野球

特集:駆け抜けた4years.2024

天理大・近藤遼一 苦しめられた甲子園の残像 守ってくれた後輩に託した願い

明治神宮大会で敗退し、後輩の肩を抱く天理大の近藤遼一(すべて撮影・小俣勇貴)

第54回明治神宮野球大会・大学の部2回戦。日本体育大学に1-2で敗れた後、整列に加わった天理大学の近藤遼一(4年、八戸学院光星)の表情は晴れ晴れとしていた。そして、九回に先頭で意地の二塁打を放った石飛智洋(3年、出雲西)の肩をそっと抱いた。涙に暮れる後輩を思いやる近藤の瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。

「点を取れるところで取れなかった」

近藤が悔やむように、チームは三回に1死三塁、六回には2死一、二塁の好機を逃した。そして九回は石飛の二塁打から代打・野上真叶(まなと、3年、明豊)の適時二塁打で1点を返すも、あと一歩及ばなかった。

主砲の近藤は4打数無安打。流れを手繰り寄せられなかった。

「天理の野球を全て出せなかった」

最後の試合も力強いスイングを見せた

大学で直面した「打って当たり前」という空気

八戸学院光星(青森)3年時には春夏の甲子園に出場。夏の青森大会は6本塁打20打点と全国屈指の成績を残し、夏の甲子園に乗り込んだ。仲井宗基監督は「一番良い打者を3番に置きたい」と甲子園では全試合で3番を任され、準々決勝までの4試合で14打数9安打2本塁打7打点。打率6割4分3厘と大車輪の活躍で強力打線を引っ張った。

八戸学院光星時代の近藤。3年夏の甲子園、智弁学園戦で本塁打を放った(撮影・朝日新聞社)

チームの1番打者は、ヤクルトにドラフト6位で進んだ武岡龍世だった。武岡とは高校時代しのぎを削り、卒業後は別々の道に進んだが、連絡を取り合ってきた。今季、プロの1軍で活躍した盟友の姿はテレビでチェックしてきた。

「良い刺激になりました。なれるのかは分からないですが、自分もあそこ(プロ)を目指しているので。普段は冗談ばかり言い合っていますが、僕はアイツを尊敬していますし、これからも刺激を受ける関係性でいたいですね」

阪神大学野球連盟に所属する天理大に進学することは、高校在学中の早い段階から決めていた。「地元(奈良)の大学ですし、高校は地元から遠かったのもあるので、地元に近い大学に行きたかったんです」。進学後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年春のリーグ戦は中止となったが、1年秋のリーグ戦から中軸を任された。

大学進学後、さっそく台頭した近藤は甲子園の残像に苦しめられてきた。
「周りからは打って当たり前と思われていました。自分では意識していないつもりでも、自然とプレッシャーに感じていたような気がします。高校の時は周りもすごく打っていたから気楽にバットを振れたけれど、大学ではそうはいかなかったですね。気持ちが硬くなって結果が出なかった。それをどうにかして克服できれば良かったんですけれど……」

救いとなった存在

昨年までは1学年上に友杉篤輝(ロッテ)がいた。俊足巧打の友杉も下級生時から上位打線を任され、チームを引っ張ってきた。友杉が自分の前を打つことがなにより心強かった。

「友杉さんはチャンスにも強かったので、自分だけにプレッシャーがかからなかった」

頼れる先輩がいる間に試行錯誤を繰り返し、経験を積みながら勝負強さを磨いてきた。そして、最上級生で迎えた今春のリーグ戦では全13試合で39打数14安打、打率3割5分9厘と奮起。4番打者の役割を果たし、優勝に貢献した。

秋の涙が報われた瞬間

近藤にとって「鬼門」は秋のリーグ戦だった。2年秋は打率2割3分5厘、3年秋は2割5分8厘。そして、迎えた今秋。なにより、ラストシーズンの重圧が大きかった。天理大が秋の明治神宮大会に出場したのは、2015年が最後。8年ぶりの秋の全国をめざすチームの柱として、この秋にかける思いは強かった。ただ、思いの強さが結果にリンクするとは限らない。近藤の場合、力みにつながったのか。

4番の重責を感じながらも、堂々と打席に入ることは貫いた

「4年間ずっと出させてもらっているのに良い結果が出ず、悔しい思いの方が強かったですね。チャンスで打てなかった打席が多かったです」

チームは6季連続の優勝を果たすことができたが、近藤の打率は2割6分2厘。理想に掲げる打撃とは程遠かった。

「この秋は正直、調子が良くなくて、泣きながら練習でバッティングしていたこともあったんです」

その涙は、11月上旬の関西地区代表決定戦で報われた。3試合で12打数6安打8打点と4番打者らしい数字を残し、後輩たちを初めて明治神宮大会出場へと導くことができた。

秋の神宮に初めて後輩たちを導くことができた

大学最後の全国の舞台では快音を響かすことはできなかった。4年間の終わりを迎えた整列後、近藤は肩を抱き寄せた石飛にずっと語り続けていた。近藤は卒業後も社会人野球のチームでプレーを続ける。だから、自分の悔しさは押し殺し、後輩に寄り添った。自身も、友杉という先輩の存在に救われたから。後輩にすべてを背負わせない――。それでも、全国の舞台で「天理の野球を全て見せる」という願いだけは、しっかりと託したのだと思う。

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