野球

近畿大学・寺沢孝多 春より悔しいことが多かった最後の秋、社会人で「喜び」に変える

最後のシーズンをまっとうした近畿大の左腕・寺沢(撮影・沢井史)

近畿大学の左腕・寺沢孝多(4年、星稜)にとっての大学野球生活最後の登板は10月15日、第6節の立命館大学戦2回戦だった。先発して5回を投げ被安打2、無失点と試合を作り、チームも4-1で勝利。勝ち点を奪ってリーグ戦を終えた。2年春から関西学生リーグ戦に登板し、先発、中継ぎと様々な役割をこなした。最後のシーズンを優勝で飾ることはできなかったが、全力で駆け抜けた大学野球生活。まさに山あり谷ありの4年間だった。

大舞台での経験値と制球力を買われ、2年春にデビュー

石川・星稜高校時代、3年夏の第101回全国高校野球選手権大会で準優勝を果たした。世代を牽引(けんいん)してきたエース右腕・奥川恭伸(現・東京ヤクルトスワローズ)の控えで背番号10を背負い、3試合で計5イニングを投げ無失点。前年夏の甲子園2回戦で愛媛・済美高校と対戦し、逆転サヨナラ満塁ホームランを浴びた”悲劇の左腕”のイメージを払拭(ふっしょく)した。

星稜高校時代、夏の甲子園でリリーフ登板(撮影・朝日新聞社)

大学入学直後のシーズンは、新型コロナウイルス感染拡大により春のリーグ戦が中止に。秋のリーグ戦も3回戦を行わない方式に変更して行われた。2年の春から、甲子園という大舞台を経験していることに加え、持ち前の制球力を買われて起用されることになった。実際、高校3年夏の甲子園では、打者17人に対し与えた四球はわずか1個だった。

大学2年の春は8試合に登板した。ただ、最長イニングは関西大学戦の3回で、その他は3分の2回や1回といった短いイニングでの登板が続いた。2年秋、そして3年生になっても3回以上を投げる試合は少なかったが、流れを変える貴重な左腕としてマウンドに立ってきた。

4年春に先発を任されるようになったが……

最終学年になると、先発を任されるようになった。だが、最初は順調ではなかった。春季リーグ初戦の立命館大戦、次節の同志社大学戦と続けて黒星を喫し、関西学院大学戦も3回2失点で降板。関学との3回戦で再び先発を任されたが、4回2失点でマウンドを降り、その役割を果たせたとは言えなかった。優勝に王手をかけた関大戦の前、寮で自らバリカンを用いて丸刈りにしたこともあった。

「チームに対する申し訳なさもあったし、自分へのふがいなさもありました。急に実力が変わることはないけれど、気持ちの部分で気合を入れるというか……。覚悟を見せるというわけではないですけれど、何かしないといけないと思って。寮ではチームメートみんな二度見ですよ(苦笑)。次勝てなかったら坊主にするって何人かには言っていたんですけれど、本当にしました」

関大戦で3回戦に先発し、5回無失点の好投。チームの優勝を決めた。その後はラストシーズンに向け、体作りに着手。トレーニングと並行してフォーム作りにも時間をかけた。「いくら体を作ってもフォームが悪かったら意味はないので。オープン戦の登板は最後の3試合のみで少なかったですが、肩のトレーニングをやっていたら球速が上がってきたんです」

ラストシーズンに向けトレーニングとフォーム作りに取り組んだ(撮影・沢井史)

10月2日の同志社大戦は4番手でマウンドに上がり、球速は144キロをマーク。ただ、春秋連覇を目指したチームの中で寺沢は秋シーズンに向けたスタートが遅れ、秋は4試合の登板に留まった。後輩右腕の北見隆侑(2年、乙訓)の台頭もある中、寺沢は何とか自分の役割をまっとうしようと必死だった。

「秋は先発して北見以上の活躍を狙っていたんですけれど、後ろで投げることが多かったです。先発してもしっかり役目を果たせていなかったですね。この秋は悔しいことが春より多かったです」

いつでも、誰かのために

寺沢は高校時代、奥川の陰に隠れながらも「自分ができることをやり切る」と登板機会をうかがい、試合前にネガティブになりがちだった奥川に声をかけ続けてきた。大学で上級生になってからは投手陣のリーダーとなり、思ったことは何でも後輩たちに伝えるようにしてきた。2学年下には同じ左腕で星稜の後輩でもある野口練がいる。寺沢にとっては、大学では良い思い出よりも苦い思い出の方が多かったかもしれない。それでも高校の頃と同じく、誰かのために献身的に動く姿が印象的だった。

「早くから監督に期待していただきました。下級生の時は先輩のためにと思って投げてきましたが、(4年となった)今では下級生に何かを残せたらと思っていました。試合をする以上は勝つことが一番。これから試合でもっと投げられるように頑張っていきたいです」

後輩たちに何かを残すため、腕を振り続けた(撮影・沢井史)

大学卒業後は社会人野球に進む予定だ。

人生、うまくいかないことの方が多いとも言う。でもうまくいかなかった時があったからこそ、うまくいった時の喜び、うれしさは何十倍にもなる。次の世界で今秘めている悔しさを力に、そして喜びに変えていけるような活躍を――。高校、大学での経験をステップアップの糧とし、寺沢はさらに前に進む。

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