陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

駒大で駅伝を走れなかった主将・早瀬浩二さん 指導者として挑む五輪への挑戦!

駒大OBで日本郵政グループ女子陸上部コーチの早瀬浩二さん(左)。リオ五輪代表・関根花観さん、鈴木亜由子選手、髙橋昌彦監督と(写真提供すべて本人)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は早瀬浩二さん(36)のお話です。駒澤大学では主将を務め、私、M高史と同級生でもあります。大学卒業後はファイテン陸上部、日立女子陸上部のコーチを経て、2016年から日本郵政グループ女子陸上部でコーチをされています。

中学、高校でも陸上部主将

兵庫県神戸市出身の早瀬浩二さん。小学校の時は野球をしていましたが、小学5年生の時に陸上大会に出場したことや陸上(長距離)をやっていたお兄さんの影響で中学では陸上部に入りました。

中学時代のベストは3000m9分29秒。「兵庫県はレベルが高くて、全然上位にも入れませんでしたね。近くの中学にはのちにロンドン五輪マラソン日本代表になる山本亮くん(現・中央大学陸上競技部長距離ブロックコーチ)がいて、山本くんを追いかけて頑張っていた感じでした」

中学時代の早瀬さん。主将も務めました

高校は明石南高校へ。3歳離れたお兄さんも通っており、自宅から5kmと近かったこともありました。「同じ地区には西脇工業高校があり、県大会に上がる前の予選から一緒で、刺激を受けていましたね。高校2、3年の時は部活の他に自宅から学校まで走って通ったりもしていました。西脇工業に勝てば自分も強いという証明だと思い、どうやったら勝てるかと常に考えていましたね」。ちなみに、早瀬さんが3年生の年には全国高校駅伝で西脇工業高校が優勝しています。

西脇工業高校、報徳学園高校の他に前述した山本亮さんが進んだ長田高校と、インターハイの兵庫県大会5000mは壮絶な争いとなりました。「どうにしかして6番(6位まで近畿大会出場)になろうと、残り1100mでスパートしました。力のある選手が多かったので、みんなが嫌がるところでスパートして爪痕を残したかったんです」。なんとか6位を死守し、近畿大会に行くことができました。

「高校時代、練習環境も良く、良い仲間や良い先生にも巡り会えました。2年生までは中嶋修平先生に見ていただき、3年生からは迫平陽一先生に見ていただきました。迫平先生から練習メニューの作成を任せていただき、その経験が今にも活きていますね」。自分のことだけでなく、まわりのことも考えられるようになり、視野を広く持てるようになったといいます。 

高校時代も主将を務めた早瀬さん。仲間にも恵まれた3年間でした

中学でも高校でも、そしてのちに大学でも主将になる早瀬さん。「俺についてこいというタイプではなく、一緒に頑張ろうよというタイプでした。みんなでバランスよく、指摘し合いながら良くしていこうと。主将が一番偉いわけではないので」。と謙虚に語りました。

駒澤に入学、背伸びしても走り続けた

高校卒業後「どうせやるなら日本一のチームでやりたい」という思いで駒澤大学へ。高校時代の自己ベストは5000m14分48秒だった早瀬さん。箱根駅伝で2連覇(そのまま4連覇を達成)していた駒澤大学にいざ入学してみて、「日本一ってすごいなと思いました。高校時代は自由気ままにやらせてもらっていた分、1年目は特にしんどかったですね。けがも多かったですし、寮生活も厳しかったです」といきなり苦しいスタートを切りました。

大学1年生の1月、箱根駅伝が終わってからのこと。大八木弘明監督からマネージャーをやらないかという打診がありました。「走れていなかったですし『先輩ともうまくやれるし、マネージャーに向いている』と監督から言われました。悩みましたが、なんのために駒澤に入ったのかと自問して目が覚めましたね。あと3カ月やって結果が出なければマネージャーになりますとお伝えしました」。背水の陣で臨むことになりました。

覚悟を決めて背水の陣で挑んだ記録会で自己ベスト大きく更新

ちなみに、この後2月に早瀬さんと同級生だったM高史は大八木監督からのお声かけもあり、マネージャーに転向することに。そして3年生からは主務をさせていただくことになりました。もしも早瀬さんがこの時点でマネージャーを引き受けていたら「お互いに全然違う人生になっていたね(笑)」と話をしますし、僕は早瀬さんにとても感謝しています。また、早瀬さんからも今でもありがとうと言われます。

さて「あと3カ月」と覚悟を決めたところ、大学2年生の春の記録会では5000mで14分26秒と大きく自己ベストを更新。練習もBチームでやれるようになり、その後は監督からのマネージャー打診もなくなりました。

さらに上を目指そうと、JOGの質を上げたり、距離やペースを変えたりもしましたが、思うようにいきませんでした。「2年の時も3年の時も、けがが多かったですね。ちょうど箱根で4連覇している時でしたし、いま思えば背伸びしながらやっていたなと思います。レベルの高い選手たちに囲まれて幸せなことではありましたが、勘違いして自分もやりすぎていましたね」。自分の体と向き合いきれなったとふりかえります。

3年生の箱根駅伝前に「来年、主将にする」

大学3年生の箱根駅伝前に大八木監督に呼ばれた早瀬さん。「来年、早瀬を主将にする」と告げられました。ところが早瀬さんは「最初、すぐにお断りしました。自分の中で主将といえば内田直将さん、田中宏樹さん、齊藤弘幸さん、駅伝主将の村上和春さん(現・東京農業大学陸上競技部男子長距離コーチ)といった強い選手の印象がありました。中学・高校での主将は抵抗なく頑張ろうと思えましたが、駒澤大学の主将は恐れ多くて無理だろうと思いました」。

それでも大八木監督は早瀬さんに「来年入ってくる1年生をちゃんと見てあげてほしい。彼らがのびのびやれる環境を整えてほしい」という思いがありました。「プレッシャーはありましたが、同級生や他の学年も含めてバランスよく環境を整える役割が必要でした。監督からも、主将であり、マネジメントやサポート役も含めて期待していただき、決心しました」。早瀬さんが4年生の時に、高校時代からすでに5000m13分台の記録を持っていた宇賀地強さん、高林祐介さん、深津卓也さんらが入学してきました。

宇賀地さんと同部屋になった早瀬さん。「宇賀地には『部屋ではのびのびやってもらえたら』と話をしていました」。早瀬さん自身も強い1年生が入ってきて勉強になったことがたくさんありました。

「最初、宇賀地はセンスだけで走っていると思っていたら、本気で努力をしていて、そりゃ強いわと思いました。宇賀地は寝言でも『もっと強くなりたい! もっと強くならなきゃ!』って言ってましたからね(笑)。寝ても覚めても強くなりたいという気持ちが伝わってきました」。早瀬さんも改めて原点に戻って、ピュアに「強くなりたい」と感じたそうです。

1年生からの刺激もあり、主将になってから最初は調子も良かったものの、いい時にまたけがをしてしまいました。「夏合宿もけがでウォークをしていて、苦しい1年でしたね。走っていないのに主将として取材が入ったり、いま思えばありがたいことですが、やらなきゃと自分を追い込んでいました」

そんなしんどい時、心の支えとなったのが藤田敦史さん(現・駒澤大学陸上競技部ヘッドコーチ)の存在でした。当時の藤田さんはマラソンで日本最高記録を更新されたあと、富士通に所属しながら母校・駒澤大学を拠点に練習されていました。

当時、母校・駒澤大学を拠点に練習されていた藤田敦史さん。早瀬さんのこともよく気にかけてくださいました

練習から侍のような別次元のオーラを放っていた藤田さんでしたが、早瀬さんのことを気にかけてくださり、時間を見つけてアドバイスをいただいたり、貴重な経験となりました。チームは全日本大学駅伝で優勝するも、早瀬さんご自身はけがで思うように走れず悩んでいた時、「今のチームで1年生がのびのび走れているのは早瀬が主将をやっているからだよ」と言っていただけたことが励みになったといいます。

早瀬さん自身は4年間、駅伝メンバーに入ることはできませんでしたが、早瀬さんのすごいところは箱根駅伝で毎年、選手の付き添い、特に主要区間の付き添いに選ばれることが多いところでした。

第82回箱根駅伝で2区・佐藤慎悟さんの付き添いをする早瀬さん

僕はマネージャーだったので、各選手に付き添いの希望を事前に聞いてまわるのですが、いつも真っ先に早瀬さんの名前があがっていました。普段の姿勢や行動、明るく真面目でしっかりしていて、さりげない気配りもできるので、選手も安心して任せられるのでしょう。

そんな早瀬さんにとっての大学4年間は「一言で言うとしんどかったですが、生きていくために必要なことを学ばせてもらい自分の基礎を作ってもらえた4年間でした。色々なことがありすぎてジェットコースターみたいな4年間でした。それも上りの少ないジェットコースターですね(笑)。辛いことが多く色々なものを犠牲にもしましたが、4年間で得たものはそれだけの価値がありました。あの4年間を経験して、好きなことをして生きていることが幸せと感じました」。学生時代の経験は今にもつながっています。

「今は好きなことを仕事にさせてもらっています。もちろんいいことばかりではありませんが、それも含めて楽しめているのは4年間の経験があるからです。育てていただいた大八木監督に感謝しています。選手を強くするのがコーチの仕事ですが、大八木監督に人として育ててもらった思いが強いので、選手を強くするだけでなく、魅力ある人材を育成したいと考えています」。14年間のコーチ業の原点は学生時代にありました。

卒業式での集合写真。早瀬さんは前列左から2番目。M高史は右から3番目です。後列には後輩の皆さんも

「サポート役に徹しよう」と指導者の道へ

大学卒業後はファイテン陸上部でランニングコーチに。「元々は実業団選手としてやりたかったのですが、大八木監督に『難しい』と即答されました(笑)。ただ『早瀬は選手としてオリンピックに行くのは厳しいけど、オリンピック選手を育てる指導者になれる可能性がある。大学で苦労してきたことを活かせば、オリンピックでメダルをとる選手の指導者になれる』と言われて、スイッチが変わりました」。さらにこう続けます。

「宇賀地を見ていて、競技ではとてもじゃないですが勝てる気がしないというのもありました。そこでなにくそと思えたらまた違ったかもしれませんが、けがが多かったこともあり、自分はこういう選手のサポートをする方が自分を活かせるのではないかとサポート役に回ろうと決め切れましたね」。競技者としては大学まで、卒業後はサポート役に徹しようと決心しました。

ファイテン陸上部ではランニングコーチを2年間務めました。「走りで引っ張っていました。人のためにやるって楽しいなと感じましたね。今までは自分の記録がでた時に『やったー!』と嬉しかったですが、選手がベストを出した時に喜びを分かち合えるのは喜びが倍になりますね」。人のために何かをすることにやりがいを感じられたといいます。

日立女子陸上競技部では7年間コーチを務めました

その後、日立女子陸上部で7年間コーチを務めました。コーチ就任1年後には監督不在となり「ヘッドコーチの方はいらっしゃいましたが、メニュー作成も任せていただきました。日立のときはランニングコーチ、メニュー作成、スカウティングなど色々とやらせてもらっていました。当時・ヘッドコーチの松永元さん、マネージャーの山川一次さん、上村哲也さんは自分を信じて任せてくださったのでありがたかったですね。そのあと監督としてこられた加藤宏純さんにも任せていただけることが多く、たくさんのことを学べた7年間でした」。周りのスタッフに支えていただきながらの日立でのコーチ時代でした。

日本郵政グループ女子陸上部コーチに

そして、2016年からは現在の所属先である日本郵政グループ女子陸上部でコーチを務めています。鈴木亜由子選手、関根花観選手(昨年12月に引退)の2枚看板に鍋島莉奈選手が入社したリオデジャネイロオリンピックの年。早瀬さんが入社して1年目のクイーンズ駅伝ではチームも初優勝を飾りました。

「入ってすぐの年に優勝もでき、自分の人生は運が良いなと思っています。運が良くてここまで来れています」と謙遜されますが、早瀬さんが周りの方を大切にし、誠実にコツコツと積み重ねる仕事ぶりが運を呼び込むのでしょう。小出義雄監督のもとでコーチを務めていた髙橋昌彦監督の指導のもと、早瀬さんはさらに経験を積み上げていきました。

2019年のMGCでは鈴木亜由子選手がマラソン代表内定を決め、クイーンズ駅伝では一昨年、昨年と連覇。今年に入って廣中璃梨佳選手が10000mでオリンピック代表内定を決めました。

指導は「未完成だから面白い」と早瀬さんは言います。「正解はないので、常に時代の流れにあわせてコーチングも変えていかなきゃいけないです。正解がない答えを探しながらやっていってます」。時代に合わせた柔軟性を持ちつつ「陸上競技への情熱を持ち続けていきたいですね。コーチとして真摯に向き合うこと、コツコツやるべきことをやることですね。自分が競技者として苦しんだ分、選手には苦しいことも楽しめるような環境作りをしてあげたいです。選手にも『1回の失敗で全て失敗じゃない。失敗を次の結果に活かせたら笑い話にできる。これをどう次に活かそうか』という話をしています」

試合や遠征、合宿、スカウトなど1年中、陸上の現場にいる早瀬さんにとって家族の存在も心の支えとなっています。奥様・圭代さん(旧姓・海野さん)も元陸上選手で佛教大学でコーチもされていました。

家族の存在も早瀬さんにとって心強いパワーの源です

「妻も佛教大学でコーチをしていたときに日本一を経験をしていますし、陸上を理解してくれるのはありがたいですね。妻の教え子もまだ現役で走っていますし、家でもだいたい陸上の話をしています(笑)。娘たちも走るのが好きみたいですね」

今後の指導者としての目標についてうかがうと「選手がのびのびやれるようにサポートできる指導者でいたいです。選手一人ひとりの目標を達成できるように、結果が出ている選手もけがで悩んでいる選手も目標をクリアできるように、ちゃんと向き合えるスタッフでありたいです。昔は大八木監督みたいになりたいとかありましたが(笑)。自分は自分のこれまでの経験を活かして、自分には自分に合った指導者の形があるので、自分の中でこれと決めつけない、常に未完成のものを追いかけ続ける指導者でいたいです」

練習で選手を引っ張る早瀬さん。駒大で主将を務めた経験を活かし、指導者として活躍しています

さらに早瀬さんらしくこう続けました。「ありがたいことに周囲の方から『日本一のコーチってすごい』と言っていただくのですが、選手が頑張っているのであって自分がすごいわけではないんです。自分が天狗になってはいけないです。自分自身がブレない人間、指導者でい続けたいですね」

学生時代から人望があり明るく真面目でしっかり者だった同級生は、指導者になってからもますます現状打破し続けて、陸上競技の世界でアスリートの皆さんの活躍を支え、育てているんだなと思うと嬉しくなりました。これからも早瀬浩二さんの果てしないチャレンジは続きます。

M高史の陸上まるかじり

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