陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

東洋大OB・がんばれゆうすけさん 「3足のワラジ」を目指して新たな学びへ!

東洋大OB・がんばれゆうすけさん。「お笑い芸人」「ランニングコーチ」に加えて「柔道整復師」取得も目指しています(写真は提供記載写真以外すべて本人提供)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は、がんばれゆうすけさん(37、本名:猪瀬祐輔さん)のお話です。東洋大学では箱根駅伝で2度のエントリーメンバー入り。現在はお笑い芸人とランニングコーチをしながら、柔道整復師の国家資格取得も目指しています。

サッカーから陸上の道へ

栃木県出身のゆうすけさん。小学校からサッカーをしていました。「元々、持久走は得意でした。小学校のサッカーだとみんな後半バテるんです。後半みんながバテたところで点を決めていました」。中学でも最初はサッカー部に入りましたが「中学生になるとみんな体力がついてきて、自分は使いものにならず、ベンチを温めていました(笑)」。そんな中、ゆうすけさんの持久力に注目していた陸上部の阿部雄太先輩から「一度陸上の試合に出てみたら?」とお誘いがありました。

小学校ではサッカー少年でしたが、中学1年の夏から陸上部に

「陸上の試合に出てみたら、県大会の1500mで1位になってしまったんです! サッカーよりも陸上の方が活躍できるということで、中学1年の夏からは陸上部に転部しました。もし先輩のお誘いがなかったら、そのままサッカー部でベンチを温め続けていたと思います(笑)」。その時、声をかけてくださった阿部先輩とは今でも親交があるそうです。

阿部雄太先輩のお誘いで陸上部に。ゼッケン189番がゆうすけさん

高校は矢板中央高校へ入学。「熱心な先生でした。自宅から遠かったので先生のお宅で下宿をしていました。ただ、1年目の最後の方に先生がおやめになり、下宿もできなくなったのでどうしようかと思っていたところ、ご縁があって2年目から作新学院高校へ編入することになりました」。人生の節目節目でご縁があるんですとゆうすけさんはふりかえります。

作新学院高校時代5000mの自己ベストは14分59秒。高校の1学年先輩にはのちに駒澤大学で活躍される佐藤慎悟さんがいました。高校時代のゆうすけさんを知る仲間に聞いても「(ゆうすけさんは)真面目で、まさか芸人になるとは思わなかった」と皆さん口を揃えます(笑)。ゆうすけさんご自身も「当時、しゃべるのは苦手でしたし、声も小さいし、盛り上げるタイプではなかったです(笑)」とこの時は芸人になるとは夢にも思っていませんでした。それよりも何よりも箱根駅伝出場を目指していました。

作新学院高校時代のゆうすけさん(腰ゼッケン48番)

憧れの箱根路を目指す

高校卒業後は東洋大学へ。「当時、川嶋伸次監督が就任したばかりで、これから東洋大学を強くしようというチームの雰囲気でした。当時はシード権に届くかどうかというところでしたね」

1年目は故障が多く、試合にも出ることができず過ごしていました。「いま思うと、もう少しうまくできたんじゃないかなと思います。もし今の知識があれば、周りにまどわされず、焦らずできたかなと」。治療院に通い、相談。試行錯誤をくりかえし、ウエイトトレーニングを始めたところ故障しなくなり、練習を継続できるようになっていきました。

ウエイトトレーニングを取り入れたことで故障も減り、練習を継続できるようになっていきました

継続して練習を積めるようになり、2年生からはAチームで練習もできるようになっていきました。「卒業した先輩がたまに練習へ差し入れにいらして『え?猪瀬がAチーム?』と驚かれていましたね(笑)」。1年前からは想像もつかないほど力もつけていき、2年目には箱根駅伝の16名のエントリーメンバーに入るまで急成長を遂げました。

直前でメンバーから外れた4年目の箱根

2年目は補欠、3年目はメンバー入りできず、ラストイヤーに懸けた4年生の箱根駅伝。

再びメンバー入りし、大会直前まで7区を走ると言われていて準備をしていたゆうすけさん。3日前の練習でのこと。当時、2年生だった森雅也さんと7区に向けて3kmを1本走る練習でした。「猪瀬で行く予定だけど、調子がいい方でいく」と言われて練習にのぞみました。

森さんはタイムトライアルなみの勢いで3kmを8分40秒で走破。ゆうすけさんはレースペースを意識して9分15秒で走りました。「森くんの勢いがすごくて『森で行く』ということになり、自分は補欠に回ることになりました。それまでは7区で行くぞと言われていて、寝ている時も7区を走っている夢を見たりしていたくらいなので、だいぶ気持ちもこたえましたね」

ミーティングで正式に選手発表があり、ゆうすけさんはメンバーから外れました。「選手発表が終わって、その時は涙が出なかったんです。最後の最後まで走る可能性があるので、体調は整えておかなければいけないということで治療院へ行きました。治療を受けているときに涙がドバドバ出てきて、止まりませんでした」。トレーナーの先生からは「あんな綺麗な涙は今でも流せないね」と現在でも言われるそうです。

箱根駅伝を走ることはできなかったものの「最後まで頑張ることができ楽しかった4年間」と振り返りました

ちなみに、ゆうすけさんが号泣していた隣のベッドで治療を受けていたのは同級生の北島寿典選手(現・安川電気)でした。迎えた箱根駅伝ではゆうすけさんは8区・北島選手の付き添いに。「楽しんで走ってきてよ」と送り出したそうです。そして、北島選手は見事、8区で区間賞を獲得。「自分のことのように嬉しかったですね」とゆうすけさんはいいます。北島選手はその後、リオ五輪マラソン日本代表となり、現在でも現役で競技を続けています。

「今となっては、4年間箱根駅伝を目指してやってきて、4年目の直前で外されたので、一番最後まで頑張ることができたのかなと思います。一番最後で走れないのは目指してきたものとしてはキツいですが、辛い体験ができたのは良かったです。お笑いとしてはネタにもなりますし(笑)、楽しかった4年間でした」と振り返りました。

ランニングコーチ、お笑い芸人の道へ

大学卒業後は会社員に。働くかたわら走ることも続けていました。「1年目は車のディーラーで営業のお仕事でした。会社の名前のユニフォームでも走っていたので宣伝になって、車を買いに来てもらえたり、いい広告塔になっていましたね(笑)」。その後、建築業界で3年ほど勤めていた時も会社の看板を背負って大会に出場していました。担当現場のランニング好きな方とも意気投合し、仕事にも繋げていました。

その後、ランニングコーチに転職することに。「会社員で働いているときに、週末などにスポーツメーカーのランニングコーチをしていたんです。建築業界は終電まで勤務したり、深夜から動き出したり、不規則な中でも帰宅ランなどで走る時間だけは確保していました。この環境でも走り続けているってことは『走ることが本当に好きなんだろうな』と自分でも思いました。それがずっとできていたので、当時20代でしたし、会社を辞めて好きなことをやってみてもまだ大丈夫な年齢だなと」その思いでランニングコーチを仕事にすることになりました。

市民ランナーの方の指導をしていくうちに、ご縁があって吉本興業所属の宮川大助・花子師匠のランニングチームにコーチとして携わることになりました。ゆうすけさんも指導をしながら走っていたところ宮川大助・花子師匠から「あんた、そんなに走るの好きだったら吉本から走ったら?」と思わぬお誘いが!

「なんばグランド花月の楽屋でお誘いがあり、気がついたらユニフォームも出来上がっていました(笑)。その時も芸人さんと大会に出させてもらっていたのですが、芸人さんが場の雰囲気を一気に変えるのはすごい技術だなと。それまでの自分は真面目なことしか言えなかったですし、自分もできるようになりたいと思いました!」。こうして猪瀬祐輔さんは「がんばれゆうすけ」という芸名で「ランナーズ」というコンビを組み、2013年から芸人としての活動もスタートすることになりました。

ランナーズ・がんばれゆうすけとして、グアムマラソンのステージでネタを披露

以降はお笑いの舞台に立ち、マラソン大会のゲストランナー、MC、イベント出演などのほか、「TBSオールスター感謝祭赤坂5丁目ミニマラソン」「NHK大河ドラマ・いだてん〜東京オリムピック噺〜」などのテレビ出演などを果たします。ランニングコーチとしても、市民ランナーの方へのレッスンやイベントなども続けていきました。

マラソン大会のゲストランナーやMCなど全国各地どこでも駆け抜けます

逆境を糧に! 新たな挑戦!

仕事も順調に増えてきたさなか、昨年のコロナ禍による緊急事態宣言が大会のゲスト、イベント出演、レッスンを生業とするゆうすけさんにとって大打撃となりました。「お仕事が全滅でしたね(苦笑)。将来についてももう一度考えるようになりました。今から他の職業にいくよりも、走るのが大好きなので、走ることに関わる仕事を続けていくためにどうしようと考えました。ランニングコーチもしているので、やるのであれば役立つことをしたいと思いました」。その結果、ゆうすけさんは国家資格である柔道整復師の取得を目指し、この春から日本医学柔整鍼灸専門学校に通い始めました。

「自分の年齢の半分の方々と打ち解けられるか不安でしたが、みんないい人ばかりで学校に行くのが楽しいです! ただ、3年間通うので授業料もかかりますし、柔道着や白衣といった授業で使うものも含めて費用もかかります。勉強の方は医療系の勉強があるので、人体、神経、細胞の話など、初めて聞くような単語ばかりです。医学で使う難しい漢字や、長いカタカナなどもたくさん出てきます(笑)」と不安なこともありつつ、勉強を始めてさっそく活かされている点も。

この春から柔道整復師の取得のため専門学校に通っています(写真提供:日本医学柔整鍼灸専門学校)

「ランニングレッスンでも、人体の構造をふまえてアドバイスすることができるようになりました。例えば給水で真上を向いて飲むと気管支に入りやすく、むせやすくなりますが、頭の位置はそのままで口の位置は変えずに、ボトルを逆さまにして飲むといいなど、人体の構造に基づいて説明できるようになりました」。学んだ知識はさっそくレッスンにも活かしています。

「柔道整復師を取得したら、治療院をやるにしても、ランニングコーチにも活かせますし、あとはお笑いのネタとしても活かせるかもしれないです(笑)」と前を向きます。

年齢の離れたクラスメイトとも楽しく学び、新たな目標に向かって打破されています!(写真提供:日本医学柔整鍼灸専門学校)

コロナ禍で人生をもう一度見つめ直し、大好きなことを仕事として続けていくために現状打破し続けるがんばれゆうすけさん。「ランニング」「お笑い」に加えて「柔道整復師」という3足のワラジの実現に向けて今日も走り続けます!

M高史の陸上まるかじり

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