陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

短距離選手からアドベンチャーランナーへ! 地球の果てを走る北田雄夫さん

学生時代は短距離選手だった北田雄夫さん。現在はアドベンチャーランナーとして世界中を駆け抜けています(写真はすべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」はアドベンチャーランナー・北田雄夫さん(37)のお話です。学生時代は陸上部で短距離をしていた北田さん。近畿大学では4×400mリレーで日本選手権3位に。社会人になってから新たな挑戦を始め、現在はアドベンチャーランナーとして日本人初の世界7大陸アドベンチャーマラソンを走破。地球の果てを走り続けています。

短距離をしていた中学・高校時代

大阪府出身の北田雄夫さん。小さい頃からかけっこが好きで、中学に入ると自然と陸上部に。「当時、長距離は全然得意じゃなくて、短距離、100mから始まりました。まさか将来、世界中の砂漠やジャングルなどを走るとは想像すらできなかったですね(笑)」。中学ではいわゆる「部活」といった感じで、そこまで情熱を注いでいたわけではなかったそうです。

高校は大阪府立登美丘高校へ。登美丘高校といえば現在はダンスでも有名な学校です。「高校に入ってからは、顧問の先生やチームメートに恵まれて、次第に競技成績も伸びていきました」。毎年、競技成績も伸ばしていき、3年生になると400mで大阪府大会5位入賞。近畿高校総体でも準決勝まで進みました。

登美丘高校時代の北田さん。個人では近畿高校総体に出場

近畿大会まで進んだ北田さんでしたが、当初、陸上は高校までと思っていたそうです。「近畿大学へ勉強で行こうと思って予備校にも通っていました。たまたま運よく近畿大学から陸上のスポーツ推薦で声がかかったんです。じゃ、入ろうということで、大学でも陸上を続けることになりました」。まさかの志望校からスポーツ推薦のお誘いで、大学でも競技を続行することになりました。

日本選手権リレーで3位に

近畿大学で陸上を続けることになりましたが、最初は大変でした。「いろんな地域や県で1位の選手が集まってくるので、最初は厳しかったですね。下から数えた方が早く、練習にもついていけなかったですね」と強豪校の洗礼を浴びました。

そんな状況でも北田さんは「練習を一生懸命やろう、練習を頑張りたいという性格なんです。要領が悪いかもしれないですが一生懸命、地道にコツコツやるのが嫌いじゃない性格だったんです」。1年、2年と学年が上がるにつれて、だんだんチームについていけるようになってきました。ちなみに、「地道にコツコツ」という性格はのちのアドベンチャーマラソン挑戦に繋がっているとふりかえりました。

3年生になると4×400mリレーのメンバーにも選ばれ、日本選手権リレーでは1走を担当し、チームも3位に入りました。

近畿大学では日本選手権リレーで3位になるなど、陸上競技に打ち込んだ4年間でした

「全国の舞台で1走ということで、失敗できない状況でド緊張でしたね(笑)。その中で3位になれて本当に自分に誇りを持てたんです。中学でも高校でもまさかそこまで自分がいけると思っていなかったですし、大学に入ってからもまだまだ遠い夢のような舞台でした。そこにたどり着けたので、すごく嬉しかったです」。コツコツ続けてきたことが開花したという喜びとともに「これだけ積み重ねると、ここまでいけるという物差しができたのはすごく良かったです。一見すると届きそうにない目標でも頑張れるという指針になりましたね」。この成功体験は現在の挑戦にもつながっています。

4年生になり、さらに上の日本一を目指して競技に取り組みましたが、結果としてはうまくいかなかったそうです。それでも「大学4年間は青春でしたね。迷うことなく陸上に没頭できましたし、陸上のことばかり考えて生活して、突っ走っていましたね」

学生生活の全てをかけて競技に打ち込んできた北田さん。当時、400mの自己ベストは47秒8。「リレーでは日本選手権で3番になりましたが、個人では難しかったです。オリンピックは無理でしたし、競技は大学でスパッとやめました」

社会人になってからの新たな挑戦

大学卒業後は一般企業で営業職。「就職してからが大変でした。学生時代に夢中になれた分、社会人になってから夢中になれない自分がいたんです。『何かできるんじゃないか』ってどうしても学生時代と比べてしまう。学生時代に日本のある程度のところまで行ってしまった分、比べてしまっていたんですよね」。ずっと悶々とした気持ちを抱え、何か変えたいと思っていた中、24歳のときにフルマラソンに挑戦することに。

「もう1度、短距離に挑戦しても過去の自分は超えられない。陸上部出身として1回フルマラソンをやろうと思い、ホノルルマラソンを走りました」

400mを専門にしていた北田さんにとって実に105倍の距離でしたが、「地獄でした(笑)。20kmまではなんとかなったんですが、後半はずっと歩いていました」。初マラソンは4時間43分で完走。地獄と表現しながらも「初マラソンはキツさはあったけど、世界がキラキラしていたんです。見える景色、全てが輝いていました。400mやリレーで味わった景色とは違いましたね。そんな世界があるんだと感じました」

ただ、キラキラして輝いていたというフルマラソンですが、続けることはありませんでした。「向いていないなと思ったんです。大学で長距離をやっていた同級生はマラソンを2時間20分とかで走っているわけです。それくらいできても普通。それくらいのことを短距離でやってきたという自負もありました。自分は4時間43分で(2時間20分といったタイムは)絶対無理だなと走ってみて痛感したので、フルマラソンをやろうとは思いませんでしたね」。北田さんの穏やかな口調の中に静かに燃える負けず嫌いな闘志が感じられました。

そのままウルトラマラソンに行く気にもなれず、視点を変えてトライアスロンを始めることに。26歳のときでした。「試しにやってみようとまず始めてみたんですけど、地獄でした(笑)。水泳は苦手で最初は50mしか泳げず、水泳が得意な友達に教えてもらって地道に週3回ほど市民プールに通いましたね。3年コツコツ続けました」。フルマラソンとは違ってトライアスロンの練習は続けることができました。

「楽しみながらやるのが得意なんです。修行のようなことを積み上げるほど、実はメンタルは強くないんです。タイムが伸びたら嬉しいですし、成長がわかるように手帳に記したり、ちょっとした工夫を入れるのが上手かもしれないですね」とメンタルやモチベーションの保ち方についても教えていただきました。

「水泳は底辺からスタートして、伸び代があって楽しいですし、新鮮に続けることができましたね。陸上は過去の自分や同級生と比べてしまいますが、水泳は専門外なのでできなくても気になりませんでした(笑)」

その後はアイアンマンレースも完走。スイム3.8km、バイク180km、フルマラソンの3種目をこなす鉄人レースを14時間弱でコンプリート。「楽しかったです。めちゃくちゃきつかったですし、エネルギー切れで極度のハンガーノックにもなり、補給方法もわからなくて、どうしていいかわからず、レースは散々でしたが終わってからの達成感、充実感は一番大きかったですね」。達成感を味わった北田さんでしたが、挑戦はむしろここから飛躍していきました。

アフリカ最高峰・キリマンジャロ登頂

アイアンマンレース挑戦に続いて、アフリカ最高峰のキリマンジャロ登頂を目指すことになりました。富士山の標高3776mをはるかに上回る標高5895mへの挑戦です。

「自分を成長させることが好きで、自分の知らない世界を見たい、何かチャレンジをしたいという気持ちが強いんです」

キリマンジャロは山岳家以外でも登ることができる世界で一番高い山だそうですが、「それまで一番高いところに挑戦したのは富士山でしたが、高山病で八合目でリタイアしてるんですよ(笑)。ただその辺、僕は変わっていて、もう1回行けば富士山は登れると思ったんです。できそうな目標だとやる気にならないんですよ」。達成が見えている目標ではなく、失敗する可能性がある目標だとより燃えるのが北田さん。

さらに「富士山を登る人はたくさんいますが、キリマンジャロ登頂者は少ないです」というのもモチベーションになりました。

アフリカ最高峰・キリマンジャロ登頂。最高の景色のはずがこの日は吹雪だったそうです

キリマンジャロ登頂に向けても「2カ月前に決めたんです。10月末に情報を知り、年末年始で行こうと。1度、標高1500mくらいの奈良県の山で足ならしをしましたが、(キリマンジャロは)全く違いましたね(笑)」。実際、キリマンジャロ登頂では1日目から高山病に。「雄夫は無理だよ」とシェルパーに言われながらも進んでいきました。すると最終日は不思議な体験が。「すごく気分もハイになりまして、ゾーンのような、湧き出る瞬間があったんです。標高5000mを超えてからは元気で、特に最後はめちゃくちゃ元気だったんです!」

4日間かけてアフリカ最高峰のキリマンジャロ登頂を達成しました(帰りは2日かけて下山)。

仕事を退職しアドベンチャーランナーに

2014年、30歳からはアドベンチャーマラソンに参戦。アドベンチャーマラソンとは「世界の大自然の中で数百km、衣食住を自分で運びながら走るレース」だそうです。さらに北田さんはそれまで勤めていた会社も退職して、なんとアドベンチャーランナーとして生きていく決意をしました。

当然、周囲の方からは心配の声ばかり。「まず理解してくれる人はいなかったですね(笑)アドベンチャーランナーと言うと『なんだそれ?』『どういうこと?』と言われますし、アドベンチャーランナーで生活している人もいなかったですし」とスタート直後から困難な壁が立ちはだかっていました。

まず大変だったのは収入面でした。アドベンチャーマラソンは大会の賞金がなく、大会以外で収入を得なければなりません。テレビやラジオへの出演、会員制コミュニティ、講演、雑誌執筆、企業案件、レースにまつわる様々なことで収入を得ることで「なんとか、どうにかこうにかやっています(笑)」とのこと。

さらに、アドベンチャーマラソンでは地球上のとんでもない大自然の中を走ります。サハラ砂漠、ジャングルの奥地、南極、ヒマラヤ山脈……聞いているだけでも思わず笑ってしまうような、過酷極まりないところを己の身一つで駆けていきます。

ピンチもたくさん経験しました。「アラスカで氷点下30度の中、560kmのレースでは凍傷の危険と隣合わせでした。サハラ砂漠1000kmは最高気温50度にも達する中、384時間でフィニッシュしましたが、本当に何もなくて延々と景色がずっと茶色でした。ジャングルではずっと泥沼で真っ赤な毒蛇に遭遇してジャンプしてかわしたりしました(笑)」。いや、もう漫画の世界ですね!

砂漠、ジャングル、南極、山岳地帯、どんな自然環境にも挑みます

日本人初となる世界7大陸アドベンチャーマラソンも走破。アドベンチャーマラソンの魅力についてうかがったところ「全てを注げるのが魅力ですね。フルマラソン、トレイル、短距離は決まったコースを走りますし、基本的に生死に関わらないですし(笑)。地球の中で肉体と精神の全てを注ぐので、ものすごく大変だけどものすごく面白いです! 学生時代に取り組んできた400mも面白いですが、アドベンチャーマラソンはまた違う面白さがあるんです」と人生を懸けて挑戦されています。

現在は世界4大極地の最高峰レースに挑戦しています。レース前には「とんでもないレースがあるんです。(4大極地のレースすべてに挑戦するのは)世界でも誰もやっていないですね」と話していた北田さん。地球上の「砂漠」「北極・南極などの極地」「標高の高い山岳」「衛生環境の悪いジャングル」で開催される過酷なレースです。

今後は「ヒマラヤ山脈で850kmのレース」「マイナス30度で1600km(制限時間30日)」という挑戦が残っています。

「どんな世界、どんなレースか想像もつかないです。ワクワクしています。下見もできないのでいつもぶっつけ本番。不安も恐怖もトラブルも楽しんでいます。さまざまなトラブルに対処してきて結構動じなくなってきました。生きる力が増しましたね。学生時代の仲間には驚かれます! 大阪出身ですし、砂漠やジャングルに行くようになったのは大人になってからですからね(笑)。何歳になってからも挑戦できるのが面白いですね」

さぞ強靭な肉体とメンタルをお持ちなのかと思っていると、北田さんはご自身をこう評されました。「僕は強くないんです。凡人です。ただ一歩一歩進み続けることができます。逆にそれしかできない。課題を見つけて改善していくのが好きです。例えば、練習やマッサージでもこっちの方が効率いいなとか、ちょっとずつ良くして工夫するのがすごく好きで楽しんでやっています」

新たな挑戦に向けて今日も北田さんは走り続けます!

人生は一度きり。ロマンを追いかけ続け、現状打破し続ける北田雄夫さんの壮大なチャレンジは続きます。

M高史の陸上まるかじり

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