野球

連載:監督として生きる

中京学院大・小野昌彦新監督(下)軟式代表監督になって始めた「野球界のため」の行動

大学軟式野球日本代表チームの選手たちに胴上げされる小野氏(本人提供)

今回の連載「監督として生きる」は、東海地区大学野球連盟に加盟する中京学院大学硬式野球部の小野昌彦新監督(52)です。現役時代は近畿大附属高校、駒澤大学で硬式野球をプレー。指導者としては大学卒業2年目から28年間、東北福祉大学軟式野球部コーチを務め、2015年からは大学軟式野球日本代表の監督に就任しました。3回連載の最終回は、日本代表での活動を通じて感じたことについてです(以下敬称略)。

中京学院大・小野昌彦新監督(上) 指導者人生第2章、目指すは「おらが町のチーム」
中京学院大・小野昌彦新監督(中) 軟式→硬式でも貫く「選手の目線に降りる」会話

軟式野球でも、日の丸を背負って海外で戦える

東北福祉大を2度の日本一に導くなど、軟式野球界で実績を積み上げてきた小野は、20年前から大学軟式野球日本代表の活動に携わっている。当初はコーチとして参加し、2015年から昨年までは監督を務めた。

日本代表は全日本大学軟式野球連盟の主導で1995年に発足した。毎年、全国各地から希望者を募って選考会を実施。代表チームは台湾やアメリカ本土、グアムなどに遠征し、親善試合や野球教室を行っている。

「全国には大学軟式野球にプライドを持って、一生懸命やっている学生たちがいることを、どうにかして世間に認知してもらいたい」。参加した当初はその一心だった。それは、硬式野球と軟式野球の扱いの違いに落胆する東北福祉大の教え子たちを見てきたからこそ、浮かんできた思いだ。

昨年宮崎県で開催された大学軟式野球日本代表の選考会に参加した選手たち(撮影・川浪康太郎)

小野は選手が交通費やユニホーム代など、全ての経費を自己負担している現状を知り、代表チームのスポンサー獲得に奔走した。あらゆるメーカーとスポンサー契約を結ぶことで選手の負担が減り、また代表チームの「格」が上がった。軟式野球でも、日の丸を背負って海外の大学生と戦うことができる。その機会を得ることを目標にして、成長する選手は年々増えていった。

世界に野球を普及しうる軟式野球の可能性

小野は「軟式野球の代表チームが海外遠征していることはだいぶ認知されてきた」と手応えを口にする一方、「何のためにこの活動をしているのかをまともに答えられる大人はほとんどいない」と指摘する。

小野自身は活動の認知がある程度進んだのち、新たな目的を見つけた。「野球がパリ五輪で実施競技から除外されることになって、2028年のロサンゼルス五輪で復活するとはいえ、それまでに野球をやる国を増やすのは難しいと僕は思う。硬式野球だけで広めようとしているから無理なのであって、安全性が保証される軟式野球を使えば広まる可能性は高まるはず」

硬式球と比べて軟らかく、軽いボールを使う軟式野球は、日本発祥とされる。アメリカでは硬式野球を引退した後はソフトボールに移行するケースが定番だが、交流した際に使用した軟式球は新鮮に、また好意的に捉えられた。グアムでも軟式球が好まれ、代表チームが帰国した後も多くの人が軟式野球を楽しんでいたという。安全で、年齢や性別を問わずに楽しめる軟式野球は、取り組み方次第ではヨーロッパでも普及する可能性を持つと、小野は現地で実感した。

「自分が広告塔になってもいいし、批判されてもいいから、とにかく注目されればこっちのもの」。軟式野球界のみならず野球界全体の発展のため、知恵を絞り出し、実行に移してきた。

昨年は大学軟式野球日本代表チームで台湾に遠征し、現地の大学生らと交流した(本人提供)

若い世代に期待する「一段飛ばし」の進化

コロナ禍で思うように動けない期間があったこともあり、実行できなかった計画も多々ある。数カ国の代表チームが一堂に会する国際大会や、社会人、大学、高校の各カテゴリーの選抜チームが戦う国内大会を開くことは、まだ達成できていない計画の一つだ。

そして大人と同様、代表チームに参加する学生の目的意識が薄まっていることも懸念している。小野は「以前は『勝つために練習しないと、体を作らないと』という雰囲気があったが、今は代表に選ばれることだけで満足してしまっている。もう一度、活動の意義を正しく伝える時期に来たのだと思う」と話す。意義を理解してもらい、学生が本気になれる環境をつくるのはやはり、大人の仕事だと考えている。

代表での活動は「正直、志半ば」だというが、軟式野球界の未来に不安はない。「バトンタッチできる、将来を任せられる人材が出てきた」からだ。特に東北には、東北地区大学軟式野球連盟理事長で宮城教育大学軟式野球部監督も務める畠山和也氏、大学軟式野球日本代表コーチの星恭平氏ら、頼もしい若き指導者がいる。畠山氏は東北福祉大での、星氏は日本代表での教え子でもある。

「自分自身でやりたかった思いはあるけど、若い人がやることで違う発想が生まれて、一段ずつ進んでいたことが一段飛ばしで進むようになるかもしれない」。やり残したことは後進に託し、小野は硬式野球の世界に飛び込む。

大学軟式野球日本代表チームの選手たちとハイタッチ(本人提供)

硬式野球の指導者になっても、「学生のため」「野球界のため」との信念は揺るがない。中京学院大では、選手の意識改革、そして地域密着のチームづくりという新たな挑戦に臨む。小野はすでに胸を躍らせている。「できるかどうか分からないですけど、やらないと分からないし、何が正解か、何が失敗かも分からない」

監督として生きる

in Additionあわせて読みたい