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連載:監督として生きる

中京学院大・小野昌彦新監督(中) 軟式→硬式でも貫く「選手の目線に降りる」会話

28年間東北福祉大軟式野球部コーチを務めた小野氏(撮影・川浪康太郎)

今回の連載「監督として生きる」は、東海地区大学野球連盟に加盟する中京学院大学硬式野球部の小野昌彦新監督(52)です。現役時代は近畿大附属高校、駒澤大学で硬式野球をプレー。指導者としては大学卒業2年目から28年間、東北福祉大学軟式野球部コーチを務め、2015年からは大学軟式野球日本代表の監督に就任しました。3回連載の2回目では、長年の野球人生を送る中でたどりついた“育て方”の極意を深掘りします(以下敬称略)。

【前編はこちら】中京学院大・小野昌彦新監督(上) 指導者人生第2章、目指すは「おらが町のチーム」

指導者人生の礎を築いてくれた2人の恩師

兵庫県西宮市出身の小野が野球を始めたのは小学6年生の頃。元々は水泳の選手だったが、PL学園(大阪)硬式野球部でプレーした兄と全日本大学野球連盟の専務理事を務めた父のいる野球一家で育ったこともあり、野球と出会うのは自然な流れだった。

現役時代は内外野守れる左打ちの野手としてプレー。だが、高校ではひざのケガに悩まされ、3年間、背番号をもらうことはできなかった。その後は兄も在籍していた駒澤大に一般入試で進学。大学でもひざの手術を2度経験し、特に2、3年時はリハビリに多くの時間を費やした。それでも打撃力を買われ、選手としての最終年となった4年時にようやく公式戦の出場機会をつかみ取った。

小野は「僕の野球人生は野村徹、太田誠の2人でできている」と話す。野村氏は高校時代、太田氏は大学時代の監督だ。野村氏からは「会話の大切さ」、太田氏からは「守れない、走れない選手でもチームに貢献する方法があること」を教わった。日頃から選手と会話することを心がけ、一人ひとりの力をどう生かすか考える。指導者・小野昌彦のモットーは、2人の恩師から受け継がれている。

2015年からは大学軟式野球日本代表の監督を務めた(本人提供)

変えたかった「どうせ軟式だし」の意識

大学卒業後は駒澤大で1年間コーチを務めて指導経験を積んだのち、オファーを受けた東北福祉大へ。最初の2年は大学院で福祉を学びつつ秘書業務にもいそしみ、その後は大学職員として従事した。同時に就いたのが軟式野球部コーチの役職。試合の采配など監督業を任されたため、様々な高校、大学、企業の指導者と交流しながら、それまでの野球人生においては無縁だった軟式野球を一から勉強した。

当時の軟式野球部は、硬式野球部を辞めた選手の「受け皿」のような存在だった。部員約140人のうち、全体練習に参加するのは40人ほど。小野は「『どうせ軟式だし、適当にやればいいや』という感覚の選手もかなりいた。中には『硬式と違って軟式は大学から応援してもらえない』と勝手に思い込んでしまう選手もいた」と回顧する。東北地区では圧倒的な強さを誇ったものの、チームの雰囲気は決して良くなかった。

現実を目にした小野は、「会話」することにした。就任から約3カ月かけて部員全員と話し、「野球を続けるか、勉強に専念するか」といった意思確認から始め、少しずつ信頼関係を深めていった。

練習中はグラウンドを歩き回り、「この子は野球の話から入った方がいいな。この子はプライベートの話から」などと考えながら一人ずつ声をかけ、28年間、変わらずに続けた。会話をする上で心がけていたのは「選手の目線に降りる」こと。「僕ら指導者より若い選手たちは、僕らと物事の見方や角度、感性が異なる。彼らなりの発想があると知って、『それだったら自分の言い方が悪かった、言葉足らずだった』と勉強させてもらいました」。会話することで、選手も、小野自身も成長した。

選手を指導する立場として「会話」を大切にしている(本人提供)

「気付かせ屋」の指導者がすべき会話の工夫

一方、選手と接する中で「考え方や行動が幼い」と感じることもある。ただ、「それは僕ら指導者が原因だと思う。時代の風潮で『叱れない』と言いますけど、叱らないといけない時はある。時代に合った言い方、アプローチをすればいい」とも考えている。

「監督、コーチは『気付かせ屋』だと思っています。何を教えても、本人が聞く耳を持たなかったら本人は変われない。聞く力を持ち、自分から変わろうと決断できる選手を育てるためには、指導者が会話の仕方を工夫しないといけない」

選手には常に「要望を言う権利が欲しいのならば、学生の義務と責任を果たしてくれ。君たちの義務は学校に行くことだ」と最低限の約束事を伝えてきた。その上で、一人でも多くの選手に聞こうと思わせる、成長したいと思わせる努力を重ねてきた。

SNSが普及した時代に育ち、コロナ禍で学生生活を過ごした「一人遊び」世代の選手が、コミュニケーションを苦手としていることも肌で感じている。仲間と時間を共有する時間が多い高校生活を終え、寂しさに襲われる大学生特有の悩みも理解している。だからこそ、集めてトレーニングをさせたり、打順や作戦を話し合わせるなどして選手間で会話が生まれるよう仕向けたりと、日々、選手同士の仲を深める方法にまで考えをめぐらせた。

大学軟式野球日本代表の活動の一環としてグアムで国際交流を行った(本人提供)

チームが変わっても、接し方は変わらない

中京学院大の選手とも会話をするイメージはできている。昨年のリーグ戦に足を運んで選手たちの姿を見た際、やはりコミュニケーションが不足している印象を受けた。強豪校の硬式野球部とあってプロ野球や社会人野球を目指す選手が増えることも予想されるが、接し方を変えるつもりはない。

「学生がいろいろな経験をする場を整えるのが大人の役目。(東北福祉大では)選手が100%努力できる環境を教職員、指導者でつくった。中京学院大でも、選手が伸び伸び育つ環境をつくりたい」。会話を通じた「意識改革」が進んだ先に、小野が目指す「地域密着」のチームづくりが実現する。小野の頭の中には、経験に基づく鮮明な青写真が描かれている。

【後編はこちら】中京学院大・小野昌彦新監督(下)軟式代表監督になって始めた「野球界のため」の行動

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