陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

平成国際大OB・佐藤雄治さん 学連選抜で箱根駅伝3回出場、実業団を経て指導者へ!

中央発條陸上競技部コーチの佐藤雄治さんのお話です。現状打破ポーズで!(提供記載写真以外全て本人提供)

今週の「M高史の陸上まるかじり」は佐藤雄治さん(35)のお話です。平成国際大学では関東学連選抜チームで箱根駅伝3年連続出場。実業団、ランニングコーチを経て、現在は中央発條陸上競技部でコーチをされています。

サッカーでは兄に勝てず、陸上の道へ

三重県出身の佐藤雄治さん。小学校ではサッカーをやっていましたが、毎年、エスビーちびっこマラソンにも出場していました。「参加賞でお菓子がもらえるので参加していました(笑)」。1年生から優勝を重ね、エスビーちびっこマラソン三重県大会では6年連続で優勝を飾りました。

エスビーちびっこマラソン三重県大会では6年連続で優勝を飾りました。1位の台に立つ佐藤さん

中学に入るとサッカーをやるか陸上をやるか迷った佐藤さん。「先輩からもサッカーの方がモテると誘われたんです(笑)。2つ上の兄がサッカーをしていたので、部活見学に行ったんです。久しぶりに兄のプレーを見て『これは(兄に)勝てない。世界が違う』と思って陸上部に入ることにしました」。佐藤さんが「兄にはサッカーで絶対勝てない」とすぐに感じとるほどの実力だった兄・健太郎さんはその後、プロサッカー選手に。現在もJリーグ・レノファ山口FCで活躍されています。

兄・佐藤健太郎さんのJリーグ400試合出場セレモニーの写真。違うスポーツでお互い刺激し合っているそうです(写真提供:レノファ山口FC)

「サッカーでは兄に勝てないけど、陸上の世界なら勝てるかもしれないと思い、そこから陸上一本でしたね」。陸上では県大会で上位に入るほどの成績でした。

さらに佐藤さんにスイッチが入ったのは、3年生の時に野球部から陸上部に転部してきたという岩井浩紀さんの存在でした。「岩井君は野球部で俊足・強肩なのに打率1割台で(笑)。なかなか試合に出られなかったんです」。最初は陸上のルールを知らず、リレーでインレーンに入ることもわからずにそのまま自分のレーンを走り続けて余分に長く走っていた岩井さんでしたが、それでも他チームから離されることなく爆走する姿に「こんなすごい人がいるんだから、もっと練習しないと! とスイッチが入りましたね」。ちなみに、岩井さんは陸上を続けて、なんと400mで日本選手権で7位入賞するほどの選手になったそうです!

陸上の原点となった上野工業高校での3年間

高校は上野工業高校(現:伊賀白鳳高校)へ。「中学の時の練習量が少なく、最長で4000mしか走っていなかったのですが、高校はレベルが違いすぎて心が折れそうになりました。慣れるまで大変でしたが、負けず嫌いだったので、とにかくついていきました」。なんとか食らいついっていったところ、1年生ではチームで8〜9番手に。

「これで来年の駅伝メンバーには入れそうだなと思っていたところ、とんでもない後輩が入ってきましたね!」。中学時代に全中で800m2位・400m7位、ジュニアオリンピックで800m優勝と全国区で活躍していた高林祐介さん(駒澤大学〜トヨタ自動車)が入学してきました。

「高林君は5000mのデビュー戦で16分かかっていたんです。やっぱり中距離ランナーだなと思っていたら、次のレースでいきなり14分台! こんなステップアップあるのかと衝撃的でしたね(笑)」。3年生の全国高校駅伝では佐藤さんは6区を走り区間7位。チームも5位となりました。

都大路で6区を走る佐藤さん(写真左)。この年、チームは5位入賞となりました

高校時代のベストは5000m14分50秒。「他の選手よりも突き抜けた感じはなかったですね。ただ、陸上の原点と言って過言ではない高校3年間でした」。競技としての陸上の楽しさを知ることができたといいます。

関東学連選抜で3年連続箱根出場

高校卒業後は平成国際大学へ。「大学に入ってから、高校よりもさらに練習量も増えました。高校までは朝練もなかったので。1年生の時はBチームでずっとやっていましたが、夏合宿明けの記録会で10000mを30分03秒で走れて、ちょっとやれるかもしれないと感じていました」

1年生の時は箱根駅伝の補助員に。「1区で補助員をしていて、高校の同級生・杉本将友(当時・東海大学)がスタートラインに立っていたんです。ものすごい悔しかったですし、いったい自分は何をしているんだろうと思いました。次は箱根駅伝を中から見たい! 出場したいと決意しましたね!」

2年生になって、チームとしては箱根出場はならなかったものの、佐藤さんは関東学連選抜入り。現在の関東学生連合は1回のみ出場可能ですが、当時の関東学連選抜は4回まで出場可能でした。

「2年生でようやくここに立てたなと思えました。3区を走ったのですが、嬉(うれ)しすぎてあまり記憶に残っていないです。いま思うと浮き足立っていましたね。中大の上野裕一郎さん(現:立教大学駅伝監督)、順大の松岡佑起さん、駒大の豊後友章さんに集団で抜かれていって、心が折れそうになりましたね(笑)」。初の箱根路は3区で区間16位。余談ですが、その時に抜いていった駒澤大・豊後選手についていた運営管理車にM高史は大八木弘明監督とともに乗車していました! 15年の時を経て、佐藤さんを取材させていただけることになるとは! ご縁に感謝です。

さて、3年生でも再び関東学連選抜入り。山下りの6区を任されました。「気持ち良かったですが、走っている時は自分がどれくらいで(区間順位)走っているかわからなかったです。途中で『区間賞いけるよ!』と沿道からチームメートが言ってくれたのですが『冗談だろ(笑)』と思ってました。もっと素直になっていればあと5秒くらい頑張れたかもしれません(笑)」。区間2位(1時間00分03秒)の好走でした。

3年生の時には6区を走り区間2位の好走

4年生では3年連続となる関東学連選抜チームに。「学連選抜慣れというか、ネットの掲示板にも『学連選抜の長老』と書かれていましたね(笑)」とのこと。

前年6区で好走していた佐藤さんでしたが、この年は4区に。前々年に6区で好走していた川内優輝選手が満を持して6区に登場し区間3位(59分27秒)の好走。「川内君と学連選抜で一緒にやれたのはいい経験でした。川内君は学生時代からストイックで、自分で考えて練習しているんだろうなって感じていました。強い選手を倒したいという少年漫画の主人公のような熱いエネルギーを感じる選手でしたね」。佐藤さんは4区で区間11位の走りで、3年連続となる関東学連選抜としての箱根路を駆け抜けました。

佐藤さん(35番)にとって現在にも繋がる経験ができた大学4年間となりました

感覚だけでなく競技の勉強をするなど、そういう習慣も今につながっている4年間となりました。

実業団選手、ランニングコーチを経験

大学卒業後は実業団・トヨタ紡織へ。「世界ハーフ5位入賞の中尾勇生さんをはじめ、そうそうたるメンバーがいらっしゃいました。毎日が勉強でした」。ただ、競技の方ではなかなか思うようにいきませんでした。「モートン神経腫になり、手術することになったんです。実は大学3年生くらいから少し気になっていました。足にメスを入れるのが恐かったですが、いま思えば手術を経験して、けがに対する捉え方が変わりましたね」。トヨタ紡織では2年間の競技生活となりました。

トヨタ紡織では手術も乗り越えて、2年間の競技生活となりました(左から3番目が佐藤さん)

その後はユタカ技研で2年、デンソーで1年、実業団女子チームのランニングコーチを務めました。デンソー時代は川内優輝選手の奥様・侑子さん(旧姓:水口さん)のランニングコーチも。偶然にも川内優輝選手とは学連選抜のチームメート、侑子さんとはランニングコーチと選手の間柄ということで、川内さんご夫婦ともに親交がある佐藤さんです!

競技者とは違った気遣いがランニングコーチには求められます。「一番意識したのは選手に変な不安を与えないこと。そして、ペースに対してのメッセージ性ですね。ランニングコーチの仕事は監督が指示したペースで走ることですが、選手のウォーミングアップを見て、入りをほんのわずか微調整するようにしていました」

ランニングコーチとして様々な気遣いをしながらペースを作ってきました

具体的には「スイッチが入ってなさそうだったら、始めの20歩だけちょっと速めに入ってあげて『ちょっと集中していこう』というメッセージを込めて走ったり、逆に溜めを作りたい練習なのに選手のテンションが上がりすぎている時は入りを抑えて入って『落ち着いていこう』といった感じですね」といった気配りも。さらに「ロードを走る時は起伏もあるので、必ず事前にコースをチェックしていましたね」。トラック練習で追い風、向かい風が強い場合には「例えば400mを76秒という設定の時に、200mを38秒、38秒でいくのではなく、37秒8の38秒2でいくとか、実際うまくいかないときもありますが、気遣いをするようにしていましたね」。プロの料理人の方の絶妙な塩加減のように、プロ意識を持ってランニングコーチも全うされました。

営業職を経て、再び陸上の世界へ

競技者として2年、ランニングコーチとして計3年を経て、その後はいったん陸上から離れることになりました。「3年ほど営業職に就いていました。自動車のターンテーブル、立体駐車場の台のメーカーで、営業から据付工事まで楽しくやっていました。負けたくないという気持ちや、失敗した時に『次をどうしたらいいか考える』というのは陸上の経験が生きましたね。陸上を通してお客さんと仲良くなったりもしたので、陸上に感謝ですね(笑)」

そして、昨年4月に中央発條陸上競技部でコーチに就任し、再び陸上の世界に戻ってきました。「日々勉強ですね。いい選手が多くて、そこに救われています。若い選手が多いので、これから伸びてくる面白いチームです!」とチームの魅力を語ります。

中央発條のコーチに就任。指導者としてのスタートを切りました

「中央発條はニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)に第1回から出場している古豪なんです。出ている時期、出ていなかった時期もありましたが、昔強かったチームをまた自分たちの手で上げていけるチャンスです。先輩たちがいらっしゃったらから挑戦できるチャンスですね。復活できたら、めっちゃかっこいいんじゃない!?と選手と話しています(笑)。そんな選手たちの成長を特等席で見れるので感謝ですね!」

選手全員自己ベストとニューイヤー駅伝15位を掲げています(右端が佐藤さん)

今後の目標をうかがったところ「選手全員自己ベストを出してほしいですね。チームとしてはニューイヤー駅伝15位を掲げているのでそこに到達したいです」と笑顔で話された佐藤さん。選手とともに古豪復活に向けて現状打破し続ける佐藤雄治さんのチャレンジは続きます!

M高史の陸上まるかじり

in Additionあわせて読みたい