國學院大主将・平林清澄 勝ち切ることを徹底した先に見すえる「箱根駅伝総合優勝」
「箱根駅伝101回大会では、本気で優勝を狙いにいきます」。國學院大學の前田康弘監督は、今年の箱根駅伝後の取材でそう語っていた。「勝負の年」に主将に就任したのは、エースとしてチームの核となってきた平林清澄(4年、美方)だ。主将としての取り組みと、突き進む彼の現在地について聞いた。
「勝ち切る」目標を刷り込みたい
國學院では、例年主将は前田監督が指名する形で決まる。2023年度のチームでは、平林は山本歩夢(4年、自由ケ丘)とともに副将を務めていた。高校生でのスカウトの時点から、「4年生になったときに箱根駅伝で総合優勝するぞ」と言われていた平林たち。その大きな目標を達成するために、チームにとっての「最適」は何か。前田監督は何度もスタッフと話し合いを重ね、平林、山本のそれぞれとも「どうしていきたいのか」を個別にじっくりと話した。
山本は3年時故障で苦しんでいる時間が多く、年間の練習継続率が高くない状況だった。一方で平林は故障はあったものの年間での練習継続率が高かった。その点を考慮し、前田監督はチームの起点となる主将に平林を指名した。
平林が主将になってまず取り組んだのは、「目標の刷り込み」だ。「駒澤さんや青学さんは、『優勝』という目標をしっかり全員に刷り込んでいたのでは、と思ったんです。うちのチームには去年、脳裏に焼き付けるぐらいの感じが足りなかったなと考えました」
上半期の目標は「出るレースで勝ち切る」だ。その目標を刷り込むために、月ごとの目標設定シートの右上にも必ず「出るレースで勝ち切る」と全員に書かせるようにした。「あとは、こうやって取材を受けて僕が話して、それが記事になってみんなが読む。それでまた意識すると思っています」。いろんな方面からの「刷り込み」を徹底しようとしている。
また、「レースに対する準備、練習に対する十分な準備、自分で走る環境は自分で作る」の3つを大事にしてほしいと示した。準備はわかるが、「自分で走る環境は自分で作る」とは? 「まず、生活です。細かいことですが、寮のトイレのトイレットペーパーを使い終わった人がちゃんと補充すること。洗濯室に洗濯物が散乱する状態もなんとかしないと、と思って、洗濯かごも置きました」。快適に生活できる環境を作り、競技に集中できるようにしないといけないと考えてのことだ。
去年はこういったことを前田監督から言われて直すこともあったが、今年は主将に寮長も兼ねている平林が、先頭に立って生活面でも改革をしようとしている。
「僕は、選手がやりすぎるのを止めるのが監督の仕事だと思ってるんです。前田監督は、僕たちが『こうしたいです』ということの筋が通っていれば、『やってみろ』と言ってくれます。選手たちがもっと自分たちから『これをやりたい』といえるチームにしていきたいんです」
自らを「完璧主義」といい、思いが強いあまり、言い方がきつくなってしまうこともある。前田監督からは下級生の頃から「もっと使う言葉を意識しろ」と言われ続けてきた。山本が平林の言葉をとてもうまくフォローしてくれることもあり、「いつも助かってます」と“相棒”への信頼をのぞかせる。
箱根2区の快走、そして大阪マラソンの快挙
平林は2月の大阪マラソンで2時間6分18秒のタイムで優勝し、初マラソン日本記録、日本学生記録をともに更新する快挙を成し遂げた。1年生のときから「マラソン向き」と前田監督に言われており、マラソンへの興味は早い段階からあった。「短い距離が嫌いなんです(笑)。長い距離の方が自分の土俵だなと。それに、未知の領域が大好きなのもあって、ずっと面白そうだなと思ってました」
1年の3月に日本学生ハーフマラソンで優勝し、いよいよマラソンにチャレンジする機運が高まった。2年の夏合宿では40km走にも取り組み、スタミナを鍛えた。箱根駅伝後の2月、大阪マラソンで初マラソンと決まったが、箱根後に仙骨の疲労骨折が判明した。
診断が降りた日は寮の夕食に間に合わず、泣きながら大阪王将に行き、ラーメンと天津飯と餃子と唐揚げを頼んで完食したと笑って思い返す。「さすがにあの時は1週間ぐらい病んでました。でも今思えば、『お前にはまだ早い』ってことだったんだろうなと思うんです」
今年の箱根駅伝では2年連続2区を担当し、1時間6分26秒で区間3位の快走。だが12月のエントリーメンバー発表後、チーム内で選手たちが次々とインフルエンザにかかり、平林も例外ではなかった。主力がほぼかかってしまったため、回復してからは逆に「自分が(2区を)やるしかない」と気持ちを強く持った。
やるしかないと腹をくくったとはいえ、当日の朝まで平林の心には不安があった。「いって(1時間)7分半ぐらいかなと思ってたんです」。だが、襷(たすき)をもらったらもう「いくしかない!」という気持ちに変わった。17位でもらったため、とにかく前を追い抜き、シード圏内まで戻す、という気持ちだけが平林の脳内を占めていたのだという。
復路は全中継所をまわって選手に声をかけ、ゴールでアンカーの高山豪起(3年、高川学園)を出迎えた。つかの間の休みを挟んで6日から走り出し、1月中旬は10日ほど宮古島での合宿へ。戻ってからはほぼ1人で練習を積み、大阪マラソン当日を迎えた。
「万全の状態で迎えられました。箱根と同じような感覚で行こうと思っていました」。前田監督からは、初マラソンを踏まえて課題を探していこう、30kmまで頑張ってそこから(1km)3分5秒で粘れば学生記録を更新できるから、と言われていた。だが1km2分58秒ペースで粘っていたら、次第に選手が離れ、気づけば先頭争いになっていた。
37kmからはストライドが狭まり、1kmが永遠にも感じられるほど長く、「走るのをやめてやろう」と思うぐらいキツかったと思い返す。「けど、それこそを求めてたんです! 自分の知らないことを経験したいと思っていたので、その興味を満たすことができました」。レース中、笑っているように見えたシーンが何度もあった。「たぶん無意識ですけど、笑ってましたね。楽しかったんです」。根っからの陸上好きの平林は、なんでも「楽しむ」ことをモットーとしている。存分に楽しみ、練習の成果を発揮しきれたからこその快挙だった。
後輩の勢いを感じ「うれしい」
1年の出雲駅伝でアンカーに抜擢(ばってき)されてから、ここまですべての駅伝に出場している平林。下級生の頃は「誰にも負けたくない」という思いが強すぎ、チーム内でも他の選手に負けたくないと考えていた。しかし一人ひとりの結果自体がそこで終わりではなく、箱根駅伝につながっているんだと気づき、チームメートが結果を出すことは「悔しい」ではなく「うれしい」ことだと思うようになった。
「新チームになって宮古島組が結果を出して、(2月の宮古島大学駅伝で國學院大は優勝)、(学生ハーフで)青木瑠郁(3年、健大高崎)が勝って、めちゃくちゃうれしいです。僕の大阪マラソンの結果にしても、自分が勝ったことももちろんですけど、それ以上にチームに勢いをつけられたことの方が喜びになっています。それが僕の中でのすごい変化ですね」と自身の成長を語る。これからどんどんチームが強くなっていけば、自分の持っている國學院記録も抜かれていく。それは少し悔しいけど、それよりもうれしさのほうが勝ると話す。
自分たちが「4年生の代で優勝したい」と考えてずっとやってきたからこそ、後輩たちにも「4年生になった時に、どうしたいのか」をしっかりと考えてほしい、とも口にする。「僕は下級生の頃から、毎日歩夢の部屋に行って『優勝するぞ』って言ってたんです。僕がいなくなってもチームは続くので、彼らがその先をしっかりとつないでいってほしいなと思います」
3年の学年リーダーは上原琉翔(北山)、2年のリーダーは田中愛睦(八千代松陰)が務める。平林、副将の山本と原秀寿(4年、新居浜東)、上原、田中の幹部で話し合いをすることが多々あるが、積極的に意見を言ってくれる後輩を頼もしく感じる。「新入生も、最初から『駅伝で区間賞を取りたい』と大きい目標を掲げる選手が多くて、負けてられないなと思いますね」と笑顔で話す。
「勝負の年」にも気負いなし、ただただ強くなりたい
今季のスローガンは、「歴史を変える挑戦〜Ep.3〜」、そして目標は「箱根駅伝総合優勝」。これまで「歴史を変える挑戦」というスローガンは、チームが初めて箱根駅伝でシード権を獲得した2010年度、そして出雲駅伝で初優勝し、箱根駅伝過去最高位の3位に入った2020年度に使用されていた。満を持して学生陸上長距離界最大の目標に挑む年に、三たびのスローガン登場となった。
「箱根駅伝総合優勝できるだけの戦力はそろっていると思います。今年の復路を見ていただければわかるように、2年生以下だけでしっかり走ってきました。チーム全体がしっかり底上げされて、レベルが上がってきているなと思います」
個人としては3大駅伝の区間賞は「目標ではなく使命」だという。「あとはマラソン(2時間)5分台や、海外のレースで結果を残したいなどもありますが、究極的には自分が知らないことを知りたい、興味、探究心、冒険をしたい、もっと広い世界を見て、新しいことをやりたいという気持ちです」
学生ラストイヤーだからと言って、特別な気負いはない。「チームの目標達成が一番です。そのために、ただただ強くなりたいです」。平林は「箱根駅伝総合優勝」をしっかりと見すえ、チームの先頭で走り続ける。