中京学院大・小野昌彦新監督(上) 指導者人生第2章、目指すは「おらが町のチーム」
今回の連載「監督として生きる」は、東海地区大学野球連盟に加盟する中京学院大学硬式野球部の小野昌彦新監督(52)です。現役時代は近畿大附属高校、駒澤大学で硬式野球をプレー。指導者としては大学卒業2年目から28年間、東北福祉大学軟式野球部コーチを務め、2015年からは大学軟式野球日本代表の監督に就任しました。軟式野球から硬式野球へ。異色の転身を遂げる小野氏の指導者人生と新天地での展望に迫ります。全3回の予定です(以下敬称略)。
「証明したい」意欲が20年越し監督就任の引き金に
「ずっと冗談だと思っていたんです」
20年前、大学軟式野球日本代表の活動にコーチとして初めて参加した。当時代表監督だった安達幸成氏は現在の中京学院大理事長で、出会った当初からしきりに「こっちに来ないか」と声をかけてくれていた。
だが、小野は聞く耳を持たなかった。「福祉大には恩があるので裏切れない。話を聞くつもりもないし、条件を聞くつもりもない」。東北福祉大では20代前半の頃からコーチの肩書で実質監督業を務め、長年にわたってチームを率いてきた。自身を成長させてくれた大学や、慕ってくれている部員、OBのことを思うと、東北の地を離れる選択肢は頭をよぎらなかった。
そんな折、一昨年12月に安達氏から「硬式野球部の監督として来てくれ」とより具体的なオファーを受けた。冗談ではない。紛れもなく、本気の言葉だった。
「野球界に恩返しがしたい」「恩返しをするためには硬式野球の指導も経験すべきではないか」「その経験を軟式野球にも還元できるかもしれない」「軟式野球界には将来を任せられる若い世代も出てきた」……。オファーを受けて以降、葛藤しながらも、前向きな考えが次々と浮かんできた。
そして決断した。小野は「福祉大では、4年間で社会に通じる人間をどう育てるかを学んだ。他の大学でも『人間づくり』を通して大学の名を全国に広めることができると証明したい」との意欲が、「最終的な引き金」になったと話す。指導者人生の第2章は、50歳を過ぎて幕を開けた。
「悪い意味でイメージとかけ離れていた」第一印象
軟式野球から硬式野球への転身とあって、「めちゃめちゃ不安はある」。だが、「やる野球は変わらない。守備を重視して、得点できる時にいかに得点できるか。点をやらなきゃ負けないですから」と自信ものぞかせる。戦術面こそ違いはあるものの、徹底してきた「守備重視」の野球は揺るがない。
一方、懸念材料もある。中京学院大は菊池涼介内野手(広島東洋カープ)や吉川尚輝内野手(読売ジャイアンツ)らを輩出している名門校。2016年の全日本大学野球選手権記念大会では、初出場・初優勝をやってのけた。しかし昨年、リーグ戦に足を運んで初めて中京学院大の野球を目にした小野に第一印象を問うと、「悪い意味でイメージとかけ離れていました」と率直な感想が返ってきた。
「簡単に言うと、緩い。軟式野球の選手の方が一生懸命やっているように見える部分もあった。ただ、彼らにとってはそれが当たり前になってしまっている」。野球の技術以前に、野球に対する姿勢に危機感を覚えた。
現在、硬式野球部には専用球場も、室内練習場も、寮もない。球場を借りられない日や雨天の日は、練習が休みになることもあるという。また前監督は高齢のため、昨年のリーグ戦はベンチ入りしていなかった。選手にとって恵まれた環境とは言えないのが現状だ。監督が代わるからといってすぐに大きく変化するわけではない。ただ、小野には秘策がある。
「地域密着」「意識改革」新天地で打ち出す秘策
「大学に専用球場を作ってくれとは言わない。それに代わる何かを得るため、地域の方々からお力を貸していただけるような、応援していただけるような硬式野球部にしたい。硬式野球部だけでなく、中京学院大にある九つの運動部を『おらが町のチーム』にしたい」
小野が目指すのは「地域密着」だ。東北福祉大時代はチームを強くすることは大前提の上、地元の小中学生を対象に野球教室を開くなど、地域に根ざした活動にも精を出した。地域で応援される大学の運動部には、必然的に有望な学生が集まるようになる。実際、かつては硬式野球を辞めた選手の「受け皿」として機能していた軟式野球部も、今や一つのブランドになりつつある。
「僕たちが『来てよ』とお願いするのではなく、高校生の方から『行きたいです。受けていいですか』と言ってもらえるようになるのが理想」と小野。中京学院大の監督には2月1日付で就任するが、早くも2月中に近隣の自治体で野球教室を開催する予定が入っているという。
また、OBが監督を務めることが地域密着を促進するとの考えも持っている。監督就任に当たり、小野に近しい指導者をコーチに据えることもできたが、あえてOBの池ノ内亮介氏(元・広島)を呼び寄せた。今後のビジョンについて「10年も20年も監督をするつもりはない。一度血の入れ替えをするだけ。1年でも早くOBにバトンタッチしたい」と話すのも、大学の未来を思ってのことだ。
「おらが町のチーム」をつくるためには、選手の「意識改革」も必要になる。「人間づくり」を根幹に据えるゆえんはそこにある。東北福祉大では選手に常々、「今新入生が何十人もいるのは、君らが頑張った結果。君らを見て来た子たちに、入部してから『なんだ、こんなもんか』と思われないように、学校の名前を背負っている意識で野球をやってくれ」と話してきた。同じことは中京学院大の選手にも伝えるつもりだ。
「勝ち負けはもちろん大事ですけど、優先すべきは学生と信頼関係を築いて、学生を4年間で社会に通じる人間にすること」。東北福祉大で28年間培ってきた、選手の意識を変え、育てるノウハウを、新天地でどう生かすか――。挑戦はすでに始まっている。