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特集:あの夏があったから2023~甲子園の記憶

中央大学・石井巧 日本ハムに進んだ兄を追い名門の主将に、「本当にきつい」3週間

作新学院高校時代は主将として夏の甲子園8強に進んだ中央大の石井(撮影・小川誠志)

中央大学の石井巧(4年、作新学院)は憧れの兄の背中を追いかけて野球を始めた。7学年上の兄・石井一成は作新学院の遊撃手として2年夏、3年春夏の3度、甲子園に出場。2年夏の第93回全国高校野球選手権大会では4強進出を果たした。早稲田大学を経て、2016年秋のドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団した。「兄の試合はほとんど全試合、甲子園へ応援に行きました。かっこいいなぁ、自分もあのユニホームを着て野球をやりたいなぁと思って、ずっと作新でやることを目指していました」

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石井の兄・一成は日本ハムで7年目のシーズンを送っている(撮影・朝日新聞社)

入部の前年に全国制覇「入るとこ間違えたかな……」

兄がプレーしていた学童野球チームに石井も幼稚園年長から入部し、小学校高学年からは兄と同じショートを守った。中学でもポジションはショート。願いがかない、作新学院への入学を許された。ところが硬式野球部に入部後、レベルの高さや厳しい雰囲気に圧倒されてしまったという。

「入るところ間違えたなと思いました……。グラウンドの中の雰囲気がピリピリしてて、先輩も監督も厳しいですし……。憧れだけでやっていける世界じゃない、失敗したなと思いました。今も思い出したくないぐらいです」

石井は高校入学時をそう振り返って苦笑する。作新学院は甲子園で春1度、夏2度の優勝を誇る名門校。しかも石井が入学する前年は今井達也(現・埼玉西武ライオンズ)、入江大生(現・横浜DeNAベイスターズ)らを擁し、全国制覇を達成していた。

それでも石井の守備力、野球センスは際立っていたのだろう。1年春の大会からベンチ入りメンバーに抜擢(ばってき)された。夏の大会はベンチを外れたが、秋の新チームからは再びベンチに入り、2年春からショートのレギュラーに。2年夏の甲子園では優勝した大阪桐蔭に初戦で敗れたが、石井は「6番ショート」でフル出場した。

夏の甲子園準々決勝で3ランを放った(撮影・朝日新聞社)

3年春の県大会準々決勝で敗れ「このままではまずい」

秋の新チーム始動の際には、小針崇宏監督から主将に指名された。石井自身も主将に立候補するつもりでいた。兄も最終学年のときには主将を務めていたからだ。兄を超えたいという思いを胸にチームを引っ張ったが、順風満帆とはいかなかった。秋は栃木大会準優勝で関東大会に進んだが、初戦で前橋育英に惜敗。翌春の栃木大会は準々決勝で栃木工に敗れた。

「それまで作新は8年連続で夏の甲子園に出場していて、どこかで自分たちも大丈夫だろう、みたいな気持ちがあったのかもしれないです。春、負けたときは、このままではまずいという雰囲気になりました」

春季大会を終え、夏に向けての追い込みに入る時期、小針監督は突然、石井を含む3年生に対し、グラウンドへの出入りを禁止した。3年生の選手たちは一生懸命取り組んでいるつもりだったが、小針監督から見ると、どこかまだ真剣さが足りなかったのだろう。

「3年生全員で謝りにいっても、全く話を聞いてもらえず、僕らはいないものとして、1、2年生だけがガンガン練習してるんです。僕らはグラウンドに入れないので、夜、監督が帰ったあとにトレーニングをしていました。あの3週間は本当にきつくて……。もうやってられない、やめたいと言う者もいましたけれど、毎日3年生でミーティングをしました。意見がまとまり、自分が代表して監督にもう一度お願いにいこうとしたその日、監督から『3年生、集合しろ』と言われたんです」

監督からの言葉は「覚悟を持ってグラウンドへ入ってこい」。

自分たちに何が足りないのか。連日話し合い、まとまりを深めていく3年生たちの様子を、小針監督は見ないふりをしながら、しっかり見ていた。「自分たちは『絶対やるぞ!』という気持ちになっていたので、グラウンドに入ることが許されてからは、めちゃくちゃ気合入れて練習に取り組みました」

栃木大会を制し、小針監督と抱き合った(撮影・朝日新聞社)

「目の前の一戦一戦をガムシャラに戦った」

迎えた夏の栃木大会、初戦の黒羽戦は石井の本塁打などで13-1とコールド勝ち。そこから5試合で計65安打、53得点と、春までの得点力不足がウソのように打線が活発になった。文星芸大付との決勝も6-2と危なげなく勝利し、「9年連続」のプレッシャーをものともせず、夏の甲子園出場を決めた。

2016年の全国制覇以来、チームは夏の甲子園で勝てていなかったが、この第101回大会は2勝を挙げ8強進出を果たした。岐阜・中京学院大中京との準々決勝では、初回に石井の3ランで3点を先制。終盤に逆転され4強進出は逃したが、強いインパクトを残して甲子園を去った。

「最後の夏は、目の前の一戦一戦をガムシャラに全員で戦った、その連続でした。一戦一戦をしっかり戦う、その気持ちは常に忘れてはいけないものだと思います」

グラウンドに入ることを許された日の喜び、一戦一戦必死に戦ってたどり着いた甲子園8強。高校野球で学んだ野球への姿勢は、今も石井の中に生きている。

目の前の一戦に集中する姿勢は、高校時代に培われた(撮影・小川誠志)

中央大ではチームの危機を救う一打

東都大学野球リーグの強豪・中央大への進学後、石井は1年の秋から公式戦を経験(1年春はコロナ禍の影響によりリーグ戦中止)。2年春からはレギュラーとしてグラウンドに立ち続けている。昨春、中央大はリーグ戦最下位と苦しみ、東洋大学との入れ替え戦に勝って1部残留を決めた。3回戦の九回裏無死一、三塁の場面で石井はサヨナラ打を放ち、チームの危機を救った。

今春もチームの危機を救う一本を放っている。中盤戦の4連敗で下位を低迷。石井は気合を入れるため、頭を丸刈りにそり上げて終盤戦に臨んだ。負けた方が最下位となる駒澤大学との最終戦、2点を追う六回2死満塁から、石井は1点差に追い上げるタイムリーを放った。中央大学は七回に3点を奪い逆転勝利を収めた。

昨年の入れ替え戦でサヨナラタイムリーを放った(撮影・井上翔太)

3年春、4年春とチームの危機を救う一打を放ってきたが、この3年間の成績には満足していないという。憧れの兄がプレーするプロ野球の世界で、将来は自分もプレーしたいという目標もある。

「自分の代はまだリーグ戦優勝を経験していない。一戦一戦を大事にして、秋はリーグ優勝、そしてその先の大学日本一を達成したいです」

石井はそう言って表情を引き締める。そり上げた髪の毛も、だいぶ伸びてきた。今の目標に向かって学生最後のリーグ戦に臨む。

1部残留を決めると、一塁ベースを回ったところでうずくまった(撮影・井上翔太)

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