陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

1500m前日本記録保持者の小林史和さん 指導者として描く五輪への道!

1500m前日本記録保持者の小林史和さん。現在は愛媛銀行女子陸上部で監督をされています(写真提供すべて本人)

5月29日アメリカ・オレゴン州で開催されたポートランド・トラックフェスティバルにて、荒井七海選手(Honda)が1500mで3分37秒05と17年ぶりに日本記録を更新しましたね。今回の「M高史の陸上まるかじり」は1500mで17年もの間、日本記録を保持されていた小林史和さん(43)のお話です。

拓殖大学では4年連続で箱根駅伝に出場。実業団・NTNに進んでから本格的に1500mに取り組み、3分37秒42の日本記録を樹立。世界陸上では準決勝にも進出されました。2012年に現役を引退し、現在は愛媛銀行女子陸上部で監督を務めています。

「かけっこが好き」陸上競技の原点

岐阜県出身の小林史和さん。元々かけっこが得意で小学校2年のときに地元の「親友陸上スポーツ少年団」に入り、陸上を始めました。自然な流れで中学でも陸上部に。「当時は長距離だけでなく短距離、走幅跳などいろんな種目もやっていました」。中学2年の冬に出場した駅伝以降は長距離をしっかりやっていこうと決めました。

「同じ中学にもう1人速い選手がいて、僕はいつもナンバー2でした。中京商業高校(現・中京高校)の德重義明先生がナンバー1の選手をスカウトに来ていて、その時に僕も『面白そうだな』と思っていただけたようです。高校に行けたのはその子のおかげですね(笑)」

中京商業高校に入ってからは入学前とのギャップを感じました。「当時、厳しいと評判の陸上部でしたが、寮生活が本当に厳しくて、僕という人間が形成されたのは間違いなくこの高校3年間ですね。今思えばよくあそこで3年間できたなと(笑)」。心身ともに鍛えられたそうです。

高校1年の都大路では2区を務め区間8位でした

「親元を離れて、みんなで一つ屋根の下、同じ釜の飯を食べて、先生や奥様にも本当にお世話になりましたね」。入学当時は目立つ実績のなかった小林さんでしたが、先輩にも恵まれて、無我夢中でついていった結果、都大路に1年生から出場し2区を走りました。「憧れていた先輩と襷(たすき)をつなぎましたし、チームとしても6位入賞ですごくいい思い出でした」

2年生の都大路では花の1区。3年生になると個人でもインターハイ5000m13位、国体少年A5000mでは14分09秒02で4位となり、当時の岐阜県高校記録も更新しました。

都大路の1区を走る小林さん

順調に成長を見せていた中、突然の訃報が。「国体のあとに德重先生がお亡くなりになりました。国体で記録を出してよくやったと言っていただいたのに。気持ちの整理も難しかったですが、そのまま都大路を迎えました。先生に今までお世話になったものを全部ぶつけましたね」。恩師との突然の別れはつらいものでしたが、その後の陸上人生を支える信念となりました。

恩師のメッセージは今でも選手指導で生かされています

「今でも陸上に携わっているのは、僕が先生の最後の作品だなという気持ちからです。そう簡単には陸上から離れられないなという気持ちでいます。『強い選手である前に立派な人間であれ』という先生の教え、陸上の成績だけでなく世の中に出ても人間的に恥ずかしくないようにという先生のメッセージは今の選手たちの指導でも心がけています」。恩師にも先輩にも恵まれた中身の濃い高校3年間だったそうです。

山あり谷ありの大学4年間

高校卒業後は拓殖大学へ。「尊敬する高校の先輩の影響で、先輩が拓大に行くと決めてからは僕も拓大一択でした」。大学4年間は「厳しい高校生活に比べて、ある程度自由な大学に少し甘えてしまったところもありました。熱いもの、強くなろうと気持ちがちょっと薄れていたんじゃないかと、今になって思います」とふりかえりました。甘えがあったという学生時代でしたが、箱根駅伝では1年生、2年生と山下り6区を任され、それぞれ区間8位、区間7位の成績でした。

3年生になった第75回箱根駅伝では拓殖大学の戦力が充実し、上位争いも期待されていました。小林さんは元々6区を予定されていたそうですが、好調もありチーム内の区間入れ替えで4区を任されることに。ところが……「レース直前に発熱したんです。本来なら発熱したことを正直に言わなければいけないのに、自分のわがままでチームに迷惑をかけてしまいました」

まさかの当時15チーム中、区間最下位となり、4位でもらった襷を14位まで落としてしまう失速でした。結果は総合11位。「シード権確実と言われたのに僕のせいで落としてしまいました。監督からの信頼を失ってしまいましたね」と忘れられない箱根路となりました。

3年生の箱根では直前の体調不良の影響で悔しい走りとなりました

4年生になると主将を任されることに。「裏切ってしまった信頼を取り戻したいと、自分から志願しました。仲間が支えてくれて、自分で逃げ道をなくして本気でやりましたね。(当時の)米重(修一)監督からも『最後までしっかりやり切れ』と言われて箱根では再び6区を走りました」。4年生最後の箱根では区間6位と、4年間の中で最も区間成績も良い走りとなりました。

「今となっては谷底までいったような4年間でしたが、長い陸上人生の中では必要だったことなのかなと思っています」。山あり谷ありの4years.を過ごされました。

山あり谷ありの4年間となった拓大時代(前列中央が小林さん)

NTNで本格的に1500m挑戦

のちに1500mで日本記録保持者となる小林さんですが、大学では1年生の関東インカレで1500mを走って以来、ずっと1500mのレースへの出場機会はありませんでした。

拓殖大学を卒業して実業団・NTNへの入社にあたり、恩師・米重監督からNTNで当時指導されていた愛敬重之監督に「小林は元々スピードランナーだから、小林のスピードを復活させてほしい」とお願いがあったそうです。チームとして箱根を目指していたためスピードを活かすことができなかった事情がありました。

「この話は後から聞きました。箱根という舞台のためにそれ(スピード)に特化することができなかったと。箱根駅伝のためにチームがありましたし、僕自身も箱根を目指していました」。さらに学生時代に箱根を目指してスタミナを強化したことについては「自分の特性が活(い)かされて良かったと思っています。スピードを落とさずに押していくのが僕の武器となりましたので」。箱根を目指してきたことは1500mをハイペースで押し切る小林さんの強みとなりました。

2000年にNTNへ入社し、翌01年には日本選手権1500mで初優勝を飾ります。日本一となり、いよいよ本格的に1500mに打ち込むことになりました。

「そこから1500mを本格的にやらせてくれたNTNに感謝しています。(チームとしては駅伝でも結果を残さなければいけない中)わがままじゃないですが、聞いてくれたのが嬉しかったですね」

ヨーロッパ遠征など海外レースも積極的に経験しました

02年にはアジア大会で初の日本代表に。「ものすごい緊張しましたね。同じ1500mの代表には徳本一善くん(現・駿河台大学駅伝部監督)もいました。自分が結果を出すと、今まで知らなかった世界が見えてきますし、本格的にもっとやりたいと思いました」。その頃から日本記録を意識するようになりました。

27年ぶり日本記録更新!

当時の1500m日本記録は石井隆士さん(現・日本体育大学陸上競技部顧問)が1977年に樹立された3分38秒24で、長らく破られていませんでした。

「その頃(2002年)から日本記録に何度も挑戦して、何度も壁に跳ね返されました。当時はヨーロッパが強かったのでヨーロッパの選手の練習を研究して、日本人ができるバージョンにアレンジしていました。乳酸耐性をつけるトレーニングもしていました。乳酸が溜まっている状態で、もう1本、もう1本という練習をしていました」。聞いているだけでキツそうな練習ですが「いろんなバリエーションの練習があって楽しかったですよ。長距離の30km走とか性格的に苦手だったのですが、1500mの練習は速いペースで楽しかったですね」。得意な1500mの練習には水を得た魚のように、むしろ楽しさを感じていました。

日本記録更新に向けて何度も挑戦を重ねました

日本記録を意識し、挑戦し続けてから2年半後の04年7月31日。ベルギーで開催されたナイトオブアスレチックスでついに3分37秒42の日本記録を樹立しました。石井隆士さんの日本記録を実に27年ぶりに更新。

「日本記録をここで出さなきゃいつ出すんだ、っていうくらい調子も良く、グランドコンディションも良かったです」と好コンディションに加えて「僕はBレースだったのですが、その前にメインレースがあって、世界記録保持者のヒシャム・エルゲルージ選手(モロッコ)が出場していたんです。初めて3分30秒を切るレースを生で観戦できてテンション爆上がりでしたね(笑)。海外レースも経験していてそこまで緊張せず、大きな選手がいても臆することなく走れました」。ペースメーカーが引っ張るハイペースに挑み、57秒、58秒、58秒とラップを刻み2分53秒で1200mを通過。

「1200m通過でこれは(日本新が)出ると思いました。ラスト200mのスタッフの声で確信に変わりました。目標としてたものが達成できて感無量でした。ただ、ラスト300mが上がっていなくて42秒後半か43秒前半くらいでした。ラストは僕の課題でしたが、逆にずっと速いペースで押すことはできるんです」。

日本記録も達成し、その後は世界陸上の日本代表にも05年ヘルシンキ大会、07年大阪大会の2度選出されました。

「ヘルシンキ大会では直前に坐骨神経痛になってしまい、予選最下位でした。日本代表なのに不甲斐なかったですね。同じ失敗は同じ舞台で返そうと、大阪大会ではその借りを返すことができました」。プラスで拾われて予選を通過し準決勝に進出しました。

「世界の駆け引きやペースの上げ下げは凄くて、とにかくラストの上がり方が半端ないんです。正直、太刀打ちできないくらいのレベルの違いがありました」と世界とのレベルの差を感じていました。

1500mで勝負するための戦略

「ペースコントールがものすごい大事」と1500mの奥義を語った小林さん。「どういうラップタイムだったら目標に近づくかシュミレーションして練習していました。無謀に突っ込んでも後半失速しますし、遅すぎても後半上がらないので、ペースコントロール、レースペースを意識して練習していました」。レースの場合は「自分のパターンに持っていくように、自分が勝ちやすいように仕向けたり、出場する選手のくせ・強み・弱点などを把握して、相手の研究もしながら自分の必勝パターンをレースの中で出していけるようにしていました」。ウォーミングアップで他の選手との何気ない会話からも戦略を立てていたそうです。

日本選手権1500mでは4連覇を含む計6度の優勝

1500mに向けてスピードもスタミナも強化ということで、1000m(2分19秒65)と2000m(5分07秒24)でも日本記録を樹立しました。

「普段なかなか行われないレースでの日本記録ですね。1000mに関してはそれなりにいい記録だなと思いますが、2000mに関しては滅多にやらない種目ですし、今の5000mの選手たちは通過タイムでクリアできるのかなと思います」と謙遜されますが、現在も日本記録として残っています。

日本選手権でトータル6度の優勝を飾られ、12年に現役を引退された小林さん。「いい陸上人生でした。山あり谷ありでしたが、仲間やご縁に感謝ですね。今でも親交があって幸せ者だなと思います」と感謝の言葉を口にされました。

仲間やご縁に感謝という競技人生でした。写真は引退レース

指導者としての挑戦

現役引退後は県立岐阜商業高校で4年間、外部コーチを務めました。「勉強になりました。子どもたちや県内の先生方から指導の基本を教えてもらいました。新しい世界を見ている感じでした。成長してくれる、素直に吸収して伸びてくれることに楽しみを見出していました」

16年には愛媛銀行女子陸上部創部とともに監督に就任。小林さんの奥様・美穂子さんが寮母を務め、選手の食事作り、相談に乗ったりもされるそうで「実業団では他にないと思います。ありがたい存在ですし、よくやってくれてるなと思います」と奥様の支え、存在がとても大きいそうです。

寮母を務める美穂子さん。食事作りや選手の相談に乗るなど愛媛銀行女子陸上部を支える縁の下の力持ちです

最近では山中柚乃選手がめざましい活躍をとげています。今年4月の兵庫リレーカーニバルにて2000mSCで6分19秒55の日本最高記録! 日本記録保持者の教え子が日本最高記録樹立となりました(2000mSCは特殊種目のため表記は日本最高記録)。さらに3000mSCでも5月のREADY STEADY TOKYOで9分46秒72で2位、日本歴代4位のタイムと好記録を連発しています。

山中選手は高校時代、そこまで強くなかったそうですが「そういう選手が成長してくれるのがうちのチームのやりがいですね。個人個人が目標を持って一生懸命やっています。駅伝を目指すチームではありますが、僕自身が中距離をやっていたので、自分のやりたい種目や専門種目に専念できるようにしてあげたいですね」と選手の気持ちを尊重し選手の特性を活かした指導。山中選手をはじめ選手がイキイキと走れる環境につながっているんですね。 

愛媛銀行女子陸上部のサンショーコンビ、山中柚乃選手(左)、主将の沖村美夏選手(右)

今後の目標をうかがったところ「僕自身が叶えられなかったオリピック選手を育てていきたいですね。また、愛媛銀行として陸上部をアピールできるように、周りの方から応援してくださるような、地域に根付いた実業団チームにしていきたいです」

最後に、日本記録が更新されたことについて、そして現役の選手の皆さんへのメッセージをうかがいました。「日本の中距離界が一歩前進できたことに、ただただ嬉しく思います。記録を塗り替えながら発展はあるものです。今は荒井選手だけでなく、他の選手にも大きな可能性があり、この勢いに乗じて、チャレンジしてもらいたいと思います。これからも中距離を愛する一人として、選手の頑張りを応援します」

競技者としても、指導者としても日々現状打破し続けてこられた小林史和さんの挑戦は続きます!

M高史の陸上まるかじり

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