北信越学生記録保持者・福田裕大さん 10000m28分台・起業家ランナーへ!
「M高史の駅伝まるかじり」は連載100回を迎え、101回目からは「M高史の陸上まるかじり」としてプチリニューアル!今回は福田裕大さん(24)のお話です。中学では3000mで全国3位。1500mで石川県中学新記録も樹立されました。高校2年の時にいったん競技を離れたものの、金沢大学3年で競技に復帰。日本インカレ、出雲駅伝、全日本大学駅伝にも出場、北信越学生記録を計5度更新されました。社会人となってからも市民ランナーとして走りながら10000mで28分台をマークし、都道府県駅伝石川県代表メンバーに。今も挑戦を続けています。
全国で活躍を見せた中学時代
石川県出身の福田さん。小学1年生の時にエスビーちびっこマラソンに出場。しかし当時は「体もぽちゃぽちゃでスポーツ全般できなかったです(笑)。短距離も遅かったですが、長距離だけは他のスポーツに比べてできる方でした」ということもあって、小学5年生で地元の陸上教室に通い始めることになりました。
高岡中学でも陸上部。「自分でも信じられないくらいうまくいきました」という中学時代。「顧問の先生はいましたが、ほとんど自分で練習メニューを考えてやってきました。他校の先生方からもアドバイスを求めたりしていましたね。自分で考えてやることに楽しさを感じていました」。1人で練習することも続けていくことで慣れていったといいます。
スポーツ全般が苦手だったという小学校時代から想像もつかないほど、長距離で才能が開花。3年生になると全日本中学陸上に出場。3000mで3位、1500mで9位と全国の舞台で活躍を見せました。1500m4分04秒22は昨年更新されるまで石川県中学記録でもありました。また、3000mでも8分40秒34で走り、都道府県駅伝にも石川県代表で出場しました。
「全国で入賞できたことで自信になりましたね」。この自信は陸上競技だけではなく、起業した現在にもつながっているといいます。
まさかのアクシデントで競技から離れる
高校は星稜高校へ。「野球の松井秀喜さん、サッカーの本田圭佑さんの母校ですし、スポーツの環境として充実しているので」と進んだものの、たまたま進学したタイミングで長距離を指導されていた先生が退職されました。それでも「中学時代と同じように自分たち主導でやることになりました」と気持ちを切り替えました。
1年生から頭角をあらわし、都道府県駅伝の石川県代表に。2年生で迎えた石川県高校総体では1500mと5000mの2種目で2冠を果たしました。「関東の大学からも何校か声がかかっていましたね」。大学関係者も注目する選手の1人でした。
インターハイ出場を懸けた北信越高校総体。6位までに入ればインターハイに進むことができます。予選をトップで通過して、迎えた5000m決勝。まさかの展開が待ち受けていました。「この日は炎天下で急に暑くなってきたんですよ。フィニッシュの100m前くらいからフラフラになりました」。なんとかフィニッシュしたものの「気がついたら医務室だったんです」。まさかの脱水症状でした。
そして、レース後だけではなく、その後も脱水症状の後遺症に苦しみます。「ずっと頭痛が残ったり、長い距離で踏ん張ると最後にクラクラしてきたり、全力を出せない時期が続きました。中距離に移行しようと思っていた時期もありましたが、うまくいかず、競技からいったん離れることにしたんです」
2年生の秋以降は陸上部から離れることになりましたが、退部扱いではなく籍だけは残していただいたそうで「いつでも帰ってこられる状態で温かく見守ってくださった先生方にはとても感謝しております」と振り返ります。ただ、先生方の温かさを感じながらも陸上部には戻ることができませんでした。
再び全国の舞台へ
高校卒業後は、地元の国立大学である金沢大学へ。「もう箱根はその時点で諦めていました。陸上だけの道で行くのはやめようと思ったんです。ただ走るのは好きでしたから大学に行ったらやろうかなと思っていました」
それでも1、2年生の頃は陸上部には所属せず、陸協登録をして個人で走っていたそうです。それが3年生になり、陸上部に入部することに。「中学時代や高校2年の前半まで全国で競り合っていた同期が箱根で活躍しているのを見て、自分も競技をやりたいなと思ったんです」。特に刺激となったのは当時・明治大学で走っていた坂口裕之選手(現・住友電工)でした。
「全中(全日本中学陸上)で自分が3位だった時に優勝したのが坂口君でした。大学に入って坂口君が病気(真性多血症)で走れなくなっていた時期に、それでも一生懸命頑張る姿を見て、勇気づけられました。そこで自分も陸上部に入って頑張ろうと思えたんです」
3年生で陸上部に入部し、スイッチが入った福田さん。中学時代に全国3位にもなったポテンシャルに加えて「練習だけは人一倍やっていました」と鍛錬を積み重ね、日本インカレに出場。さらには北信越学連選抜で出雲駅伝、全日本学連選抜で全日本大学駅伝出場を果たしました。
「出雲駅伝が終わった後のさよならパーティーで当時・早稲田大学だった永山(博基)君(現・住友電工)が覚えていてくれたんです。永山君は全中で4位でした。それだけ期間が経っているのに嬉しかったですね」
全日本大学駅伝では全日本学連選抜の7区。「北信越地区から1人しか選ばれないですし、レベルが高い中で走れるのは光栄でしたね」。北信越学生記録を5度更新(5000mで3回、10000m、ハーフマラソン)するなど、北信越地区での実績を積み上げての全日本学連選抜入りでした。ちなみに今でも5000m、ハーフマラソンで北信越学生記録を保持されています。
出雲、全日本と関東勢の厚い壁を感じながらも「三大駅伝にこういった形で参加できるというのは、しみじみ思うところがありました。いったん箱根を諦めた身としては、まさか出場できるとは思っていなかったです」。競技から離れて再び学生駅伝で中学・高校のライバルたちと同じ舞台で走ることになるとは想像もつかなったそうです。
それでも日本インカレでは「もうちょっと頑張れば上に行けるかなと思っていましたが、関東の大学のエースたちにはなかなか敵わなかったですね。中学で戦えていた分もどかしい気持ちでした」。と悔しさもにじませました。
「いったんレールから外れて、戻ってきただけはなく、走る楽しさを再確認できたのは大きかったですね。走り始めた時の新鮮な気持ちを思い出しましたし、競技漬けの時は忘れていました。あのまま続けていたらどうなっていたかわからないなと思います」と学生時代を振り返りました。
起業、自己ベスト連発の社会人生活
大学卒業後はランナーズコネクション合同会社を起業しました。なんと、大学時代からアプリを作っていたという福田さん。「強豪校に行っていたらできなかったようなことをやっていましたね(笑)」。お仕事内容は主にフィットネス関係のアプリを作ったり、企業様からお仕事を請負ったり開発をしているそうです。
「自身のプロジェクトでは、細かなフィットネスアプリに加え、3DCG関係の企業様、声優、デザイナーの方々と連携して開発したフィットネスアプリが直近では大きなプロジェクトになりますね。最近はソーシャルゲームの開発やランニング指導の現場で利用できるAIの開発にも挑戦しています。請負業の方では、最近教育現場でもデジタル化が進んでいることもあり、主に教科書企業様や民間の教育関係の企業様のプロジェクトに参画しています」。様々なプロジェクトを任せていただけるのは貴重な経験になっていると福田さんは感謝の気持ちを話されました。
さらに、仕事をしながら走り続けて、学生時代の記録を更新。5000mは14分06秒30、10000mでは1年で1分以上自己記録を更新して28分52秒10!
10000mでも28分台に入り、高校1年生の時以来となる都道府県駅伝石川県代表入り。当日は補欠となりましたが「もうちょっと力をつけて、実業団とか箱根駅伝に出場している選手と勝負できるようにしたいですね」と負けん気をのぞかせます。
また都道府県駅伝では中学時代のライバルだった坂口選手にも再会しました。このときはお互いアンカーの補欠でした。「8年ぶりの再会でしたが、坂口君とはたまに連絡を取り合っていたんですよ。大学時代もタイム伸び悩んでいた時期にアドバイスしてくれたので、そのときのお礼も含めて挨拶させてもらいました」
ライバルから刺激を受け、走りにも磨きをかけています。「普段は午前中に2時間くらい集中してトレーニングしています。その後はエンジニアの仕事ですね。プログラミングの仕事は夜間になることが多いです。夏は夜の時間帯に練習したい時もありますが、仕事の関係で難しいですね」と限られた環境下で現状打破しています。
先日のびわ湖毎日マラソンに出場し2時間18分46秒とマラソンでも自己記録を更新しつつ「今後はトラックでスピードを磨きたいです。いつか日本選手権にも出場したいですね」と力強く目標を語りました。
陸上、仕事に関して自ら切り開いてこられた福田さん。「前例にとらわれず、この状況で何が最適解なのか考えて行動しています」。新たな目標に向かって日々挑戦し続ける福田裕大さんの活躍に今後も注目ですね!