陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

3000mSCで日本選手権4度出場! 北海道最速・理学療法士ランナー神直之さん

北海道文教大学OBの神直之さん(北星病院)。理学療法士として勤めながら日本選手権にも出場しています(提供記載写真以外すべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は神直之(じん・なおゆき)さん(31)のお話です。北海道文教大学で日本インカレ3000mSCに出場。出雲駅伝にも北海道学連選抜で出場されました。理学療法士を取得し、北星病院に勤めながら走り続け、3000mSCでは日本選手権にも4度出場。北海道最速・理学療法士ランナーです。

県大会止まりだった高校時代

青森県出身の神直之さん。小学校の青森市大会で1000mを走る機会があり、3分27秒で7位の成績でした。「当時、野球をやっていたのですが、7番外野手で特に目立たない存在でした。野球も楽しかったですが、陸上は個人で成績が出るので魅力的に感じました」ということで中学からは陸上部に。

中学では専門的な指導者の方もおらず、今ほど情報もありませんでした。「先輩に『インターバルっていいらしいよ』と言われても具体的に何をやればいいかわからないような状態でしたね(笑)」。中学では800mで青森市大会6位が最高、県大会にも行けませんでした。この頃はまさか将来、日本選手権に出場できるとは思ってもいなかったそうです。

高校は青森南高校へ。「5000m15分台の先輩が2人いましたが、結局人数が足りなくて駅伝には出られませんでした」。最初は練習の5000mで17〜18分かかっていたそうですが、1年生の終わりに16分59秒。2年生で16分半、3年生で15分47秒と着実に記録を縮めていきました。

3年生で迎えた青森県高校総体では5000mで8位に。「青森山田高校の3人、八戸光星学院の3人、県立の選手が1人、その次でしたね。東北大会を目指していましたが、毎年、青森山田と八戸光星学院で6枠が埋まるんです(笑)当時、1つ下に田村優宝選手(日本大学~日清食品グループ)がいたり、留学生もいましたし、県大会からトラックで周回遅れにされていましたね」。東北大会には進めず、5000mに限界を感じていたこともあり、部活引退前に3000mSCに出場したことが転機となりました。

「初めて走った大会で9分50秒で走れたんです。2度目となった東北選手権では9分26秒で走れて、サンショーの適性を感じました」。5000mよりも通用するのではという思いになっていったそうです。

北海道文教大で日本インカレ、出雲駅伝出場

高校卒業後は北海道文教大学へ。スポーツにも携われる仕事をと考え、理学療法士の国家試験受験資格が得られるということで決めました。

ただ、北海道文教大学では、陸上は同好会のような形で集合は週に1回程度。砲丸投の選手、走高跳の選手、そして神さんの3人しか大会に出場する選手はいませんでした。

それでも「大会の申し込みをしてくれるマネージャー的な役割をしてくれる先輩にお世話になりました。その先輩のおかげでインカレの存在を知ったんです」。北海道インカレで優勝すると日本インカレに出場できるということで、北海道インカレ優勝を毎年目指すことになりました。

大学2年生では出雲駅伝の北海道学連選抜のメンバー入り。「選考会で6番に入ってギリギリ出場できました。初めての出雲駅伝ではテレビで見るような選手ばかりでしたね。さよならパーティーのときにいろんな選手と交流を持てたことで自分の世界観が変わりました。このままじゃダメだなと思わされました」。4区を走り区間17位となった出雲駅伝でさらに気持ちに火がついていきました。

出雲駅伝さよならパーティーで競技への世界観が変わりました(写真右が神さん)

3年生になると北海道インカレ3000mSCで優勝を飾り、目標にしていた日本インカレにも出場しました。当時、日本インカレで優勝したのは今年の東京五輪日本代表となった山口浩勢選手(現・愛三工業)。神さんは全国の強豪相手に15位でした。

出雲駅伝には2年連続で北海道学連選抜チームに選出。全国で戦うためには北海道で1番を取らなければということもあって「エース区間を走りたい」という気持ちもあったそうですが、2度目の出雲は5区を走りました。区間17位でした。

北海道インカレで優勝を飾り、日本インカレ出場を決めました

競技と学業の両立は大変な部分もありました。「理学療法士の国家試験受験資格には8週間の実習が2回必要なんです。4年生では実習が春と秋にあって、ちょうどインカレ、出雲駅伝に重なっていました」。出雲駅伝は選考会ではメンバー入りしていたものの、実習の日程の関係で走ることができませんでした。

「最終学年でという思いもあったのですが……」という不完全燃焼な気持ち。結果的に社会人でも続けようという1つの理由にもつながっていきました。「大学4年間は出会いに恵まれましたね。北海道教育大学の方と仲良くなり、練習、合宿でもお世話になりました」。出会いって素晴らしいと思えたそうです。

出雲駅伝さよならパーティーにて北海道学連選抜の皆さんと(前列右から3番目が神さん)

理学療法士ランナーに

理学療法士の国家試験も無事に合格し、大学卒業後は北星病院にて理学療法士として勤めながら競技も継続。「最初は仕事と競技の両立は難しかったですね」とふりかえりますが、社会人になってからも走り続けるモチベーションは友人の存在でした。

「大学で知り合った北海道教育大学の友人・木村直也くんが1500mで日本インカレ7位にもなっていて、日本選手権にも出場していました。彼から一緒に出ようと誘われたんです。その頃3000mSCは9分17秒がベストだったので当時は『ちょっと厳しいな』と思っていましたが(笑)」。ちなみに木村さんは大学3年生の時に出雲駅伝で襷(たすき)を繋いだ仲でした。

友人の木村直也さんと。互いに刺激し合い、夢を語り合いました

社会人になってからの2年間は3000mSCから一度離れて、マラソンに挑戦していました。「東京マラソンが初マラソンでした。沿道の応援も途切れなかったですし、ランナー1人ひとりにいろんなドラマがあり、こういう楽しさもあるんだなというのが社会人陸上を楽しめたきっかけでした」

初マラソンは2時間22分で走破。さらに「マラソン後に1500m3分台のベストが出せたらオールラウンド選手といえるかなと思いまして」と1500mにも挑戦し、3分54秒と自己ベストも更新しました。

2016年から4回日本選手権に出場

その後も年々自己ベストを更新していった神さん。「元々、10000mやマラソンとか長い距離が苦手でした。逆に1500mとかのスピードも苦手でしたね(笑)。運動生理学も勉強して、乳酸閾値、ランニングエコノミーなど幅広い視点で、自分の苦手なところはどこだろうと分析していきました」

さらに自らの職業である理学療法士としてのスキルも存分に活かされています。「練習過程の中で、痛みや違和感が出たりなど故障しそうな場面があるのですが、理学療法士として勤めてからはそれが筋力不足からくるのか、どこかの関節・筋肉が硬くて患部に無理がかかっているだけなのかをセルフチェックできるようになりました。それにより故障による長期離脱がなくなり効率的に強くなれたと感じます。今では『自分が好きな練習』と『必要な練習』を分けながら、自分自身の筋トレやストレッチ、ランニングメニューの作成がスムーズに行えるようになりました。実際に取り組んでみて弱点はどこなのか、いろんな練習を試して、取捨選択しています」。俯瞰的に判断して、理にかなった練習を取り入れていきました。

努力をつづけ、ついに夢だった日本選手権のスタートラインに立ちました

2016年には第100回日本選手権に25歳で初出場。「木村くんと『第100回(日本選手権)に出たらすごいよね』と話していたことが現実になりました」

この年はリオ五輪開催の年でした。大迫傑選手(Nike)の凱旋帰国・出場のタイミングとも重なり、4万人近い大観衆に神さんも興奮。「歓声が凄くてホワホワしてました(笑)。テレビの中に来てしまったような感覚でしたね!」

初出場となった2016年の日本選手権(神さんはゼッケン55番)

その後もコツコツと練習を積み重ね、昨年から今年にかけて自己記録を連発。1500m 3分50秒34、5000m14分02秒85、10000m29分27秒01、3000mSC8分47秒16と立て続けにベストを更新。

4度目の出場となった今年の日本選手権は、五輪代表が決まる大一番。三浦龍司選手(順天堂大2年、洛南)が日本記録を樹立した激熱レースでした。「三浦くんと一緒に走ってみたいなと思っていたので、感動しましたね。ただ、100mくらいでもう行ってしまって、速かったですね(笑)」。三浦選手の凄さに脱帽しながらも、神さんは自己ベストに迫る8分52秒30で15位の走りでした。

4度目の出場となった今年の日本選手権。五輪代表を懸けた舞台に挑みました。最後尾のゼッケン94番が神さん(写真提供・宮下亜弓さん)

「同じレースで日本記録が出たこと、その場にいられたことは嬉しかったですね。走っていてラスト200mでの場内のどよめきは忘れないです。地響き感じました」。神さんがラスト200mを走っていたタイミングが三浦選手が日本記録を更新して優勝を飾った瞬間でした。

限られた環境で現状打破

「職場からも応援していただいています」という神さん。日本選手権や東京マラソンに出場すると話題にしてもらったり、患者さんからもよく応援されているそうです。

日本選手権出場など、神さんの活躍ぶりは、職場の皆さんや患者さんからも応援していただいているそうです

ホクレン・ディスタンスチャレンジにも毎年のように出場。今年も士別、深川、網走、千歳と4戦にわたって出場しました。

冬場の練習は北海道ならでは。「ひたすら、吹雪の中ジョギングですね(笑)。あとは週1回、遠いのですが室内ドームに行ってスピード練習も入れますが、基本的には土台作りに集中ですね。メンタルも鍛えられました」。マイナス20度にもなる冬場も心身を鍛えてきました。「5000mの記録が伸びていますが、3000mSCの技術の改善も必要です。ハードル練習は車止めを跳んだりしています(笑)」と限られた環境でも現状打破されています。

限られた環境でも創意工夫し、挑戦を続ける神さん(写真提供・宮下亜弓さん)

今後は「3000mSC8分43秒の北海道記録更新」「5000m13分台」の目標を掲げる神直之さん。北の大地を駆ける理学療法士アスリートの挑戦は続きます!

M高史の陸上まるかじり

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