陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2024

駒澤大・安原太陽 「2年連続三冠、すべて走った男に」達成ならずも、感じた応援の力

2年目から3大駅伝皆勤賞の駒澤大・安原太陽(撮影・北川直樹)

駒澤大学の安原太陽(4年、滋賀学園)は2年目から学生3大駅伝にフル出場し、チームの4年生の中ではトップの出走回数を誇る。「駒澤大は練習の雰囲気、生活の雰囲気に感じるものがあった。ここでなら強くなれるんじゃないかと思って決めました。フィーリングです(笑)」強豪に入部を決めた経緯を語り、入学時は同期の中で8番目と決して目立つ選手ではなかったが、実力者たちに負けじと力を伸ばしてきた。4年目には目標としていた日の丸も背負い、駒澤大での4年間は充実したものだったようだ。

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壁にぶつかった最初の箱根駅伝

2年生のときから3大駅伝で皆勤賞。出場9回中8回で区間5位以内に入り、駅伝を外さないイメージがある安原だが、2年生のときの箱根は3区で区間16位に沈んだ。

3大駅伝には2021年10月の出雲駅伝でデビューを果たし、6区を任された翌11月の全日本大学駅伝は9位で受けたところから5人抜きの快走を披露。チームを一気に優勝圏内へと押し上げた。良い流れで迎えていた分、箱根駅伝でもいけるんじゃないかという気持ちもあったが、甘くなかった。

ほか二つの駅伝と比べて距離が格段に伸びる箱根路。安原は「箱根は20kmという長い距離で、スタミナが絶対必要になってくる駅伝。スタミナが無いと勝負できないと感じた」と振り返る。

初めての箱根は区間16位に沈み、苦い思い出となった(代表撮影)

区間順位もタイムも奮わず、「ブレーキになってしまった」と気持ちが沈み、3月ごろまではうまく走れない時期が続いた。

「1、2区はかなりいい流れで来た中でのぶち壊しですから。チームメートとかにはあまり言われなかったですけど、走ってる時の沿道からの声はいい応援だけじゃなくて厳しい声もあって、しかもそれだけが耳に残るんですよね。あとは見なくてもいいのに書き込みとか見ちゃって、あれは気持ちがめちゃくちゃ落ちて、かなりやられました」

復調を印象づけたのは7月のホクレンディスタンスチャレンジ網走大会だった。5000mで13分37秒01の自己ベストをマーク。ここで結果を残せたことで気持ちが前向きになり、「次の駅伝で絶対にやってやろう」と先を見据えることができた。

人が絶えず「これが箱根駅伝か」

「2年連続の三冠、すべて走った男になる」

駒澤大として史上初の学生3大駅伝三冠を達成した第99回箱根駅伝の直後、安原はすぐにこの目標を立てた。これを達成できる選手は安原だけだったため、強い思い入れがあった。

最後の駅伝シーズンは出雲、全日本と順当にメンバー入り。チームは1区から一度もトップを譲らないレース運びで、どちらも優勝を果たした。チームとしても、個人としても2年連続の三冠達成まで、あと一つの状況で迎えた箱根駅伝は2位。悔しさを味わった一方で、楽しかった思いもあるという。

「きつかったですけど、楽しかったです。楽しんで走るというのは1区のスタート前からチームで話していて、どんな結果であっても楽しんで走ると決めていた。今年は応援が本当にすごくて、それもびっくりしながら楽しんで走れました。スタートしてからゴールの中継所まで人が絶えることがなくて。後ろから藤田(敦史)さんが声をかけてるけど聞こえない時もあって、何回か聞き直しました(笑)。3回走って、4年目にして初めての経験だったので、それもまた楽しかったです。『これが箱根駅伝か』って感じました」

最後の箱根は「これが箱根駅伝か」と楽しんで走れた(撮影・佐伯航平)

15km地点で弟の安原海晴(1年、滋賀学園)から給水をもらい、ラスト3km地点では往路を走ったチームメートから、ラスト1km地点では母親からの声援があった。沿道側の耳だけ耳鳴りがするほどの応援を受け「あそこまでのスケールの駅伝はもうないのかなと思うと、ちょっと悲しい気持ちにはなりますね。本当にいい経験させてもらえました」。さみしさを感じつつも、応援の力を感じる最後の3大駅伝だった。

目標だった世界大会、経験し「もう一度」

4年目にもう一つ目標としていたのが、トラックシーズンで勝負することだった。FISUワールドユニバーシティゲームズへの出場を目指し、3月の学生ハーフマラソンに挑んだが足首をひねって途中棄権。そこからは気持ちを切り替え、4月の学生個人選手権へ。男子5000mの出場者は5人と少なかったが、冷静なレース運びで誕生日当日に優勝をおさめた。これにより、自身初の世界大会への切符を手にした。

駒澤大学・安原太陽が個人選手権5000m優勝 「勝つことだけ意識」ラスト勝負制す

ワールドユニバーシティゲームズは4年間で最も印象に残っている大会だと話す。「初めての海外レースで、その中でも勝負して金は取れなかったけど、メダルは取れたことが、自分の中でもいい経験になりました。また、海外の選手ともコミュニケーションを取る機会が多く、今後につながる刺激をもらえるレースでした」。常に上を目指し、目標に向かって努力してきたからこそ、充実したラストイヤーを送れたのだろう。

誕生日レースで優勝。ユニバ出場を決めた(撮影・井上翔太)

最後に駒澤大を選んでよかったですか? とたずねると「よかったです、本当に。監督コーチ陣の指導の熱量もそうですし、周りの仲間、特に4年生なんかは本当に強いレベルの選手たちがたくさんいて。その中でレベルアップしていけたのは本当によかったと思ってます」と笑顔を見せた。

卒業後は「もう一度、世界で勝負する、活躍する選手になるのが今の大きな目標なので、そこに向けてまずはトラックで勝負していきたいと思っています」。再び世界の舞台をめざす。

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