陸上・駅伝

特集:New Leaders2024

駒澤大新主将・篠原倖太朗 チームの先頭に立ち勝利を積み重ね、”紡ぐ”駒澤の歴史

1月の箱根駅伝で、1区区間賞で襷渡しをする篠原(左、撮影・佐伯航平)

「2年連続三冠」を掲げて臨んだ2023年度は、出雲駅伝、全日本大学駅伝の二冠は達成したものの、箱根駅伝で準優勝だった駒澤大学。24年度、チームをまとめる主将には篠原倖太朗(4年、富里)が就任した。主将として、競技者として駒澤大学最後の1年で目指すものを聞いた。

【新主将特集】New Leaders2024

自分を全国区にしてくれた駒澤への恩を返したい

「駒澤大学にすごく恩があるので」。篠原は主将になった理由をこう表現した。

普段、大八木弘明総監督が率い、世界を目指していくトップレベルのSチームで練習している篠原。実は、大八木総監督からは「もっと海外での合宿の回数を増やして、世界に出ていくための土台を作ろう」との言葉をもらっていた。だが、そこに「1年待ってください」と返事をした。

「田澤(廉)さん、鈴木(芽吹、ともにトヨタ自動車)さんを追ってきたので、2人が経験してきたものを自分も、という思いもありました。僕は駒澤大学に対して、すごく恩があるので。まずこの1年は恩を返さないといけない、チームを支えたいという気持ちで主将をやろうと思いました」。学年内の話し合いで「自分が(主将を)やろうと思ってる」と言ったところ、同級生たちから「篠原しかいないでしょ!」と心強い声ももらった。

箱根駅伝直後の1月4日に篠原の主将就任が発表された(撮影・藤井みさ)

篠原が陸上を始めたのは、小学校の時だ。もともと柔道をやっていたが体が大きくなく、学内のマラソン大会では優勝できるぐらいの実力があったため、「陸上の方が向いているかも」と地域のクラブチームで陸上を始めた。中学校で陸上部に入り本格的に長距離に取り組み始め、富里高校に入学後は往復40kmの距離を自転車通学しつつ、陸上部の練習に向き合った。徐々に実力をつけていき、コロナ禍で中止になったインターハイの代替大会では1500mで3位の結果を残した。しかしけがなどの影響もあり、高校時代の5000mのベストタイムは14分36秒11にとどまった。

全国高校駅伝で活躍していたわけでもないし、持ちタイムもそこまで速くない。自分は決して全国区の選手ではない、という思いが入学時の篠原にはあった。しかしいつか世代を代表する、学生を代表する選手になりたいと思ってはいた。

「学内でも学外でも、同級生には負けたくない」という思いを強く持っていたが、同時に「誰よりも練習しないと勝てない」とも考えていた。まだ持ちタイムもない1年時から、「田澤さんと一緒に練習をさせてください!」と藤田敦史コーチや大八木監督(ともに当時)に直訴し、強度の高い練習を一緒にやらせてもらった。

全国区の選手になりたいとは考えていたが、ここまで順調に来られるとは思っていなかった(撮影・藤井みさ)

一緒に練習をすることで、田澤の才能を目の当たりにするとともに、その才能におごらない真剣な取り組みにも身が引き締まる思いだった。「こういう人が上に行くんだろうな、と思いました」と刺激を受けつつ、1年生の6月には5000m13分53秒92の自己ベストをマーク。駅伝シーズンにはルーキーながら出雲駅伝の1区に抜擢(ばってき)されるなど、大八木監督からの期待も大きく、一気に実力を伸ばしていった。

2年時には全日本大学駅伝で5区区間2位、箱根駅伝で3区区間2位の好走でチームの優勝と三冠達成に貢献。1月の都道府県駅伝に出場後、2月の丸亀ハーフマラソンで1時間00分11秒をマークし、日本人学生記録を更新。ここが、個人的なターニングポイントとなった。「飛躍したな! という自覚がありました。1つ上の位置に行ったかなというきっかけになりました」

その言葉通り、1カ月後の日本学生ハーフマラソンで優勝し、FISUワールドユニバーシティゲームズ(以下、ユニバ)の代表に内定した。そして3年の4月の金栗記念では10000m27分43秒13を出し、27分台に突入。学生3大駅伝すべてに出走し、先輩の鈴木、後輩の佐藤圭汰(3年、洛南)とともにエースと呼ばれる存在にまで成長した。

2月の丸亀ハーフ、3月の学生ハーフ、4月の金栗記念と破竹の勢いだった(撮影・藤井みさ)

「強くもない自分を受け入れてくれて、陸上部に入れてくれて、全国区にしてくれた。そういう意味ですごく恩があります」という篠原。もちろん強くなりたいとはずっと思っていたが、「ここまで順調に来られるとは思っていなかったです。自分が思い描いていたよりも1年早いです」と話す。

昨年からあたためてきたスローガン「紡」

実際に主将になってみて、意識が変わったところはありますか、と聞いてみると「実はないんです」と意外な答え。その理由として、去年からすでに「来年は最上級生として、主将になるかはわからないけど引っ張っていくぞ」とずっと意識しながら競技にも、日々の生活にも取り組むようにしていたからだという。

今年のチームスローガンは「原点と紡〜勝利への執念」だ。「原点と◯◯」が駒澤大のスローガンとして継承されている形。学年間の話し合いで1人ずついろいろな案を出した末に、篠原の案が採用された。「僕は去年から今年のことを考えてたので。(3年の)5月ぐらいからあたためてきたので、深みが違います」と少しいたずらっぽく笑う。

3年の時もずっと「次は自分が引っ張るんだ」という意識で過ごしていたと明かす(撮影・藤井みさ)

駒澤大は、藤田監督が学生だったころから「学生駅伝三冠」を目標としてきて、22年度についに達成。そして昨年度は「2年連続三冠」が目標となっていた。こうやって、みんなで目指すものが脈々と紡がれてきたという意味。そして、「自分たちの代を起点にして、2年連続三冠を目指してほしい」という意味も込めた。「来年僕たちはいないけど、“2年連続三冠”の土台を作ることはできると思うんです。駒澤の“歴史の1ページ”になるんじゃなくて、 駒澤の歴史を『紡ぐ世代』になりたいなと思っています」

そして、「勝利への執念」の部分だが、これは競技には限らない。人によって「勝利」の意味合いは違う。もちろん出る試合で勝つ、もあるが、例えば1日1日のポイント練習を消化する、けがをしない、設定体重を守る、といったことも含まれる。小さな勝利を積み上げていった結果、自己ベストを更新できたり、記録会の組トップになっていける。それが最終的に三冠につながっていくという考えだ。

4年生、そしてBチームの奮起でチームの底上げを

「最強世代」とも呼ばれた1つ上の学年が卒業し、「対外的にも、対内的にも戦力が落ちていると言われるのは間違いないと思います」と現状をきっぱりと口にする篠原。だからこそ今までのやり方ではだめだ、という気持ちもある。「何を変えていくか」は具体的にはまだ見つかっていないが、少しずつ練習も普段の生活も、自分たちに合ったものを試して見つけていくつもりだ。

実は篠原は昨年7月のユニバの前から夏合宿の前半にかけて、謎の不調で走れなくなっていた。自分からはあまりそのことについて触れなかったが、苦しんでいる姿を仲間が見て、さりげなく気にかけてくれていた。最上級生になるにあたっての学年ミーティングで、仲間たちが「篠原に支えてもらったから、最後はお前を胴上げしたい」と言ってくれたという。最終的な勝利をつかむためには、同級生たちの奮起は欠かせない。

しかしこれまでは駅伝メンバーの「次の1人」の立ち位置となることが多く、今いる選手で実際に駅伝を走ったのは篠原のほか、今年の箱根駅伝10区の庭瀬俊輝(大分東明)のみにとどまる。「どの駅伝でもあと1人、のところでメンバーから外れてしまっています。最後の1年は(4年生が)メンバーに選ばれて、一緒に走りたいと思いますね」。トラックシーズンからすでにメンバー選考は始まっているので、意識をしっかり持ってやっていってほしい、と同級生の奮起を促す。

今年の箱根駅伝でアンカーを担当した庭瀬(撮影・藤井みさ)

さらにチームの底上げのために、現状S、A、B、Cとレベル別に分かれて練習している中で、「Bチームの選手たちを強くしたい」と篠原は考えている。「駒澤に関しては、エースはいるんです。でも、他の大学と比べると中間層の薄さが目立ちます」。それが顕著に現れたのが、箱根駅伝だった。優勝した青山学院大は、エースの黒田朝日(3年、玉野光南)、太田蒼生(4年、大牟田)以外も10人中9人が区間5位以内で走り、駒澤の想定を超えてきた。

「Bチームの選手たちが想像以上の走りをすれば、9割がた駒澤のレースになると思います。いまBチームにいる選手は、『自分は駅伝には縁がない』と思っているかもしれない。でも、戦力が落ちた今こそチャンスと思ってほしいなと思います」

主将として、みんなで駅伝で勝ちたい

都道府県駅伝後はSチームの選手たちとアメリカ・アルバカーキでの合宿を行い、3月16日には世界トップレベルの選手が集まるレース「THE TEN」にも出場した篠原。合宿後一度日本に戻る必要があり、時差や長いフライトが大きく影響した。タイムは28分05秒70にとどまり、完走した32人中31位と、本来の力を発揮できなかった。だが、世界トップの走りを間近で体感できたことは大きな収穫となった。

「日本だとペースが一定で、いわば『作られた記録』というところもあるんですが、本当に海外だと生きたレースがあるんだなとわかりました」。1周ごとのラップは65秒で安定していても、前半の200mは30秒、後半の200mが35秒とペースの変動が非常にあった。その揺さぶりについてけなかったところもあるし、シンプルにスピードとスタミナの両方が欠けていた、とも口にする。「そこをもう1回やり直さないといけないです」

篠原の目は世界を見すえているが、前述の通り今年は「チームのために」という気持ちが非常に大きい。「日本代表として選ばれるのであれば出たいなと思いますが、もしその大会が駅伝とかぶるようだったら駅伝を優先します。主将として、みんなで駅伝で勝ちたい、という思いが一番大きいです」

みんなで強くなって、みんなでゴールで笑いたい。そのために1年、全力をつくす(撮影・藤井みさ)

篠原は自身が1年生だった21年5月の日本選手権10000mで、先輩の田澤と鈴木が走り、ともに27分台で2、3位となった姿に大きく心を動かされた。「『学生でもここまで戦えるんだ』と、自分の目指すところが確立したレースです」。2人の走りを目の当たりにした30分弱の時間が、篠原をずっと突き動かしている。「自分もそうやっていつかは、人の心を動かすレースをしたいですね」

いま篠原がターゲットにしているのは、5月の10000m日本選手権だ。それは3年前に田澤と鈴木のレースを見た場所と同じ静岡のエコパスタジアムで開催される。思わず「じゃあそこで、今度は先頭争いをする篠原選手の姿が見られますか?」と聞くと、「任せてください!」と笑顔とともに返事をしてくれた。以前、藤田監督が篠原のことを「ナイスガイ」と評していた理由がとてもよくわかる、気持ちのいい答えだった。

みんなとともに。駒澤のために。強い思いを持って、篠原はラストイヤーの1年を突き進む。

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