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特集:あの夏があったから2023~甲子園の記憶

青山学院大・星子天真 大学で必要な「自律」、きっかけ与えてくれた大阪桐蔭最後の夏

昨年、大阪桐蔭の主将を務め青山学院大に進んだ星子(撮影・佐伯航平)

近年、甲子園で高い勝率を誇り、高校野球の王者として君臨している大阪桐蔭。全国の高校球児にとっては、目標であると同時に、倒すべき標的になっている。特に昨年の大阪桐蔭は、新チームのスタートから秋の大阪府大会、近畿大会、明治神宮大会、そして年が明けて春の選抜高校野球大会まで制した。春の近畿大会決勝で智弁和歌山に敗れ公式戦の連勝は29でストップしたが、夏の甲子園でもチーム3度目の春夏連覇に向けて隙はないと思われていた。ところが準々決勝、山口・下関国際に土壇場で逆転を喫し4-5で惜敗。それでも昨年の大阪桐蔭が世代最強であったことを疑う余地はないだろう。

このチームのメンバーから、主将を務めた内野手の星子天真と、2番打者の外野手・谷口勇人の2人は、そろって東都リーグの強豪・青山学院大学に進んだ。入学早々の春のシーズン、青山学院大は17年ぶりの1部優勝を果たし、大学選手権も制覇。チームが歓喜に沸く中、2人はどんな思いで、あれから1年後の夏を過ごしているのだろう。

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当時の話をうかがうべく星子(右)と谷口のもとを訪ねた(撮影・矢崎良一)

埋もれないため自分にできることは何か、問い続けた

大阪桐蔭の西谷浩一監督によると、星子には「持って生まれたリーダーの資質」がある。小学校・中学校と所属チームだけでなく、福岡ソフトバンクホークスジュニア、U-12日本代表などの選抜チームに行っても主将を任された。生まれ育った熊本を離れて入学した大阪桐蔭でも、チームメートから推されて主将になった。

「なる前は、自分の中で葛藤というか、『ほんまに務まるんかな?』みたいな不安もあるんです。でも同時に『俺がまとめてやるんだ!』という強い気持ちもあって。小学校の頃からずっとやってきているんで、そういうものを自分は持っている、と勝手に思い込んでいる面もありますね」星子は「主将・星子」をそう自己分析する。

身長168cmは当時、大阪桐蔭のベンチ入りメンバーの中で一番小さかった。だが星子自身は、周りの選手を「大きいな」と思うことはあっても、自分が小さいと感じたことはない。「たまに写真とかで見たら『こんなに身長差があるんか』と実感するんですけど、普段接していてそんなに差を感じることがないですから」と言う。

だから先輩から「ちっちゃいな」とイジられても、「そうですか? 一緒くらいに感じますけど」と言い返していた。「ちょっと態度デカいくらいに」と笑う。それくらいの強い気持ちがなければ、チーム内の厳しい競争に勝ち残れない。

西谷監督からも、いつも「ちっちゃい」「存在感がない」と言われ続けていた。だからこそ「じゃあどうやったら目立てるだろう? 桐蔭の技術や体格のある選手の中で埋もれないために、自分にできることはなんだろう?」と常に考えていた。

ベンチでは明るい声を出しながら状況の把握に努める(撮影・井上翔太)

西谷浩一監督からヒントをもらい、自分たちで作り上げたチーム

西谷監督は、勝ち続けながらも、対外的には「このチームは決して強いチームではない」と言い続けていた。負けた試合の後、いや、快勝したときですら「心の隙があったのではないか?」と問い掛けてくる。それを選手たちはピュアに受け止めていた。

「僕らはあまり技術がない学年というか、ポテンシャルを上げきれていないという課題があったチームでしたから。西谷先生の言葉に素直に耳を傾けて、とことんついていくしかないという気持ちでやっていました」

ちょっと待ってほしい。聞きようによっては、とんでもないことを言っている。大阪桐蔭が「技術がない」と言ってしまったら、全国の選手たちはどうしたらいいのか?

しかし、星子は即答した。

「いやいやいや、1期上の先輩がすごかったんで、自分たちがうまいとか強いとか、一度も思えませんでした。桐蔭って、これは歴代の先輩方もみんな言われると思うのですが、入学してきたときに先輩との差をすごく感じるんです。そのままの状態でやっていても差が埋まらない。だから、各年度のチームでカラーは違いますが、僕らの代は、西谷先生にいろいろヒントをもらったり、自分たちで話し合ったりして作り上げていったチームでした」

そうしたスタンスは、優勝した昨春の選抜高校野球大会でも揺るがなかった。

1試合1試合積み重ねていった結果が優勝だったという。「たぶん周りの方が考えている以上に、積み重ねているものは大きかったはずです。秋の明治神宮で優勝しても、自分たちが強いという手応えは全然なかったので、冬の間『どこよりも練習をやろう』という気持ちでやっていて、その成果が出たという感じでした。常にチャレンジャーの意識を持って勝ち取った優勝だったと思います」

3年春の選抜高校野球大会を制し優勝旗を受け取った(撮影・関田航)

そうやって作り上げてきたチームだけに、最後の夏、敗れた下関国際戦には、今もまだ消化しきれない感情がある。

「積み上げてきたものが、一瞬で崩れた瞬間だったので……」と言葉を詰まらせる。最近になってようやく踏ん切りがついて、試合の動画を見ることができるようになったが、負けてすぐはなかなか振り返られなかったという。

「今、大学野球の世界に来て、この春も日本一を経験させてもらったのですが、注目のされ方が高校野球とはだいぶ違うんで。やっぱり高校野球というのは特別だったんだな、とわかりました。あの夏はもう帰ってこないんだな。あれだけ野球に対して真剣に全てを注げた時間というのは、今後の人生でもあるのかな? という気持ちは今もあります」

違和感を指摘できなかった、最後の夏の後悔

最後の夏について、一人の選手としてはやりきれないむなしさしか残らなかったが、主将としてはまた違う思いがあった。「負けた理由は、僕の中で一つの答えがあるんです」と言う。

甲子園の期間中、ベンチ入りするメンバーは日頃生活を送っている寮を出て、指定のホテルで過ごす。普段の寮であれば基本的に集団行動だし、館内放送などでスケジュールを知らせてくれる。チームとしての統率が取れ、一体感を持って試合に臨めていた。それがホテル生活となり、寝坊や遅刻をする選手が何人か出てきたという。そこで星子は「何か少し違う」と違和感を抱いていた。

「別に浮ついていたわけじゃないんです。でも、寝坊が目立ったり、ちょっと気が抜けていたりする者が何人かいました。それを僕も指摘できなかった。軽く『きっちりやろうぜ』と声をかけるくらい。言って空気が悪くなるのは良くないと思ったし、『まあこんなものかな』という感じで、流してしまっていたんです。それまでずっとやってきた、厳しくみんなで作り上げてきたものがあったのに、最後の最後で崩してしまった。そこでもし、僕がもっと詰めることができていたら、と。技術的には自分たちの方が上だったという確信がありますから、じゃあなぜ負けたんだ? と考えたら、そこに行き着いたんです」

その後悔は今、大学で野球をやっていく上での一つの教訓になっている。

「大学の環境は、高校のとき以上に何事に対しても自主性が問われます。高校野球って、みんなで作り上げていくものだと思っていたので、同期で指摘し合ってケンカになったとしても、僕は良いと思っていました。でも大学野球は、もちろんそういうことも必要かもしれませんが、まず自分のことは自分でやる。朝、自分で起きる時間を考えて、寮の生活も、学校に行くのも、それぞれの授業に合わせてバラバラ。練習も全体練習が終われば、あとは自分の時間。そういう環境の中で結果を出すためには、常に自分自身を律することが大事なんです。あの敗戦は、そういうことに気付くための良いきっかけだったのかもしれませんね」

最後の夏は準々決勝で敗れ「自分を律する」大切さを気付かされた(撮影・西岡臣)

安藤寧則監督「よく星子の視線を感じるんです」

大学野球デビューとなったこの春のリーグ戦は代打での起用が主だったが、1打席1打席、試されているという自覚があった。

「変なプレッシャーとかはありません。そこはまだ1年生なので、打てないものは仕方がない、と。ただ、アウトのなり方。たとえ凡打になっても、三振しても、『こいつ、また(試合に)使いたいな』と思われるにはどうしたらいいのか? というのは常に考えていました。そしたら積極的に初球から振っていくべきだし、意識としても思い切り良く『打ってやる』と自信満々でいかなダメやな、というのは思っていました」

どうしたら監督やコーチに自分をアピールできるのか、信頼を勝ち取れるのか、いつも考えていた。安藤寧則監督は「ベンチにいて、よく星子の視線を感じるんです」と言う。

「常に見てますね。見ているというか、『いつでも行けますよ。まだですか?』という雰囲気を出してます」と笑う。大学選手権でも、セカンドを守る先輩選手の足がつったとき、誰よりも先にベンチから飛び出してキャッチボールを始めた。

大学ではいつ起用されても構わないように、合間の準備を怠らない(撮影・佐伯航平)

「セカンドだろうと、ショートだろうと、守れと言われたらどこでもやります。だから人を押しのけても『出してくれ、出たい』と思ってました。それが許されるチームなんです。監督、コーチ、先輩たちも、それを認めてくれる雰囲気がある。だから思い切って、自分をアピールしていける。やっぱり競争ですから」

そう言って目を輝かせる星子を見て、「そういうところがあいつの良さなんですよ」と安藤監督は目を細める。

星子が続ける。「そもそも桐蔭って、技術も大事だけど、どっちかといったら根性のチームですから。だから僕も、この大学に来て何一つ困らず、そのままやれています。西谷先生からは『大学に行ったら、もう自分でやらないかんからな』と言われていました。それは入学した時に、安藤監督からも言われました。こういうことか、と実感しています」

改めて「もっと試合に出たい」「戦力になりたい」

全日本大学選手権を制し「日本一」を勝ち取った後、最初の練習日、主将の中島大輔(4年、龍谷大平安)が、選手全員を前に「俺はまだ物足りない気持ちがある」と口にした。星子は昨春の選抜大会優勝の後、自分も同じ趣旨の発言をしたことを思い出した。

「あのときの僕は、正直、ホッとした気持ちもあったんです。でも、主将の自分がちょっとでも隙を見せてしまったら、チーム全体が絶対に落ちてしまう。だから『ここからが勝負やぞ』と言い続けていました。今回、主将として尊敬している中島さんの言葉を聞いて、僕ももっと貪欲(どんよく)にならなくてはいけないと思いました。自分自身はまだ実力が足らなくて、裏方のことを主にやっていて、先輩方に優勝させてもらったんですけど、改めて『もっと試合に出たい』という気持ちが強くなりました。自分が戦力になりたい、ならなきゃいけないと、教えてもらった気がします」

168cmの野球小僧は、高校時代より一回り大きな男になっている。

代打で起用されて二塁打を放った星子。限られたチャンスをものにした(撮影・井上翔太)
青山学院大・谷口勇人 高校最後の夏のような東都の雰囲気、実力あふれる選手にもまれ

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