大東大で関東インカレ優勝の金塚洋輔さん 山形県上山市から陸上界へ恩返し!
今回の「M高史の陸上まるかじり」は金塚洋輔さん(36)のお話です。大東文化大学では関東インカレ2部10000m優勝。実業団・HONDAでは東日本実業団駅伝で区間賞を獲得、ニューイヤー駅伝にも出場しました。現在は山形県上山(かみのやま)市役所に勤務しながら山形南高校陸上部の外部コーチをされています。
サッカーから陸上の道へ
岡山県出身の金塚洋輔さん。元々はサッカー大好き少年でしたが、邑久(おく)中学2年生の時に陸上部の顧問の先生に誘われたのがきっかけで陸上を始めました。「陸上部が強くて、ついていくのが大変でした」。個人でも駅伝でも全国大会に行くのが当たり前のチームでした。
金塚さんも全国中学駅伝に2年連続で出場します。2年生の時は初の全国で「どうしていいかわからない」ほど緊張していたそうですが、3年生になるとチームの3000m平均も全国で8番となり、入賞を狙って挑みました。結果としては13位と入賞には届かなかったものの、順位は当時の岡山県記録。金塚さんも「自分の持っている力を出せました」とアンカー6区で区間3位の力走を見せました。
厚かった倉敷高校の壁
高校は玉野光南高校へ。「中学の時に、高校でサッカーをやるには体力が必要だと思って陸上部に入っていたのですが、高校でも陸上を続けました」
入学当初は自宅から1時間半くらいかけて通学していたこともあってか、うまく走れない時期もあったそうです。1つ先輩の大川真幸さんのアドバイスもあって、2年生からは大川さんと寮生活を送りました。インターハイ3000mSC4位にもなった大川さんに引っ張られて、金塚さんも力を伸ばしていきました。
競技では「中学では駅伝で全国へ行くのが当たり前でしたが、高校では個人でも駅伝でも倉敷高校の壁が相当高かったです」。岡山県といえば倉敷高校が昨年で岡山県高校駅伝43連覇を達成していますが、当時も県内では他チームを圧倒していました。
そんな中、3000mSCでインターハイに出場しました。「3000mSCなら全国の可能性があると思っていましたが、インターハイでは予選落ちでした。先輩の大川さんがインターハイで4位に入っているので自分もという思いもあったのですが。駅伝では倉敷高校に3年間勝てず、思うような結果が残せなかったですね」という高校時代でした。
尊敬する柴田純一さんとの出会い
高校卒業後は大東文化大学へ。「寮に入って初日にホームシックになりました(笑)」という学生生活がスタートしました。高校でも寮生活でしたが、大学の寮となると1年生の仕事や上下関係など慣れないこともあったそうです。
そんな金塚さんが「陸上人生に欠かせない大きな存在」と話されたのが、当時4年生だった柴田純一さん(現・埼玉医科大学グループ男子駅伝部監督)でした。「走りもかっこいいですし、尊敬している先輩でした。この人みたいになりたいと憧れていましたね」。柴田さんは金塚さんにも声をかけてくださり、卒業後も気にかけてくださったそうです。
ちなみに埼玉医科大グループが今年のニューイヤーに初出場しましたが、「嬉しくて、すぐ柴田さんに連絡しましたね」と今でも尊敬し、連絡を取る仲です。
柴田さんのアドバイスもあってか、2年生で一気に飛躍。出雲、全日本、箱根と学生3大駅伝にフル出場。「こんなに早く駅伝に出られると思っていなかったです。入学した時は4年間で1回でも箱根というくらいにしか思っていなかったのですが、2年で駅伝メンバーで走れるのは嬉しかったですね。大学の名前を背負って走っているので緊張もありましたが、楽しめました」。1人で走るよりは集団で走る方が持ち味を活かせたということで駅伝では1区や2区をよく任されました。
関東インカレで表彰台独占
4年生の関東インカレには特別な思いを込めていました。
「卒業してから実業団で競技をしたい、特に先輩の柴田さんを追いかけてHONDAに行きたいという思いがありました。ただ、それまで結果を残せていなかったので、結果を残すなら関東インカレしかないと思っていました」。入賞したいと思って挑んだ関東インカレ2部10000mでは優勝を飾り、しかも大東文化大学1、2、3位と表彰台独占を果たしました。
「練習がしっかりできていましたが、言い過ぎかもしれないですが優勝した時は夢のようでした」と会心の走りで初優勝を飾りました。
一方で「駅伝はなかなかうまくいかなかったですね。特に箱根では20kmを走るのに自分の体が対応できていなかったです」。4年生で挑んだ花の2区では区間最下位の結果に「力不足です」と話しながらも、「目標としていた箱根駅伝を走れて、関東インカレで優勝できて、良かったことも悔しかったことも経験できました」。また当時ご指導されていた只隈監督について、「只隈さんじゃなかったら、ここまで伸びていなかったと思います。かなり情熱的な熱意のある監督でした」と感謝の気持ちも話されました。
実業団・HONDAでの7年間
大学卒業後は尊敬している先輩・柴田さんの後を追ってHONDAへ入社。「白に赤字のユニホームに、喜びとやらなきゃいけないという使命感を感じましたね」
「トラックが得意で好きでした。ロードよりもトラックの方が力を出せるタイプでしたね」と得意なトラックでは織田記念5000mで7位(日本人2位)。ニューイヤー駅伝1区では区間9位。「HONDAが優勝候補にあげられていたのですが、もうちょっと自分では走れたかなぁと、レース展開で少しミスをしたかなと思いますね」
HONDAでは7年間の競技生活でした。「けがに苦しめられた7年間でした。なかなかうまくいかずもどかしかったですね」と納得いく結果は残せなかったそうですが、強い選手に囲まれて過ごした7年間は貴重な経験となりました。
縁あって山形県上山市へ
現役引退後は1年間、社業に専念したのち、山形県上山市役所の職員となりました。「妻が山形県出身でこどもも小さかったのと、ご縁もあって上山に行くことになりました」
山形県には毎年4月下旬に縦断駅伝(山形県縦断駅伝競走大会)があります。60年以上も続く歴史があり、3日間をかけて県内300km以上を走り抜ける駅伝で、各市町村が力を入れています。
「上山市も駅伝チームを作って出場しています。競技場やロードなどで一緒に練習していますが熱いですね! 山形県にはすごい速い市民ランナーがたくさんいるんですよ! 5000m14分前半、10000m29分台といった市民ランナーの方も多いです」。山形県縦断駅伝という舞台があることもあってか、もはや市民ランナーという表現が適しているかわからないほど、フルタイムで仕事をしながら走られている方々がとてもハイレベルです。
2016年7月に行われた市民ランナーのクラブ対抗日本一を決める「ミズノWAVE EMPEROR CUP」決勝大会では、関東の強豪チーム Team M×Kをアンカーの金塚さんが逆転し優勝。ちなみにチーム名は『強くなろーの会』。「とりあえずつけた名前だったんですよ(笑)」といいますが、そのチームで日本一を達成しました。
また、市役所のお仕事をしながら、ご縁、繋がりもあって、山形南高校陸上部の外部コーチに就任。「教えるということは自分自身も勉強になります。自分が理解していないと教えることはできないです」
コーチとしての指導で心がけていることは「『自分がやってたからできるでしょ』というのは通用しません。タイプが色々あると思うので、見極めながら考えた上で指導していきたいですね。この機会を与えていただいた半田亘先生(山形南高校陸上部顧問)には本当に感謝しています」。山形南高校は山形県高校駅伝で2018年が5位、2019年が3位、昨年が2位と着実に力をつけています。
上山から陸上界への恩返し
また、上山市では合宿の誘致も行なっています。「蔵王坊平アスリートビレッジは標高1000mの準高地で、ナショナルトレーニングセンターとしてスポーツ庁から指定を受けている施設です。高地トレーニングを行うことができます」。駅伝で活躍する大学や実業団の合宿でも利用されています。
「私ができるようなことは、この場所をいろんなチームの選手に知っていただき、使っていただいて上山市が盛り上がっていったらと思っています」。トレーニング施設も充実していて、クロカンコースも3km、2km、1kmコースとバリエーションも豊富。昨年4月にはリカバリーセンターもでき、温泉や交代浴ができる施設もあるそうです。聞いているだけで走りに行きたくなってきますね(笑)。
「自分が経験してきたことを指導の方で、少しでも還元していけたらと思っています」という金塚さん。ご自身もまだ走られていて「もうちょっとまだ走りたいなと思います。今は5000m14分50秒とか頑張っても14分40秒くらいですけどね」と謙遜されますが、今年37歳になる金塚さん。まだまだ走りは健在ですね。
また、新たな取り組みとして「K-project」というチームを立ち上げました。「以前は山形県内の選手を集めたチームで活動していましたが、県内だけではなく東北地区に広げました」。コロナ禍の影響もあり、明確な目標が見えにくい市民ランナーさんもいる中で、モチベーションを上げられるような面白いことをしたいと考えるようになったのがきっかけでした。
「日本陸連にクラブチーム登録をして、11月に開催される東日本実業団駅伝に参戦します。今年からクラブチームでの出場が可能になりました。一つの目標をチームで共有することでモチベーション向上を図りたいです。将来的にはもっと大きなチームにしたいと思っています」。金塚さん自らが監督を務めるK-project。東洋大学OBで三大駅伝経験者の大澤駿選手、市民ランナーながら5000m13分台・10000m28分台をマークした朝倉和眞選手といった実力者も揃います。
山形の地で、新たな目標に向かって挑戦し続ける金塚さんの現状打破な陸上人生は続きます。