陸上・駅伝

特集:第100回箱根駅伝

日体大・山口廉 76年連続の箱根駅伝を引き寄せた苦労人「地道に距離を踏んだ」1年

箱根駅伝予選会でチームトップとなった山口(撮影・藤井みさ)

第100回 東京箱根間往復大学駅伝競走予選会

10月14日@陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園(21.0975km)

1位 大東文化大学  10時間33分39秒
2位 明治大学    10時間34分38秒
3位 帝京大学    10時間35分08秒
4位 日本体育大学  10時間36分42秒
5位 日本大学    10時間36分54秒
6位 立教大学    10時間37分06秒
7位 神奈川大学   10時間37分20秒
8位 国士舘大学   10時間37分21秒
9位 中央学院大学  10時間37分27秒
10位 東海大学    10時間37分58秒
11位 東京農業大学  10時間39分05秒
12位 駿河台大学   10時間39分40秒
13位 山梨学院大学  10時間39分47秒
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14位 東京国際大学 10時間39分50秒
15位 麗澤大学   10時間43分15秒
16位 拓殖大学   10時間43分16秒
17位 上武大学   10時間44分41秒
18位 専修大学   10時間44分51秒
19位 日本薬科大学 10時間48分34秒
20位 筑波大学   10時間49分07秒

10月14日、第100回の記念大会となる箱根駅伝予選会を4位で通過し、76年連続76回目の本戦出場を決めた日本体育大学。過去10度の総合優勝を誇る名門を脚で牽引(けんいん)したのは、この1年間で大きな成長を遂げた苦労人の山口廉(3年、大牟田)だった。

タイムを稼ぐことだけを考え、ひたすら前へ

3年目で初めて陸上自衛隊立川駐屯地のスタート地点に立ち、665人が並んだ滑走路で気持ちを高ぶらせていた。山口の役割は大森椋太(4年、玉野光南)とともに日本人の上位集団に食らいつき、タイムを稼ぐこと。すぐに日本勢の2位集団が形成されると、山口は遅れることなく、ぴたりと付いた。レースはハイペースで進んでいたが、10km通過タイムはほとんど想定通り。自信を持ってラップを刻み、玉城良ニ監督に指示された29分半以内(29分21秒)できっちり通過した。不安は一つもなかったという。

「レース前から状態が良くて、良い練習を積めていました」

勝負どころの国営昭和記念公園に入る15km手前。東京農業大学の前田和摩(1年、報徳学園)が1人飛び出すと、集団も一気に動き始める。山口は少し反応が遅れたものの、ぐんぐんペースを上げていく選手たちの背中を必死に追いかけた。

国営昭和記念公園に入り、一気にペースアップ(撮影・藤井みさ)

「後ろでまとまって集団走をしている仲間のことは信じていました。(10km通過順位は20位という)情報は入っていませんでしたが、絶対に大丈夫だって。僕はタイムを稼ぐことだけを考え、ひたすら前を見て走りました」

個人順位19位となる日本人8位でフィッシュ。タイムは目標の1時間02分30秒を切り、1時間02分24秒と自己ベストも更新。チームトップの数字を残し、箱根駅伝の出場権獲得に大きく貢献した。それでも、ロードに自信を持っていた本人は満足していなかった。

「目標は日本人5位以内だったので。タイムは合格点かもしれませんが、悔しさは残ります。思った以上に周りが強くて、負けてしまいましたから」

昨年は仲間が箱根に向けて調整する中、1人で黙々と

ただ、1年前に比べると、見違えるように成長している。2年時は2カ月に1度くらいのペースで故障し、まともに練習を続けることができなかった。昨年の予選会は出走できず、当たり前のように本戦もメンバー外。チームメートたちが夢の箱根駅伝に向けて調整している中、1人で黙々と走るしかなかった。表舞台に立てない悔しさをかみ殺し、「来年こそは走る」と自らに言い聞かせながら汗を流した。12月から1月にかけては週に1度、1人だけの「2時間走」を敢行。1km4分ペースで約30kmを走り、土台を築き上げた。

「今年は1度もけがをしていません。距離に対する不安もないです。冬季に地道に距離を踏んできました」

そして、今年5月の関東インカレ1部のハーフマラソンでは暑さに負けず、1時間03分33秒で7位入賞。夏合宿でも練習の消化率は、チームで最も高かったという。

関東インカレ男子1部ハーフマラソンでは7位に入った(撮影・井上翔太)

陰ながら努力する姿は、チームに帯同する主務の赤池陸(4年、大牟田)もずっと見ていた。高校時代からの後輩である山口が持つポテンシャルの高さは、誰よりもよく知っている。高校3年時は全国高校駅伝の6区で区間5位と好走。一躍、注目される存在になったが、大学では思うように結果を出せずに苦しんでいた。赤池主務は、ここ1年での後輩の変貌(へんぼう)ぶりに感心しきりだった。

「昔は少し過信するところがあったのですが、一度鼻を折られて、今年はすごく謙虚に練習に取り組んでいると思います。夏合宿でもウォーミングアップ、ダウンなども手を抜かず、けがをしないための準備を怠っていませんでした」

山口は自らのウィークポイントにも目を向け、補強トレーニングにも精を出していた。夏合宿を終えた後も練習から強さを見せ、チームメートからも信頼されるようになっていったという。

「予選会前も『山口ならフリーで走っても大丈夫』という安心感がありました。今回のタイムも出るべくして出たのかなと。少しずつですが、エースになりつつあると思います。また調子に乗ると困るので、本人にはあまり言いたくないんですけどね(笑)」(赤池主務)

チームからは「フリーで走っても大丈夫」という信頼を得つつある(撮影・井上翔太)

箱根駅伝では「往路で勝負したい」

76年連続出場という大きなプレッシャーがかかる大一番での力走は、まさしくエースの走りと言っていい。2年生までくすぶってきた山口の真価が問われるのは、ここからだ。本人もまだ何ひとつ満足していない。

「僕は本戦で戦うために準備してきました。箱根路では、往路で勝負したいと思っています。希望は1区、2区、3区、4区までの区間。監督に任された場所で、区間5位以内で走り、日本人トップを狙いたいです」

走り込んできた自信に裏付けられた言葉である。遅れてきたホープが来年1月、シード権獲得を目指す名門のキーマンになるかもしれない。

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