということで、まだまだ記録も伸びています。
「八王子プロジェクトという練習会に参加して、周りに引っ張ってもらいながら長めのペース走やインターバルなどに取り組んできました。スタミナがついて押し切れるスピード持久力が改善されてきたのか、今まできつかったペースもいけるようになってきましたね」というガチ市民ランナーぶり!
今後は「1500m4分36秒の全中標準を切ってリベンジしたいです(笑)。そして、3000m9分40秒、または5000m16分40秒を切ってホクレンディスタンスに出るのが大目標ですね! 実業団ではなく市民ランナーで出ていたらかっこいいなと思います! この勢いで頑張りたいです」。中学では全国大会に届かなかった飯田さんにとって、全中標準記録を越えたいというのが時代を超えた挑戦なんですね!
「あと2年くらいはトラックをしっかりやって、ゆくゆくはマラソンにも挑戦していきたいです」という飯田さん。最後に学連員をしている後輩の皆さんへメッセージもいただきました。
「学連員として活動していく中で競技との両立に悩んだり、理不尽な思いをすることもあると思います。そんな時、気持ちを共有したり、頼れる仲間がいるだけであと一歩頑張れます。学連員の一番の味方は学連員です。私もいつも仲間に支えてもらいました。誰かのSOSは全力で助ける、そういう雰囲気を大事にしていくことで競技者としても満足する4年間を送れる学生が増えたら嬉しいです」。卒業してからも東北学連を気にかけ、応援する飯田夏生さんはこれからも走り続けます!