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特集:駆け抜けた4years.2024

駒澤大学・三浦颯斗 大けがで学生コーチ→選手に復帰、ラストシーズンに放った輝き

一度は学生コーチに転向しながらも、選手に復帰した駒澤大の三浦(撮影・東海圭起)

昨秋の東都大学野球1・2部リーグ入れ替え戦は4回戦に及ぶ激戦となり、2部優勝校の駒澤大学が2勝1分け1敗で1部復帰を決めた。その2回戦で敗色濃厚の八回、同点3ランを放ったのが三浦颯斗(4年、八戸西)だ。2年春と3年夏に大きなけがをした影響で一度はプレーを断念し、学生コーチに転向。それでも、選手への思いを断ち切れず、4年春からプレーヤーに戻り、ラストシーズンに確かな輝きを放った。

【特集】駆け抜けた4years.2024

「野球人生の一番の打席だった」

3点を追う八回2死一、二塁。2ボール1ストライク。待っていた真っすぐが、内角高めの甘いコースに入ってきた。バットの芯でとらえた打球は大きな弧を描いてライトスタンドに飛び込んだ。

「野球人生で一番の打席だったということは、自信を持って言えます。真っすぐ一本で待って、しっかりはじき返すことだけを考えていました。あのコースにきてうまく反応できたときは、高校の頃から、だいたいホームランにできていたんです」

打球がスタンドインしたことを確認し、二塁を回った三浦は、歓喜に沸く三塁側の駒大ベンチ、応援スタンドへ向かって右手を大きく上げた。「ベンチもスタンドも、仲間も後援会の人たちも、応援してくださる方々もみんな立ち上がって喜んでいるところが見えたんです。一生忘れない景色になると思います」

土壇場で放った同点3ランは「野球人生で一番の打席だった」(撮影・小川誠志)

過去27度の1部リーグ優勝(リーグ2位タイ)、11度の大学日本一(大学選手権6度優勝、明治神宮大会5度優勝)を誇る東都の名門だが、昨春は1部リーグ最下位に沈み、入れ替え戦で2部の優勝校・東洋大に連敗。2部降格を喫していた。秋の2部リーグで優勝し、チームは1部復帰を目指して1部の最下位校・東洋大との入れ替え戦に臨んだ。前日の1回戦を落とし、負けられない2回戦。三浦の3ランで同点に追いつき、九回を終えて7-7。試合時間が3時間30分を過ぎたため、連盟規定により引き分けとなった。駒澤大は3、4回戦、ともに延長タイブレークの末に連勝。激戦を制し1部復帰を決めた。

サポートしながら「もう一度プレーしたい」

三浦は2年春に右ひざ、3年夏に左ひざの前十字靭帯(じんたい)を断裂。けがに泣かされ、一度はプレーヤーとしての道を諦めている。

「左ひざは高校のときにも前十字靭帯断裂をやっているんです。大学3年の夏、3回目をやったときは、区切りをつけなければいけないと思って、学生コーチになることを決意しました」

ノックやランメニューでのタイム計測など、選手たちの練習をサポートすることが学生コーチの仕事だ。左ひざの手術を終えてグラウンドに戻った三浦は秋冬の間、裏方としてチームを支えた。その間に痛めていた左ひざは順調に回復。選手たちをサポートしながら、三浦は「もう一度プレーしたい」という気持ちが湧いてきたことに気づいた。

「2月ぐらいから『やっぱり選手としてやりたい』と思うようになってきたんです。自分勝手だというのは分かっていました。それでも最後、1打席でもいいから両親に、自分がプレーしている姿を見せたかったんです」

卒業に必要な単位は3年生までに取り終えていた。最後の1年、プレーヤーとして野球をやり切りたい。大倉孝一監督にその思いを伝え、4月から選手に復帰することを許された。しかし、4年春のリーグ戦はベンチ入りを果たすことができなかった。チームは最下位、入れ替え戦にも敗れ、2部からの再スタートを余儀なくされた。

最終学年の4月に選手として復帰。人一倍の努力を重ねた(撮影・大沢純礼)

選手として公式戦のグラウンドに立てるチャンスは、秋の1シーズンだけ。三浦は夏場に連日、バットを振り込んだ。「午前中の全体練習の後、午後は個人練習になるんですけど、毎日、バッティングケージに入って30分打ちっぱなしとか。さらに素振り、ティーバッティング……。汗だくになりながら、足もつりそうになりながら毎日、何本振ったか分からないぐらいバットを振り込みました。あの練習が生きたんだなと、今になって思います」

最後のシーズンでベストナインを獲得

8月上旬から始まったオープン戦にはAチームで出場。代打でヒットを重ね、中旬からはスタメンで起用されるようになった。最後のリーグ戦、三浦は背番号28番をもらい、ついにメンバー入りを果たす。

専修大学との2部リーグ開幕戦には「6番レフト」でスタメン出場。相手の先発投手は昨秋のプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受けた西舘昂汰(4年、筑陽学園)。二回の第1打席は見逃し三振に終わったが、三回の第2打席ではレフト前にタイムリーを放った。リーグ戦初安打、初打点の場面を「この1本で緊張が解けました。リーグ戦でもやっていけるかもと、自信がついた1打席でした。西舘君がプロで活躍したら、自慢できますね(笑)」と笑顔で振り返る。

秋のリーグ戦では全11試合にスタメン出場し、打率3割3分3厘、1本塁打、4打点などの好成績でベストナインを獲得。「できすぎです(笑)。まさかここまで打てるとは思わなかった」と本人も驚く活躍だった。そして入れ替え戦2回戦、スタンドで見守る両親の前で劇的な同点本塁打。野球の神様が最後に大きなプレゼントを与えてくれた。

表彰式で同じく2部ベストナインに選ばれた大森廉也(右)と(撮影・小川誠志)

社会人でも「目標に向かって努力する」

大学を最後に三浦は硬式野球を離れる。4月からは不動産売買やコンサルティングなどを手がける環境ステーション株式会社へ入社し、ビジネスパーソンとしてのスタートを切る。

「大学ラストシーズン、やり切ることができました。社会人としての自分は、まだ全然想像がつかないんですが、目標に向かって努力する過程というのは野球と変わらないと思います。目標をしっかり立てて、またそこに向かって努力していく、ということを繰り返していきたいです」。小学校1年生から大学4年生まで、16年間打ち込んできた野球で培ったものを、今度は社会人として生かしていくつもりだ。

野球で学んだことを今後は社会人生活に生かす(撮影・小川誠志)

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