國學院大學は箱根駅伝で価値と意味がある5位 全員が感化された伊地知賢造の「攻め」
第100回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
総合優勝 青山学院大 10時間41分25秒(大会新)
2位 駒澤大 10時間48分00秒
3位 城西大 10時間52分26秒
4位 東洋大 10時間52分47秒
5位 國學院大 10時間55分27秒
6位 法政大 10時間56分35秒
7位 早稲田大 10時間56分40秒
8位 創価大 10時間57分21秒
9位 帝京大 10時間59分22秒
10位 大東文化大 11時間00分42秒
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11位 東海大 11時間01分52秒
國學院大學は箱根駅伝初出場が2001年の第77回大会という新興校ながら、第95回大会からは連続でシード権を確保し、今では実力校の一つとして数えられている。第100回大会での目標は「最低3位以内」。これには届かず、総合5位で終わったが、強豪校に仲間入りするための大きな糧を得た。
大会2週間前、主将がインフルエンザに
「すごく価値がある、意味のある、次大会以降につながる5位だったと思います」。目標はクリアできなかったが、前田康弘監督は力強くこう言った。
チームのコンディションは万全ではなかった。大会の1カ月前に10人以上がインフルエンザに感染。中でもチームにとって影響が大きかったのは、頼れる主将・伊地知賢造(4年、松山)の発症だった。前田監督は「箱根まであと2週間という頃だったので……。これにはかなり動揺しました」と明かす。
伊地知は3年連続で箱根路を走っている。2年時はエース区間の2区を、3年時は特殊区間の5区を担った。今シーズンの全日本では最終8区で区間2位と好走し、チームの順位を4位から3位に上げた。
箱根駅伝の出走すらも危ぶまれた伊地知だったが、なんとか間に合わせ、1区に起用された。するとインフルエンザ明けにもかかわらず、スタート直後から積極的な走りを見せた。区間新ペースで飛び出した駿河台大学のスティーブン・レマイヤン(1年、ンダビビ)に、駒澤大学の篠原倖太朗(3年、富里)と青山学院大学の荒巻朋熙(2年、大牟田)と一緒に食らいついた。
令和の時代に入ってから総合優勝を分け合っている駒澤大と青山学院大。この「2強」の選手とともに追いかける姿からは、「目指すはてっぺんのみ」という強い意志が感じられた。「てっぺん」は今年度のスローガンだ。
だが、8kmを過ぎたところでレマイヤンと篠原から遅れ、14km過ぎには荒巻にも離された。その後、後続集団に吸収されてしまい、区間17位と不本意な結果に終わった。
伊地知は自身の走りをこう振り返る。
「覚悟を決めて突っ込んでいきました。流れをつかみたかったですし、調子そのものは悪くなかったので。10km通過のタイムは自己ベストでした。そこは自分でも評価したいですが、オーバーペースでいった分、順位が伴わなかった」
15kmあたりから踏ん張り切れなくなったのは、インフルエンザの影響もあったかもしれない。
伊地知の走りに奮い立たされた平林清澄
スタートダッシュには貢献できなかったが、その姿勢は2大会連続で「花の2区」を担った副主将の平林清澄(3年、美方)にもしっかりと伝わっていた。
「伊地知さんから勇気をもらいました。自分も攻めようと」
新チームの主将になることが決まっている平林は、区間賞こそ逃したが、区間3位となる1時間6分26秒で駆け抜け、8人抜きを達成。第96回大会でOBの土方英和(当時4年、現・旭化成)がマークした1時間7分19秒を上回り、2区での國學院大記録も作った。土方らの世代に憧れて入学した平林にとって、この記録は乗り越えたいハードルでもあった。
平林は福井県出身。能登半島地震で甚大な被害を受けた石川は、隣県となる。幸い、家族も実家も無事だったが、同じ北陸の惨状に心を痛めていた。「自分にできるのは走ることしかありませんが、北陸への思いも胸に走りました」
復路は1、2年生のみで構成
3区で襷(たすき)を受けた青木瑠郁(2年、健大高崎)は平林が作った流れに乗った。前回1区で箱根デビューを飾った経験を生かし、区間4位と好走。これでチーム順位を三つ押し上げると、4区のルーキー・辻原輝(1年、藤沢翔陵)も流れを切らさなかった。青木同様に区間4位の堂々とした走りで5位に。5区の山登りでは上原琉翔(2年、北山)が降りしきる冷たい雨に苦しんだが、チームは往路6位に踏みとどまった。
往路は2区で8人抜きを果たした平林が「ゲームチェンジャー」になったのは間違いない。ただ、前田監督は「出走した全選手が、伊地知の攻めた走りに感化された」と話す。
1年生3人、2年生2人で構成された復路の選手も、前日の主将の姿から力をもらっていた。
8区で鎌田匠馬(2年、東海大山形)が、チームの順位を6位から5位に上げた。9区の吉田蔵之介(1年、埼玉栄)は、区間7位の堅調な走りで5位をキープ。父親が音楽グループ「ケツメイシ」のリーダー・吉田大蔵氏であることで注目を集めた。そして最終10区は高山豪起(2年、高川学園)。1年時の箱根で8区を走った実績がある高山も5位を譲ることなく、4位の東洋大学からは2分40秒遅れて、大手町のフィニッシュ地点に戻って来た。
明確になった優勝校との差「誰が走ってもいいように」
國學院大は往路も5人中、3人が1、2年生だった。これは来年度以降を見据えて、下級生たちに経験を積ませたわけではない。前田監督は「学年に関係なく、現時点で実力がある選手を選んだだけです」と説明する。今回走った下級生には、この経験を来年度以降に生かしてほしいと考えている。
「箱根は1回しか走れないと、ただ走っただけで終わってしまいます。実際に出て、感じたことをもとに練習に取り組み、次回に生かす。これを繰り返すことで、箱根がどういうものかわかるようになり、持てる力を発揮できるようになるのです。今回走った下級生にはそういうチャンスがあるので、上級生になった時が楽しみです」
前田監督も駒澤大時代、2年時から3年連続で箱根路を走った経験を持つ。むろん、今年走った下級生が来年も走れる保証はない。新たなチーム内競争を勝ち抜くことが前提になるが、計8人の下級生が経験を積めたのは、念願の初優勝に向けても意味のあることだった。
優勝した青山学院大との違いが明確になったのも収穫の一つだ。
「やはり、選手層ですね。10人以上が体調を崩したのは、私も含めたスタッフ側の課題になりましたが、そうなって改めて思いました。全体の底上げをしながら、登録16人の誰が走ってもいいようにしないと、優勝には届かない。『この選手ならやってくれるだろう』という思いや願望で勝てるほど、箱根駅伝は甘くないですし、ごまかしがきかない距離であることを痛感しました」
今回の5位は冒頭の前田監督の言葉通り、価値と意味がある5位だった。実力校から強豪校へ。國學院大はそこに進むためのフェーズに入っている。