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菜波さんインタビュー前編 中学高校で任されたセンター、コートネーム「きい」の意味

中学・高校とバスケに打ち込んだモデルの菜波さん(撮影・浅野有美)

「FIBA バスケットボール ワールドカップ2023」が8月25日、沖縄・フィリピン・インドネシアで開幕します。そこで4years.ではバスケットボールを応援し、テレビやモデル活動などで活躍中の菜波さんに、インタビューを実施。前後編の2回に分けてお届けします。前編は中学・高校とバスケに打ち込んだ自身の選手時代のストーリーです。

菜波

1998年9月10日、東京出身。身長168cm。「CanCam」(小学館)の専属モデルを務めるほか、日本テレビ系「Going! Sports & News」のバスケットボールサポーターも。乳酸菌ソムリエやヨーグルトソムリエ、フードスペシャリストなどの資格も持つ。

体験入部で「バスケ楽しい!」翌日入部

――バスケットボールに興味を持ったきっかけは何でしたか。

菜波:四つ上にお兄ちゃんがいて、中学時代はバスケ部だったんです。私もお母さんに連れられて、よく体育館に試合を見に行ってました。私はスポーツ全般が好きだったので「あ、楽しそうだな」ぐらいの感じで見ていて、お兄ちゃんの顧問の先生もすごく優しくしてくれたんです。ボールを持たせてもらったり、ドリブルをつかせてくれたり「菜波も中学生になったらバスケ部においでよ」と言ってくれたのが、すごくうれしくて。それがきっかけで、中学校の体験入部に行ったら「バスケ楽しい!」と思って、次の日には入っていました。

――当時のバスケ部の雰囲気はどうでしたか。

菜波:体験入部のときは(新入生に)入って欲しいから、みんな優しいんですよ。自分が先輩になってから分かったんですけど、体験入部は一番簡単でつらくないメニューをやっていて。でも入ったら、やっぱりめちゃくちゃ厳しくて、練習もきつくて……。ただ、私は負けず嫌いなんで、ボールが手につかずにどっか行っちゃったり、シュートが入らなかったりするのが悔しくて。コートダッシュとかも、絶対に一番で走りたいと思っていたので、本当に超きつかったんですけど、倒れそうになりながらも頑張って、それをコーチが認めてくれて、スタメンで使ってくれて。すると「つらい」より「うれしい」気持ちが勝ったので、何とか頑張ってましたね。

小さな頃から性格は負けず嫌いだった(撮影・竹田和博)

――スタメンで出始めたのはいつからで、ポジションはどこでしたか。

菜波:一応(中学)1年生のときからスタメンで使ってもらいました。私はずっとセンターですね。

――中学1年生と3年生では、体格もだいぶ違うのではないでしょうか。

菜波:お父さんが身長190cm近くあるんです。お兄ちゃんも180何cmとかあって、私も幼稚園ぐらいの頃から背の順では一番後ろでした。でも、中学は成長期にあたるので相手の選手もめっちゃ高いんです。そこで体を張ることを覚えましたね。もう、ゴリゴリに超しつこく。「相手の選手に嫌われるぞ」と決めて、どこにでもついていってましたね。「相手をイライラさせてなんぼだな」と。高校まで体はずっとアザだらけでしたし、口の中もよく切れてました(笑)。そこで根性みたいなものは、すごく磨かれましたね。

中学最後の試合は、5ファウルで終幕

――選手として「強み」にしていたことは何ですか。

菜波:リバウンドです。リバウンドとゴール下だけは「死守するぞ」というのは、ずっと決めていました。リバウンドの練習も本当に負けたくないから、体を入れて押し込んで、というのをやってたので、試合ではファウルをめちゃくちゃ取られてました。私、中学最後の引退試合は、5ファウルで退場したんです。ずるがしこいプレーが下手で、フェイクとかも苦手で相手が引っかかってくれないんです。「全然バレバレ」みたいで、センターって一度シュート体勢に入ってから体を横に振る動きもあるんですけど、なかなか相手が跳んでくれませんでした(笑)。

――高校でも迷わずバスケを続けようと思われたのですか。

菜波:中学校のときから芸能の仕事とか、モデルさんの仕事に興味があったんです。だから高校では部活に入らないで、事務所に入ることもありかなと思いました。ただ高校はスポーツが有名なところでもあったので、「バスケ部に1回、体験入部行ってみるか」と思ったら、次の日に入ってました(笑)。実は、違う高校をスポーツ推薦で受けていたんです。でも集団面接で、他のみんなが「この大会でMVPを取りました」とかの話をしていて「いや、待って、私には何もない」と、そこからほぼ記憶がないです。ちゃんとしゃべれなくて、結局ダメでした。ただ高校に入って、自分がスポ薦を受けた高校と練習試合をしたとき、私と一緒に受けたセンターの子とマッチアップして、ちょっと倒したときは「やってやったぜ」みたいな気持ちになりました(笑)。

中学時代の部活動を笑顔で振り返る菜波さん(撮影・竹田和博)

高校時代、最も印象に残っている試合は……

――高校でもすぐに試合に出られていたのですか。

菜波:2年生のときから、結構スタメンで出させてもらってました。センターの先輩が3、4人いて「勝ち取りたい」と思って、きついダッシュの練習とかも意識して練習していましたね。

――もともと走るのも得意だったのですか。

菜波:短距離よりも持久走の方が、割と得意です。とりあえず気合で乗り切れるので。

――センター以外のポジションを任されることはなかったのですか。

菜波:そう思うじゃないですか……。めっちゃドリブルが苦手だったんですよ。ペイントエリアの中じゃないと、ドリブルをつかなかったです。ドリブルの練習でボールが飛んでいっちゃうのが悔しくて、耐えられなくて。逃げちゃいましたね。「悔しい、やってやるぞ」という気持ちで練習すれば良かったんですけど……。今になって、もっとドリブルの練習をすれば、もうちょいうまくなれたと思います。スリーポイントも苦手で、中学時代は「お前はスリーを打つな」と叫ばれるほどでした。逆に「合わせ」とかが得意で、ぽんぽんとパスをもらってシュート。「ザ・センター」というプレーが多かったです。

――高校時代のコートネーム「きい」の由来は何ですか。

菜波:鍵の「KEY」からきています。新入部員が入ってきたとき、先輩が名前をつけてくれるんですよ。そのときに「チームのカギとなる選手になってほしい」という意味を込めてつけてもらいました。めちゃくちゃ気に入ってます! 当時部活が一緒だった子は、まだ「きい」って呼んでくれるんですけど、最近はあまり呼ばれることがなくなっているので、ちょっと寂しいです。

高校時代のコートネーム「きい」をとても気に入っている(撮影・浅野有美)

――高校時代で最も印象に残っている試合や場面はありますか。

菜波:1個上の先輩たちの最後の試合ですね。私がついていたのが、めちゃくちゃ背の高い選手で超うまかったんです。先輩の引退がかかっていたので、結構頑張って抑えたんですけど、負けてしまって……。優しい先輩方がいる中、私が試合に出してもらっていて、「先輩だったら(相手を)止められていたかもしれない」とみんなに思ってほしくないから、試合中に何回も泣きそうになってました。こらえました。

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