陸上・駅伝

特集:第55回全日本大学駅伝

東京国際大が伊勢路シード権 今年度唯一の駅伝に生田琉海主将「後輩たちに置き土産」

シード圏内の8位でゴール。アンカーの川内琉生は笑顔でガッツポーズを決めた(撮影・内田光)

第55回全日本大学駅伝

11月5日@愛知・熱田神宮西門前〜三重・伊勢神宮内宮宇治橋前の8区間106.8km
1位 駒澤大学   5時間09分00秒
2位 青山学院大学 5時間12分34秒
3位 國學院大  5時間12分39秒
4位 中央大学   5時間12分49秒
5位 城西大学   5時間17分23秒
6位 創価大学   5時間18分21秒
7位 大東文化大学 5時間19分21秒
8位 東京国際大学 5時間20分05秒
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9位 東海大学   5時間21分54秒
10位 早稲田大学  5時間22分36秒

11月5日の第55回全日本大学駅伝で東京国際大学が8位に入り、シード権を獲得した。今年度は出雲駅伝に出場せず、10月14日の箱根駅伝予選会はわずか3秒差に泣いて本戦出場を逃したため、全日本が駅伝シーズンで唯一の出場だった。主将の生田琉海(るか、4年、徳島科技)はレース後、「後輩たちにいい置き土産を残して引退を迎えられた」とホッとした表情を見せた。

大崩れすることなく、8位でフィニッシュ

6月の関東地区選考会を4位で通過した東京国際大。本戦の区間配置は、10000mの持ちタイムが27分台のアモス・ベット(1年、イテンミックスデイ)を各校のスピードランナーが集まる2区に置き、4年生の村松敬哲(浜松商)をエース区間の7区で起用。「前半に上位で襷(たすき)を渡して、後半はとにかく粘る作戦でした」と生田は振り返る。

1区の木村海斗(3年、狭山経済)は青山学院大学の若林宏樹(3年、洛南)の仕掛けにも慌てず、駒澤大学の赤津勇進(4年、日立工業)と早稲田大学の間瀬田純平(2年、鳥栖工業)のデッドヒートにも食らいつき、区間7位でアモス・ベットへ。2区は駒澤大の佐藤圭汰(2年、洛南)ら3選手が区間記録を塗り替えるハイレベルなレース展開となる中、アモス・ベットも区間5位の力走で、3区の佐藤榛紀(3年、四日市工業)に襷が渡った。

3年目で初めて地元区間を走った佐藤も、積極的に前を追った。東京農業大学の原田洋輔(2年、鎌倉学園)や今年度の大学駅伝界を代表する選手の一人・中央大の吉居大和(4年、仙台育英)をかわして、4位に浮上した。

第3中継所では佐藤榛紀(右)から益田郁也(左)へ3年生同士の襷リレー(撮影・浅野有美)

生田によれば、4区を任された益田郁也(3年、千原台)は「大きい大会が初めて」の選手だった。それだけに少し不安もあったが、「直近の練習状況を見ると、かなり安定して練習を消化できていたので、練習通りに挑んでくれれば大丈夫かなと思っていました」。シード圏内の7位でつないで5区の菅野裕二郎(2年、学法石川)へ。その後も6区の生田、7区の村松、アンカーの川内琉生(2年、鎮西学院)と大崩れすることなく、8位でフィニッシュした。

箱根予選会の日は「みんな精神的にやられた」

東京国際大は、前年度の4年生に強力な選手がそろっている印象だった。「最強留学生」と呼ばれたイェゴン・ヴィンセント(現・Honda)、全日本の6区で当時の区間新をマークしたこともある日本人エースの丹所健(現・Honda)を筆頭に、山谷昌也(現・ロジスティード)も学生トップレベルの力を持っていた。しかし昨年度はヴィンセントと山谷が出雲と全日本を走れず、2人が復帰した箱根駅伝もシード権を取れなかった。箱根後には当時の大志田秀次監督(現・Hondaエグゼクティブアドバイザー)が退任した。

新チームで主将となった生田は「生活面から見直そう」と改めた。「練習には直結しないけど、練習以外のところで甘さが出ると、大事なところでボロが出るんじゃないか」と考えたからだ。

まず門限は厳守。寮の掃除も、各持ち場の負担を均等にした。「特に洗濯場は、洗濯槽の掃除とか乾燥機の掃除とか、ゴミ捨てもあって負担が大きいんです。でも、玄関だと掃き掃除で終わり。負担が大きいところほど、『めんどくさがってやらなくなる』という悪循環に陥るので、そこは軽減しました」

6月の全日本大学駅伝関東地区選考会こそ突破したものの、生活面の見直しによって良いことが続くまでには至らなかった。10月14日の箱根駅伝予選会は、タイムを稼ぐことが求められたリチャード・エティーリ(1年、シル)の転倒もあり、通過ラインの13位にギリギリで滑り込んだ山梨学院大学とは、3秒差で涙をのんだ。

箱根予選会では集団走で奮闘も3秒で本選出場を逃した(撮影・藤井みさ)

生田は「箱根予選会が終わったその日は、みんな精神的にもやられちゃってて、2、3日ほど休みというか、練習を空けました」と振り返る。ただ「いつまでも、くよくよしていられない。全日本の本戦まで、もう日がない」。練習を再開したときは「これが今年度最後の駅伝になる。しっかり合わせていこう」と全員で伊勢路を見据えた。

最後に残した実績、次世代へ

生田は元来、強い言葉で仲間を引っ張るタイプではないという。「言うことはちゃんと言って、走る姿でもみんなに背中を見せられるようなキャプテンを理想像として描いていたんですけど、僕自身がそんなにアレコレ言える人じゃないんで、副キャプテンの加藤(優斗、4年、学法石川)にちょくちょく代弁してもらってました(笑)。でも、走りに関しては、後輩にも結構背中を見せられたんじゃないかなと思います」と控えめに誇る。

全日本大学駅伝関東地区選考会を走る生田琉海(中央、撮影・藤井みさ)

高校時代は都大路を走った経験もあるが、「めちゃくちゃ少人数で、個人で活動するような部活の形でした」。大学で部員は60人を超え、「大人数で活動するという経験が自分にはなかったんで、そこでチームをまとめるというのは結構大変でした」。改めて、この4年間で得たものを尋ねると、「高校とは比べものにならないぐらい練習のレベルが上がりました。その中での厳しさや忍耐力。キャプテンとしてはリーダーシップ。そういう部分は社会に出ても生かせるんじゃないかなと思います」と答えてくれた。

1個上の強力な世代が抜け、次のエースと目される白井勇佑(3年、仙台育英)をけがで欠く中、後輩たちのために何とかシード権を守った。誰もが経験できない激動の1年間を過ごし、キャプテンとして最後に残した実績は、次の世代に託された。

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