陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

川内三兄弟の三男・川内鴻輝さん 地元・久喜をマラソンで盛り上げる!

川内家の皆さん!写真左から三男・鴻輝さん、長男・優輝さん、二男・鮮輝さん、母・美加さん(写真提供全て本人)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は川内鴻輝(こうき)さん(29)のお話です。プロランナー川内優輝選手(あいおいニッセイ同和損保)の弟でマラソン川内三兄弟の三男。高崎経済大学では関東インカレや箱根駅伝予選会にも出場しました。現在は地元・久喜市で市議会議員として久喜マラソンの運営に携わるほか、公認競技会「GENJO打破」や川内杯栗橋関所マラソンの開催など、精力的に陸上界・マラソン界を盛り上げる活動をされています。

親子で特訓! 毎日タイムトライアル

川内家の三男に生まれた鴻輝さん。6歳上の長男・優輝さん、2歳上の二男・鮮輝(よしき)さんとともに幼い頃から走っていました。

川内三兄弟といえば、母・美加さんによる公園での毎日タイムトライアル。「兄二人が走っていたので、自分も2歳から走っていたみたいです。5〜6歳の頃にはタイムトライアルが始まっていました。毎日が全力で、自己ベストを出せなかったら罰ゲーム! もう1本追加だったり公園から走って帰ることも。それでも走るのが嫌というより『川内家に生まれたのだから、やらないと生きていけない』と思っていました(笑)」。マラソン版・巨人の星のような母・美加さんによる情熱的な特訓の日々でした。

特訓の成果もあって、上尾シティマラソンの小学生の部で優勝を飾りました

「兄・優輝は毎日全力を出し切ってゴール後に毎回ぶっ倒れていましたね! 兄弟三人が今でも走り続けているのは、毎日のタイムトライアルで継続性が身についたからだと思いますし、精神面でもこの経験が生きてると思います」と笑います。

ちなみに、兄2人を見ていた鴻輝さんは、毎日タイムトライアルをこなすためのシステムに気がつき「自己ベストを更新し続けてしまうとこれは大変になると気づいたんです。自己ベストを更新する日は大幅に10秒とか更新をせず、調整して1秒とかちょっとずつ更新するようにしていました(笑)。罰ゲームでもさらに1本追加にならないようにタイムを調整していましたね」。末っ子で兄二人をよく見て行動していたといいます。

鴻輝さんが小学6年生の冬に父・葦生(あしお)さんが亡くなり、それからは長男の優輝さんが父親代わりのようだったといいます。「兄貴が一番苦労したと思います。兄貴は高校3年生で学習院大学進学は決まっていました。大学では陸上をしながらアルバイトもしていましたし、勉強を頑張って給付型の奨学金をもらっていました。社会人になってからも自分たち弟の資金援助をしてくれて、本当に感謝しています。兄貴がいなかったら今の自分たちはないですね」。真面目で責任感の強い優輝さん。学習院大学時代は関東学連選抜チームで2度箱根駅伝に出場しながらも学業成績も優秀で、アルバイトで家計も支えていたのでした。

成長痛に悩まされた高校時代

鴻輝さんは中学で陸上部に。母・美加さんと親子で特訓していた小学校時代に比べて「中学の方が練習が楽でしたし、心にゆとりがありましたね(笑)。仲間たちと走れるというのは嬉(うれ)しかったですね」。1500mで県大会6位に入るなどの成績を残しました。

高校は自宅から自転車で10分の花咲徳栄高校へ。「兄二人は春日部東高校でしたが、新しい道を切り拓(ひら)くことに魅力を感じていました」。高校入学時160cmだった身長は3年間で180cmに。成長痛にも悩まされて、高校時代のベストは5000m15分16秒でした。

都大路出場を目指した花咲徳栄高校での3年間。県高校駅伝では2位が最高順位でした

「高校時代の半分くらいは、足の痛みとの戦いでした。高1で15分17秒を出せていたので、14分台も行けると思っていたのですが、その後は3年生の時に1秒しか更新できませんでしたね」。都大路を目指した駅伝でも3年生の県駅伝の2位が最高。埼玉栄高校の壁が高く立ちはだかりました。 

選手、主務も経験した大学4年間

大学は高崎経済大学へ。「高校時代、けがをしている分、せめて勉強は頑張ろうと成績もクラスでは1位でした。陸上は続けたいと思っていましたし、けがをしなければもう少しいけると感じていました」

高崎経済大学には陸上部はあるものの、駅伝に向けて陸上を強化しているという大学ではなく「週に2回もオフがありましたし、みんなアルバイトをしていました。自分が入学するまで箱根予選会にも出ていなかったですね」

どうせやるならと鴻輝さんは陸上の人脈を活(い)かして、積極的に行動。外部との交流で得た情報を部内に持ち込んだり、仲間を積極的に大会に連れ出したりして、レベルアップを図り、参加標準タイムを突破し、箱根予選会にも出場できるようになりました。

高崎経済大学では主務を務めながら箱根予選会、関東インカレ、マラソンにも挑戦。770番が鴻輝さん

「箱根予選会は自分たちを輝かせる場所でしたね。大学側も横断幕を作って応援してくださいました。箱根本戦に出るわけじゃないのにありがたかったですね(笑)」

さらに、それまでは部内で誰も挑戦していなかったフルマラソンにも出場する選手が増えました。

「マラソンで優勝すると海外マラソンに派遣されるので、兄貴の影響もあって学生時代からマラソンに挑戦していました。大学生で時間のあるうちにマラソンに挑戦して、記録を出しておいて人生の糧にした方がいいと思い、周りにも勧めていましたね。練習メニューも自分たちで作成していましたし、兄貴に相談することもありました」

優輝さんとよく一緒にJOGもしていたそうで「ひたすら兄貴の話を聞く側でした(笑)。どこのマラソンで誰が活躍していたという情報をひたすら発表の場のようにずっと話しながら走っていましたね」という兄弟JOGエピソードも。

兄・優輝さん(右)と走る鴻輝さん(左)。二人でJOGをするとひたすら聞き役だったとか(笑)

もう1人の兄・二男の鮮輝さんは当時、國學院大學で寮生活。箱根駅伝のエントリーメンバー入りも果たしました。鴻輝さんも関東インカレ2部で3年、4年とハーフマラソンに出場。川内三兄弟はそれぞれの場所で走り続けました。

また、当時発足していたアラタプロジェクトで藤原新さん(現・スズキアスリートクラブ男子マラソンヘッドコーチ)の元で練習することもありました。「スイスの合宿に帯同したり、新さんから影響を受けましたね。男子のプロランナーの先駆けでしたし、マラソンでプロとして稼いで、スポンサーさんを集めたり、メディアに出演したりと、夢を見させていただき、かっこよくて憧れでしたね!」

藤原新さん(写真右)に師事を仰ぎ、合宿にも帯同

福岡国際マラソンでは兄・優輝さんの付き添いを務めたこともありました。大学時代には主務も務め、選手のエントリーや学連会議などにも参加するなど、裏方的な立場も経験。この経験は現在、大会や競技会を主催している今に生きているといいます。

3足のワラジで地元・久喜を盛り上げる

大学卒業後はモンテローザのマラソン部で2年間競技を続けましたが、廃部をきっかけに独立して株式会社K・Kスポーツを立ち上げました。「亡くなった父が生前、定年したら事務所を立ち上げたいという話をしていたので、父の思いも受け継いでいけたらと思っています。不安はなかったですね。なんとかなるだろうというなんの根拠もない自信がありました。死ぬことはないだろうと(笑)。まだ若かったですし、もし失敗しても普通に働けばいいと思っていましたね」

鴻輝さん自身も走り続けながら精力的にランニングを盛り上げる活動を続けました。地元・久喜マラソンに向けた練習会の一環で始まった「市民ランナーの聖地化プロジェクト」もその一つです。

「いろんなランナーの方と出会ったり、一緒に練習したり、皆さんの記録が伸びるのも今までとは違ったやりがいを感じますし、楽しいですね! こどもから大人まで参加でき、自分の能力を社会に活かせる場所と感じました」と走ることで地元に還元しています。

「市民ランナーの聖地化プロジェクト」で地元・久喜を盛り上げます

2018年には久喜市議会議員に出馬し、当選。マラソンランナー、K・Kスポーツ代表、市議会議員として、3足のワラジ生活を送っています。

「マラソンやスポーツで町おこしって面白いと感じました。グラウンドに照明がついていなかったり、ランニングコースがガタガタしていたり、距離表示が間違っていたりと今までも気づく点は多々ありました。マラソンをきっかけに久喜市がもっと有名になればと思いましたし、これができるのは意外と自分しかいないと思ったんです」。健康志向の高まりから市民の方の健康、スポーツインフラの整備などに取り組んでいます。「実際に市民の方の声を行政に伝えて、改善されると嬉しいですね。目に見える形で誰かの喜ぶ顔を見れるのがやりがいですね!」

久喜市議会議員として、市民の方の健康やスポーツインフラの整備など活動は多岐に渡ります

コロナ禍でも現状打破!

2020年より公認トラックレース「GENJO打破」を開催しています。「学生時代に高崎経済大学記録会の主務も経験しているので、公認記録会のノウハウも今につながっています」。コロナ禍で公認大会中止が相次いだ中、多くのランナーさん、特に箱根予選会や選手権などの標準記録突破のかかった学生選手の皆さんたちにとってもモチベーションとなる競技会となりました。

そして、昨年末で第3回を迎えた「川内杯栗橋関所マラソン」には川内優輝選手をはじめ川内家勢ぞろい、さらには東京五輪代表の田中希実選手もゲストランナーで出場するなどの盛り上がり。

第3回大会を迎えた川内杯栗橋関所マラソンでは二人の兄、東京五輪代表の田中希実選手も出場し、盛り上がりました

特に2020年の第2回大会は、コロナ禍により全国各地の大会の多くが中止になる中での開催となりました。「河川敷でマラソン大会が開催できないようじゃ、この先ずっと大会ができないと思いました。ランナーの皆さんにも喜ばれて、大会開催の可否を迷っている主催者にも勇気を届けたいと思って決断しましたね」。国交省の管理用道路の立ち入り禁止区域をマラソンの日に解放しているというコースのため、会場にいるのはランナーとスタッフ・ボランティアのみ。感染症対策も徹底の上で開催し、多くのランナーさんから喜ばれました。

「こういうところで自分の能力を発揮して社会に還元していきたいですし、今後、日本陸連公認大会も視野に入れて、将来的には日本記録を出して栗橋で伝説を残したいですね!」と夢を描く鴻輝さん。

マラソンが人生の軸となり、様々な活動に挑戦する鴻輝さん。写真右は久喜市くき親善大使を務める妻・彩さん

「とにかく動いてみることが大事だと思います。失敗も失敗ではなくて全部が未来に繋がっていくんです。『恐れず』『怯まず』『明るく』『楽しく』『元気よく』やっていくことですね!」と持ち前の明るさでポジティブに語られました。

2歳から走り始めた鴻輝さんは29歳にしてラン歴27年! 鴻輝さんにとって走ることとは?

「全部、自分の人生の軸になっています。継続性を身につけさせてくれて、今となっては母に感謝ですね(笑)」。久喜市くき親善大使を務める妻・彩さんとともに夫婦二人三脚で久喜市を盛り上げ、現状打破し続ける川内鴻輝さんのさらなる挑戦に注目です!

M高史の陸上まるかじり

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