野球

特集:駆け抜けた4years.2024

横浜国立大学硬式野球部4(完)求められる自立、10年先を見据えた「未来への投資」

昨秋の「国大旋風」を次の代につないでいく(すべて撮影・矢崎良一)

横浜国立大学硬式野球部の4年生を追う特集の最終回は、卒業していく彼らのチームに対する思いと、次の代に引き継がれていくイズム、そして国立大学としてのチームのあり方について書いていく。

横浜国立大学硬式野球部3 強豪校レギュラーとベンチ外、対照的な経歴の2人が融合

話し合い、お金を出し合ってラプソード購入

坂手裕太主将(4年、県立相模原)を中心とする4年生が最上級生になった昨年のシーズンオフ。彼らはある買い物をしている。「ラプソード」という、投手の球速だけでなくボールの回転数や変化量、打者なら打球速度や角度といった投球や打球の“質”を測定する計測機器だ。いまや選手や関係者だけでなく、野球ファンの間でも、その名が知られるようになった。

購入にあたり、ミーティングで何度も話し合った。学生コーチの吉田貴俊(4年、東京都市大付属)は言う。「もともと『考える野球』を打ち出していて、デモンストレーションで実際に計測したラプソードの数値を見ても、自分たちの感覚とあまり差がなかったんで、やはり必要性は感じていたんです。ただ、どうしても金額の問題で……」

プロのみならず、大学でも導入しているチームは多い。ただ、精密機器だけに決して安価ではない。横浜国大にも学校から支給される活動費はあるが、ボールなど最低限必要な用具を購入するだけで、ほぼ底をつく。そこで、部員全員でお金を出し合って購入することになった。それとは別に毎月の部費も納めているだけに、大学生にはそれなりの負担になる。購入が決まってから、バイトを始める部員もいた。チーム内には反対の意見もあったという。

だからこそ、購入後には「絶対に役立てるんだ」という意識が強かった。部員たちは計測したデータをスマホで共有し、個々の課題についてアドバイスし合うことも多くなった。

お金を出し合って測定機器「ラプソード」を購入した

ただ、4年生たちにとって使えるのは1年間だけ。これから入学してくる部員たちは、無償で利用することができる。一見すると不公平だが、坂手はむしろ誇りに感じるという。

「4年生の中には、“未来への投資”という思いでお金を出した人も多いんです。自分たちは1年間しか使えないけど、未来の国大野球部が良くなるんだったら、その何万円を出してもいいんじゃないかと考えられた。それが、この代が作ってきたカラーなんだと思います。僕自身、先を見通して何かを仕掛けることが大好きですし、そうやって一つの組織を今の代の結果にとらわれることなく強くしていくというのも、一つのだいご味のような気がしています。だからみんながそういうメンタリティーを持てるように働きかけてきたつもりでした」

強豪大学とは異なる、レベルアップの方法

強豪大学の選手からは、自身の技術向上や、優勝したい、プロに行きたいという話を聞くことはあっても、5年先10年先のチームのあるべき姿について聞くことはあまりない。中学高校と強豪チームに所属していた鵜飼彬史(4年、日大藤沢)はこう考えている。

「それは環境の違いによるものでしょうね。強豪チームって、誰かがうまくなればチームも勝手に強くなるものなんです。だって自分がうまくなれば、自分をライバル視している選手が周りにいるので、そいつも自然とうまくなっていくでしょう。僕も中学や高校の時はそうでしたから。でも、今の僕らはそういう段階じゃなくて、全体的にレベルアップしていく必要がある。人数も他の大学に比べたら少ないし、1人が頑張ってもダメなんだってみんなわかってるんです。じゃあみんなで頑張って、みんなでレベルアップして、1部で戦っていこうというのがウチの考えなんで。チームのレベルアップのさせ方が根本的に違うんです」

フルタイムで指導できる監督、コーチがいないこともあって、部員たちが野球の技術を上げる方法を自分たちで考えている。個人で野球塾に通う者もいるし、チームとして外部のコーチに依頼してグラウンドで指導を受けることもある。

「バッティングやフィジカル面というのは専門分野でもあるので、そこは自己流ではなく、プロの方にきちんと指導をお願いするべきだと思いました」と吉田は言う。そのため、ラプソード購入のときのように部員から臨時でお金を徴収することもある。それでも個人で動くより、チーム単位で動いたほうが安く済むという。

横浜国大では全員が頑張って、全員がレベルアップする必要がある

石川直監督が心がける「ほどよい距離感」

チームの指揮を執る石川直(すなお)監督は、野球部のOBで、卒業後は一般企業に勤務した後、独立して起業。2017年に前任の田中英登監督の下でコーチに就任し、一昨年秋、退任した田中監督の後を受けて監督に就任した。

週末やリーグ戦がある日はチームに同行するが、平日の練習は仕事の関係でグラウンドに来られる機会が限られる。それだけに選手とは「彼らは私のことをうまく使い、私はうまく使われるという関係性を保つ」と表現するような「ほどよい距離感」を常に心がけている。

「あくまでも選手主導という形は大事にしていますが、彼らもときに暴走することがある。暴走といっても、もともと賢い子たちですから、ルールを逸脱したりむちゃな行動をしたりするわけじゃないですよ。あくまで方法論の問題です。彼らがやりたい野球は何かを大切にして、その中で勝つためにはどうすればいいのかというのを、私が助言したり、やりたいことをそこに加えたりという感じですね。私もここの卒業生ですので、そういう文化がわかっていないと、ここの指導者はなかなかできないと思います」

穏やかな口調でそう言う。石川は米子東高校(鳥取)の主将・捕手として1986年夏の甲子園に出場。開会式で選手宣誓をしている。初戦を突破したが、2戦目となった3回戦で優勝した天理(奈良)に敗れた。1年間の浪人を経て、横浜国大に入学した。

「僕は高校時代にいろいろ嫌なことがあって、いっとき野球を嫌いになったんです。浪人中に『もう一度野球をやろうかな』と思ってここの野球部に入ったんですけど、すごく楽しかったんです。今までのやらされる野球から、ここで学んだことをここで試すというか、そういう自由な感覚がありました。今の学生たちも、そういう感覚でやっているんじゃないかな。たぶんみんな、この組織が好きなんだと思います。好きだから、自信を持っていろんなことに取り組めるんだと思います」

自身も横浜国大OBの石川監督

石川は「主将の強弱でチームの色が変わってくる」という考えを持っている。横浜国大のような選手構成のチームでは、「強い子」が主将に就くと、上を見るあまり、Bチームにいるような部員たちが疎外感を感じてしまうことがある。そうなると、チーム力としては弱くなる。そういうところにも気を回せるような主将が理想だ。坂手主将については「自主性があって、バランスが良くて、でも、とがってる。横浜国大らしい選手」と評価する。

野球がきっかけで「経営学」に興味

坂手は主将として、横浜国大にしかない野球を追い求めてきた。

「作り上げてきた文化や、妥協しない取り組みといったことが絶対に答えになってくるはずです。それを最大限引き出すようなチーム。正解は一つじゃないと思います。いろんな考え方の人がいて、バッティングが好きで追求している選手もいれば、140キロを目指しているピッチャーもいるわけで、いろんな目標を持つ人が集まってきて、自分の考えをぶつけ合うような。ちょっとちぐはぐになることがあっても、逆にそこを強みにしなきゃ僕らは勝てないですから。だから、昔ながらのリーダーのイメージは自分にはありませんでした。『こうやるぞ』と方向性をパンと打ち出すよりも、同級生がフラットな関係の中で意見を言い合えるような、その取りまとめ役でいいと思っていました」

そもそも横浜国大に進学した理由は、野球ではなかった。

「僕は経営学を学びたくて。でも、公立大学で経営学部があるのはウチと神戸大学だけなんです。商学部とか経済学部は割とあるんですけどね。まず公立の大学というもの自体が全国にそんなにないんで。それで第一希望にして、合格して」

経営学に興味を持ったきっかけは野球だった。中学、高校でもチームのキャプテンを務め「人を動かすって楽しいな」という意識があった。それが「社会に出たとき、人前に立つ仕事ができたら面白いんじゃないか」という思考につながった。

卒業後は野球とまったく関係のない一般企業に就職する。

「根底は野球をやってきたときと変わりません。何か人の役に立つようなことを、周りの人を巻き込んで、いろんな人に届けるということをやっていきたいですね。高校野球もそうですけど、まず自分が甲子園を目指してやっていて、そこにみんなを巻き込んで、いろんな人が感動してくれたり、影響を与えられる。そうやって作り上げたものに『ありがとう』と言ってもらえるような。そんな世界線を作りたいんです」

主将の坂手は経営学を学ぶために横浜国大にやって来た

鵜飼彬史と下田英司は卒業後、同じチームへ

エースの鵜飼と下田英司(4年、都立城東)は卒業後も野球を続ける。それぞれが別々に受け入れてくれるチームを探していたが、たまたま同じチームに入団することになった。

鵜飼は「目指しているものがあるので、そこにたどり着くまでの過程だと思っています。野球を続ける上での指標として、レベルの高いところで、勝てなくてもいいから、良い環境の中でもまれながらやりたいというのがありました」と言う。

下田は「1年でも長く野球を続けたい」と言う。

「まだ全然実力は足りていませんけど、自分で無理だと思うまでは、MLBを目指すつもりです。可能性がある限りは、諦めずにやりたいんで。高校の時もベンチ外だったけど、大学に行って活躍してプロに行きたいと思っていました。希望というか、諦めたら終わりなんで」

下田は1年でも長く野球を続けるつもりだ

坂手は「ここは可能性を最後まで信じられる場所」だと表現する。

「私学の強豪大学に行ってしまったら、『今はまだ下手だけど後々』というのは、なかなか難しい。どれだけ自分に可能性があると信じていても、『今ダメならもう終わり』と切られてしまう。それを最後まで、4年の秋が終わって引退するまで可能性を信じて、『明日結果が出るかもしれない』って頑張れるヤツらの集まりなんです。その人のポテンシャルがどれくらいあるのかはわからないですけど、自分の努力次第で、それを最大限に引き出せる場所ではあると思います。だって下田なんて、高校ではベンチにも入っていなかったんですよ。4年間、誰よりも自分のことを考えて練習してきたと思うんです。それができる環境だったから、それだけの努力ができたんじゃないでしょうか」

石川監督はこう言う。

「今は世の中が変わってきていて、学生も自立を求められています。そういう野球部でありたいです。野球を一生懸命やって、勉強もやって、就活もやって、それで1部リーグにいるということに価値があるんです」

チームブランディングは、次の世代へ

秋のシーズン終了後、チームに明るいニュースが飛び込んだ。3年生の藤澤涼介(佐野日大)が、「侍ジャパン」大学代表候補合宿に呼ばれることになった。入学以来通算8本(2部と入れ替え戦も含めると10本)のホームランを打ち、プロからの注目も集まり始めている。

吉田は強化合宿が行われた松山市の坊っちゃんスタジアムまで出向き、ネット裏からスマホで撮影した藤澤の動画をX(旧・Twitter)で配信している。それが吉田の最後の活動になった。卒業後は野球に関する仕事に就くことを希望している。

「侍ジャパン」大学代表候補合宿に呼ばれた藤澤

「僕らの代の戦いが、新チームやその先のチームに何か残っていればいいなあと思っています。でも、何か変わったというのは間違いないですよ。だって今まで、勝ち点というものを見たことがなかったわけですから。それまでの道のりが果てしなく遠い感じで、1勝したいけど、もう1勝(勝ち点)なんてマジで無理、ってみんな心の中では思ってたはずですから。それが経験できた。やり方が一つわかったというか、間違っていなかったことは確認できたんで、それはプラスの効果があると思います。ただ、相手からしたら『もう侮れない』という気持ちで絶対に来るはずですから、そういう100%の状態の相手と対戦しなくてはならない。そのプレッシャーはあるはずです。厳しい戦いが待っていると思います。僕らがハードルを上げてしまいました。でも、そういう中でやらなきゃ意味がないし、むしろ『やっと面白くなってきた』って感じじゃないですか」

4年生たちの思いは次の代へ受け継がれた

吉田が担ってきた「チームブランディング」は、2年生の金森太輝(東海大高輪台)や、マネージャーの栗林真子(2年、磐田南)が引き継いだ。新チームもすでに積極的に発信している。

「国大旋風」に替わり、新チームのスローガンは「逞しくあれ」。諦めそうになったときや弱気になってしまったとき、みんなが勝ちへの執念を心の中に持てるように、という願いが込められている。

in Additionあわせて読みたい