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特集:あの夏があったから2023~甲子園の記憶

中央大学・安田淳平 聖光学院で初の4強、貫いた「スコアボード見ないでやりきろう」

福島・聖光学院初の4強入りに貢献した中央大の安田(撮影・小川誠志)

福島・聖光学院が初めて甲子園の準決勝に進んだ昨夏。頂点を目指して臨んだ宮城・仙台育英戦で、待っていたのは厳しい現実だった。一回に幸先よく1点を先制したが、二回に投手陣が崩れ、失策も重なり11失点。三回以降も失点を喫し、4-18で敗れた。ただ中央大学に進んだ安田淳平(1年)は「大敗したけれど、いい試合だったと思います」と振り返る。

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仙台育英との準決勝は複数安打に、好捕も披露

「点差は離れてしまったんですけど『スコアボードを見ないでやりきろう』と、この試合に限らず、みんなで言い続けてきたんです。全員が勝負を諦めず、最後まで食らいついて、やりきることができました」

安田はきっぱりとそう言って胸を張る。聖光学院も仙台育英の3投手から計9安打を放ち4点を挙げた。二回の大量失点がなければ、試合の行方も分からなかったはずだ。安田はこの試合で2安打を放ち、五回の守備ではヒット性の当たりを懸命に追いかけランニングキャッチ。守備でも観衆を沸かせた。

仙台育英戦で披露したランニングキャッチ(撮影・白井伸洋)

勝ち上がった仙台育英は決勝で山口・下関国際を破り、東北勢悲願の甲子園初優勝を達成した。もしあの準決勝に勝っていたら、それを成し遂げていたのは自分たちだったかもしれない。悔しさはある。それでもスコアボードを見ず、自分たちの野球を貫いた達成感もある。

少年野球の先輩に憧れ、同じ聖光学院へ

東京都江戸川区出身の安田が福島の聖光学院に進んだのは、学童野球チームと中学硬式野球チームの3学年先輩にあたる小室智希さんの影響が大きい。小室さんは内野手として高校2年の春夏(2018年)と3年夏(2019年)の3度甲子園に出場している。小室さんが2018年の第90回選抜高校野球大会に出場した際には、安田も甲子園のスタンドから声援を送った。

「小室さんが甲子園でプレーしているのを見て、自分もここに立ちたいと思いました。中3になって進路を考えていたときに、小室さんや小室さんのお母さんから話を聞いて、聖光学院のオープンスクールに参加してみたんです。斎藤智也監督、横山博英部長の話を聞いて、もし甲子園に行けなかったとしても、ここで得るものがあるんじゃないかと思って、聖光学院に決めました」

入学後はコロナ禍の影響で6月まで全体練習が許されず、自主練習を続けるほかなかった。5月には、夏の甲子園の中止が決まった。最大の目標を失いながらも、当時の3年生たちは福島の独自大会に向けて練習に取り組んだ。先輩たちは独自大会で優勝。東北各県の優勝校6チームが集まる東北地区高校野球大会も制した。

「甲子園がなくなったのは当時1年だった自分から見ても衝撃でした。それでも3年生の先輩たちはずっと変わらず、いい顔で野球をやっていた。かっこいいなぁと思いました」

3回戦の敦賀気比戦では2点本塁打を放った(撮影・西畑志朗)

「ずっと甲子園で野球をやっていたかった」

部員100人を超えるチームの中で、ベンチ入りへの道は険しかったが、2年の夏を終え、秋の新チームからついにレギュラーの座をつかんだ。2年のときのチームは史上最長タイの14大会連続夏の甲子園出場を目指したが、福島大会の準々決勝で敗れていた。安田たちの代は、再び挑戦者としての意識を持ち、秋季大会を勝ち上がって翌春の選抜大会出場を決めた。

初めて甲子園のグラウンドに立ったときのことを、安田は目を輝かせてこう話す。

「選抜大会1回戦で初めて甲子園に入ったときは感動しました。観客席も沸き立ってて、すごい広いなぁと思って、ワクワクしながら周りを眺めて。試合では1球1球に歓声も沸きますし。負けたらすぐ帰らなきゃいけないのが悲しかった……。もっとずっと甲子園で野球をやっていたかったです」

聖光学院は春季大会で福島大会、東北大会と優勝を果たした。夏も大本命として注目を浴びながら勝ち上がり、3年ぶり17回目となる夏の甲子園出場を勝ち取った。安田は決勝で勝ち越し3ランを放つなど、打率4割2分9厘、7打点、1本塁打の活躍を見せた。

甲子園では西東京の日大三、神奈川の横浜、福井の敦賀気比と甲子園の優勝経験があるチームを次々と倒し、準々決勝でも熊本の九州学院に快勝。チーム史上初めての準決勝進出を果たした。安田は5試合で打率4割9厘、5打点、1本塁打。守備でもチームに貢献し、大会後にはチームメートの赤堀颯(現・國學院大學1年)とともに侍ジャパン高校日本代表に選ばれ、U-18ワールドカップに出場した。

甲子園の後は侍ジャパン高校代表の一員として活躍した(撮影・井上翔太)

「甲子園は高校野球最高の思い出だったなと思います。高校3年間、本気で野球に取り組んだからこそ、甲子園でホームランが打てたりとか、甲子園で勝ったりとか、最後にご褒美をもらえたんだと思います。その成功体験は今も頑張れる原動力になっています」

後輩たちは今夏、福島大会決勝でタイブレークの延長10回表に4点を失いながら、裏の攻撃で5点を奪い、大逆転で2年連続18回目の出場を決めた。安田は甲子園に臨む後輩たちへ「甲子園に出て終わりじゃなく、甲子園で勝つことを目標にしてやってほしい。自分たちがやってきたことを信じて、大胆に試合をやってほしいですね」とメッセージを送った。

高校時代にたどり着けなかった日本一を大学で

高校を卒業後、安田は子どものころから憧れていた阿部慎之助(現・読売ジャイアンツヘッド兼バッテリーコーチ)の母校である東都大学野球リーグの名門・中央大学へ進学した。今春の1部リーグ戦で、安田は1年生ながら7試合に出場。最終戦となった駒澤大学との3回戦では、3点を追う五回にソロ本塁打を放った。安田の一発からチームは勢いを取り戻し、逆転勝利。1部残留を決めた。

「チームに貢献して優勝したい。全国大会に進んで、中大で日本一を取りたいという思いが強くなりました。そして4年間で、プロの世界でも活躍できる力をつけていきたいです」

安田は強い口調で大学での目標を語る。高校時代にたどり着けなかった日本一は、大学4年間で果たすつもりだ。

高校でたどり着けなかった日本一を大学でめざす(撮影・小川誠志)

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