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特集:駆け抜けた4years.2024

早稲田大・目黒歩偉 3年冬に絶たれた選手生命、主将として探り続けた自分の立ち位置

試合中、目黒は相手ディフェンスのカバーをチェックし、オフェンスのプレーコールを伝達する役割を担う(提供写真を除き、すべて撮影・北川直樹)

主将でありながら、プレーで仲間を引っ張ることができない。その葛藤は、チーム競技において想像するに余りあるものだ。この役割を全うした選手がいる。早稲田大学ビッグベアーズを率いた目黒歩偉(あい、4年、佼成学園)は、けがのためこのシーズンは選手としてフィールドに立つことができなかった。そんな中、目黒はどのようにチームを束ねたのか。

【特集】駆け抜けた4years.2024

シーズン最後に「早稲田らしさ」を発揮

2022年、日本選手権の甲子園ボウルに出場したチームは翌シーズン、関東学生TOP8で4勝2敗の順列4位でシーズンを終えた。

早稲田は厳しいチーム事情に置かれていた。2年生時からエースQBを務めてきた國元孝凱(こうが、4年、早大学院)が春季オープン戦序盤で負傷し、秋の終盤まで欠場。代わりに3年の八木義仁(3年、早大学院)が攻撃を指揮した。同じく下級生からWRで出場していた主将の目黒も、シーズンを通して欠場。経験豊富な主力選手、しかも攻撃の司令塔と主将を欠くという状態で戦う必要があった。

苦しかった。オープン戦は、立命館大学、立教大学、明治大学、関西大学と、東西の上位校を相手に連敗した。今年はやはり厳しいか。そう思われたが、関東TOP8の中でも高い組織力に定評がある早稲田は、着実に力をつけていく。春に経験を積んだ八木の安定感が増し、安村充生(4年、早稲田実業)、花宮圭一郎(4年、足立学園)ら経験豊富なRB陣がオフェンスを支えた。序盤の慶應義塾大学戦、東京大学戦を完封して優勝戦線の有力候補になった。

早稲田大・花宮圭一郎 持ち前の負けん気で、エースRBの座と甲子園ボウルつかむ

だが、第4節の立教大戦で20-21の逆転負け(のちに審判の裁定ミスが認定されたが試合結果は覆らず)。第6節の明治大戦は7-16で2敗目を喫して夢がついえた。どちらも獲得yd数では上回っていて、早稲田にとっては悔しい敗戦だった。

法政大がTOP8首位を決めていた最終節、早稲田はこのシーズンの悔しさをぶつけるようなゲームを演じる。第1クオーター(Q)に安村のランで先制すると、第2Qに安藤慶太郎(2年、早大学院)が独走で加点。鈴木晴貴(3年、鎌倉学園)がパントリターンを走り切り、K曽木聡(4年、國學院久我山)がフィールドゴール(FG)を決めて23-6で前半を折り返す。後半は法政大の攻撃を0点に抑え、曽木がFGを追加して26-6で関東王者に圧勝した。攻撃獲得ydは、法政の151ydに対して早稲田が360ydと倍以上の差をつけた。

シーズンの最後に、早稲田らしさが爆発した。

試合終了間際の早稲田オフェンスのハドル、主将の目黒がその中にいた。ニールダウン(QBがボールを受けた直後にひざをつく行為)で時計を回すためのもので、RBの位置についた目黒がボールを持つことは無く、法政の選手にタックルされるリスクも無いシチュエーション。これが今季、目黒が選手として唯一フィールドに入ったプレーだった。

QB國元(右)は目黒に「1年間ありがとう、お疲れ様」と伝えた(写真提供・早稲田大学米式蹴球部)

ハドルで、エースQBの國元が目黒に話しかけていた。後に聞くと「今シーズン試合に出られないことが確定していながら、アイ(目黒)は主将として誰よりも頑張っていたので、『1年間ありがとう、お疲れ様』などと話していました」と教えてくれた。

この時の気持ちを、目黒が振り返る。「ポジション柄、クニ(國元)とは入部時から深く関わってきました。2年生の頃からともに試合に出場してきた中で、フィールドでともに戦えなかったことへの悔しさもありましたが、最後にフィールドに立たせてくれたことへの感謝の思いが強かったです」

最終戦を勝利で飾り、仲間と肩を組んで第一応援歌「紺碧の空」を歌った。目黒は笑顔だった。

病院から仲間の試合を見ることもあった

このシーズン、目黒がプレーヤーとしてフィールドに立てなかった原因は、度重なる脳振盪(のうしんとう)だった。脳振盪は癖になりやすいため、頭部の激しいコンタクトを伴うアメフトを続けることが難しくなった。一昨年の12月、目黒はチームドクターとも相談し、プレーヤーを継続することを諦めた。しかし、実際にプレーをすることができない状況でも、目黒の意志は固かった。

「選手でやるやらないは置いておいて、どのみち主将には立候補しようと決めていました。このチームを初めての日本一にしたいって気持ちが強かったんです。そういうチームを、自分の手で作り上げたいって思いもありました」

仲間は、それまでの目黒のチームに対する働きかけを評価してくれて、主将になることが決まった。この1年を振り返り、目黒は言う。

「本当に、すごい難しかったなと思います……。プレーヤーでもない、スタッフに完全に移ったわけでもない。自分の立ち位置がすごく難しかったです。選手の視点で話そうにも、自分は実戦練習に参加できていないですから。だからといって、スタッフになっているわけでもないんです。みんなへの言葉の伝え方とかは、本当に難しかったなと思います」

9月3日の開幕戦。サイドラインでヘッドセットを付ける目黒と目が合った。このとき、私は目黒を書くことを心に決めた

目黒の口からは、「難しい」という言葉が何度も出てきた。彼の置かれた困難な状況、苦悩がにじみ出ていた。中でも苦しかったのは、チーム始動から間もない春シーズン。ほとんどの試合に勝てなかったことだったという。

「TOP8と関西のチームには全敗しました。そこで『なぜ勝てないのか?』と自分の中でなっても、試合に出て背中で見せたり、プレーで示したりすることができない。そんな中、どうやって上向かせるか。これが本当に難しかったです」

できないことが多い分、目黒はチームに対してどれだけ行動できるかにフォーカスしたという。何事に対しても率先して動くことで、結果として仲間がついてきてくれたと振り返る。

一方で、それすらかなわないこともあった。けがの影響で体調がすぐれず、練習を休むこともあり「チームに迷惑をかけてしまいました」。秋の立教戦は検査入院のため、病院からネット配信で試合を見た。仲間が負ける姿を見ることが悔しかったのと同時に、チームメートに対して申し訳なく感じた。「Gameweek(試合前の週)にほとんど練習に行けなかったということもあり、いつもと違う環境で試合に挑ませてしまった自分の責任を強く感じました」と目黒は言う。

それでも、最終的に口をつくのは感謝の思いだ。「4年生、特に幹部には自分がいないときにサポートしてもらえました。振り返ると、支えられた1年間だったなと思います」

「勝負どころで必ず決めてくれる」

目黒は佼成学園高校の1、2年時に日本選手権・クリスマスボウルで優勝を経験している。2年に上がるときには、小林孝至監督から直々に「来年の主将はお前だ」と言われていたという。主将として迎えた3年のクリスマスボウルでは立命館宇治を相手に敗れ、連覇はならなかった。

2019年のクリスマスボウルには主将として出場。立命館宇治に7-18で負けて自身のクリボー3連覇はならなかった

最初は勉強を頑張って国立大学を目指すことも考えていたが、早稲田の髙岡勝監督に誘われて早稲田に進むことに決めた。「目黒はウチの弟の方(髙岡慧輔、4年、早大学院)と小学校が一緒で、小3の頃から知ってます。高校のとき以外は近くにいた存在ですね」と髙岡監督。目黒は慧輔の影響を受け、富士通のフラッグフットボールチームで競技を始めた。監督とも付き合いが長く、気心が知れた仲だという。

大学に入ってすぐはコロナ禍の影響で試合数が少なく、出場機会に恵まれなかったが、2年生に上がると試合に出るようになった。高校と大学の違いについてはこう感じた。

「佼成は常勝チームだったこともあって、負けない試合をすることが体に染み付いていました。クリボーではそこを掬(すく)われてしまった。これは大学に入ってからも感じました。TOP8は実力が拮抗(きっこう)しているので、負けない試合ではなく、勝ちにいく積極的な試合をする必要があります。この辺が高校と大学の違いだったと感じます」

早稲田も関東では屈指の強豪だが、佼成学園のように大勝つづきで勝ち上がることはない。ライバルチームとの競った試合があるからこそ、チームのメンタルと戦い方が大事になる。目黒は下級生のうちからリーダーシップを発揮し、この部分に注力してきた。2022年シーズン、試合後の囲み取材で髙岡監督の口から彼の名前が出ていたことを思い出す。「目黒を中心に3年生がよくやっている」と。

大学2年の明治大戦。チームのレシービングリーダーとなる3キャッチ37ydを記録

「選手としては、WRコーチの宜本潤平(よしもと・じゅんぺい、現・ノジマ相模原)と同じように、秀でて足が速いわけでもなく、サイズがあるわけでもありません。でも、勝負どころで必ず決めてくれる頼りがいのあるWRでした。彼が出ていればという『たられば』はありますが、一方で試合に出てる学生が目黒の分も頑張ってくれた。ただ、私も含めて自分に対する甘さの結果が、今季のこの成績なのかなと思います」

髙岡監督は、終了したばかりの2023年シーズンをこう振り返った。

苦しかった日々も、今では「かけがえのないもの」

ビッグベアーズをまとめ上げた目黒について、髙岡監督は言う。「チームをリードする役割は、たとえすごいプレーヤーじゃなくても、試合に出られなくても、思いが一番ある子であれば任せられると私は考えています。目黒が主将をすることについて、迷いは全くなかったですね。彼は強がりな部分があるので、苦しんでいるところを私にはあまり見せませんでしたが」

目黒が苦しいとき、周りの4年生がいかにフォローするか。髙岡監督は、これがチームにとってはすごく大事だと説いてきたという。「キャプテンに目黒を選んだのは4年生。『目黒がしんどい分、お前らが支えるんだよ』っていう話はポイント、ポイントで確認しながらやってきました」。目黒がチームの中心にいたからこそ、早稲田は最終的に強い絆で団結した。

2023年シーズンの早稲田のチーム表彰で、目黒は井上杯(最優秀選手)を受賞した。4年間の彼の取り組みと、それに対するチームメートの信頼の結晶だ。

「チームメートへの感謝の気持ちが強かったです。ラストイヤーに選手を辞め、中途半端な立場にいたにもかかわらず、最後まで自分を信じてついてきてくれた仲間のおかげでMVPをいただけたと感じました」。目黒は改めて仲間への感謝を口にした。

「最後の最後までけがに苦しめられた4年間でした。でも、日本一になるために考え、苦しんだ日々は、かけがえのないものだったと思います」。ビッグベアーズでの4年間を、目黒はこう表現する。プレーヤーとしてアメフトをすることは難しいが、スタッフやコーチとしてアメフトに関わることは続けたいと考えている。苦しみながらもひたむきに戦い抜いた目黒の歩みは、形を変えてこれからも続いていく。

最終戦を勝利で飾り「紺碧の空」を仲間と熱唱。隣にいたのは、アメフトを始めるキッカケとなった、小学生のときからの幼なじみ髙岡慧輔

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