野球

特集:New Leaders2024

東京大学・藤田峻也(上)「神宮の雰囲気とスケール感に圧倒された」入部を決めた一戦

地力をつけてきた東大の今季主将を務める藤田(撮影・井上翔太)

独自の選手勧誘やアナライジングなどの地道な努力が実を結び、近年、着実に地力がアップしている東京大学野球部。とはいえ東京六大学の他校とはいまだ戦力差があり、1998年春から52季連続最下位という長いトンネルが続いている。ただ、過去3年のチームは毎年勝ち星を挙げ、敗れた試合でも僅差(きんさ)のゲームが増えている。チームの進化を見据えた今年の主将・藤田峻也(4年、岡山大安寺中等教育)は、新たなシーズンに臨むにあたり、革新的な目標を掲げた。前後編に分けてストーリーをお届けする。

【新主将特集】New Leaders2024

岡山大安寺から数少ない野球継続OB

東京六大学リーグの開幕前、藤田のインタビュー取材前日のことだった。別の取材で出向いた青山学院大学で安藤寧則監督に「明日は東大に行きます」と話すと、「藤田君によろしくと伝えてください」と思わぬメッセージを託された。「面識がおありですか?」と尋ねると、「いいえ。でも、いつも気にかけていますよ」と言う。

翌日、藤田にそのまま伝えると、「本当ですか? すごくうれしいです。安藤監督のことはもちろん存じ上げていましたし、でも、僕が一方的に知っているだけだと思っていましたので」と驚きながら笑顔を見せた。

岡山大安寺高校からの数少ない野球継続者だ(撮影・矢崎良一)

2人はともに、岡山県立岡山大安寺高校を卒業した同窓生。世代はだいぶ離れるが、先輩・後輩の間柄になる。安藤監督が卒業したのは1996年。その後、同校は2010年に中高一貫の岡山大安寺中等教育学校に再編され、藤田はその6期生になる。

岡山県を代表する進学校なだけに、大学進学後も主要リーグで野球部に入る者は多くない。数少ない野球を続けているOBに「大学日本一チームの監督」と「東大の主将」がいるなんて、なかなかエッジの効いた高校野球部ではないか。

「強い東大」に背中を押され、突き動かされた

藤田の球歴はソフトボールからスタートしている。「小学校低学年の頃は野球(ソフトボール)と遊びに明け暮れていました」と笑う。学年が上がるにつれ「勉強6、野球4」のバランスに変わり、中学受験で岡山大安寺への入学を果たした。そこで本格的に野球を始めた。

今振り返れば、藤田の野球人生は、節々で「強い東大」に背中を押され、突き動かされてきた。

東大を志したきっかけは野球だった。中学3年生のとき「東大野球部が法政大学から勝ち点を挙げた」というニュースを耳にして興味を抱いた。2017年10月8日、エース宮台康平(元・東京ヤクルトスワローズなど)の活躍で、30季ぶりの勝ち点を挙げた試合だ。法政大から連勝での勝ち点は実に89年ぶりのことだった。

「当時は文武両道と言いながらも、やっぱりまずは勉強が第一にあって、その最高峰の場所が東大です。じゃあそこを目指そうという中で、東大に行けば野球もやれるんだというのは、一つのモチベーションになっていましたね」

2017年に勝ち点獲得のニュースに触れ、東大野球部に興味を抱いた(撮影・井上翔太)

岡山大安寺は強豪校とは言えないが、かつて夏の岡山大会で準優勝した実績もある。それだけに「キツい練習もありましたし、限られた時間、環境の中で、自分たちなりに本気で取り組んでいました」と藤田は言う。

中高一貫で5年以上も同じメンバーで野球をやっていたため、前後の先輩後輩を含む部員同士の絆は深くなった。藤田が「部員数も多くて強かった」という1学年上の代のチームは、レギュラー8人が3年生で、藤田が1人だけ2年生としてサードを守っていた。その先輩たちが卒業すると、藤田は内野手とピッチャーを兼ねるチームの大黒柱となった。

背中を押してくれた高校のチームメート

2年の秋、ブロック予選で創志学園と対戦した。相手は西純也(現・阪神タイガース)や草加勝(現・中日ドラゴンズ)といった強力メンバーが抜けた次の代のチームだったが、それでも0-17と圧倒された。「そういう強豪校の選手は、試合会場とかで見ても、体つきからして自分たちとは違いました。打球のスピードとか、もう別世界の人間という感覚がありましたね」

3年になると、新型コロナウイルスの影響をもろに受けた。

「3年生になったのになかなか練習もできなくて、最後の夏の大会も中止。不完全燃焼というか、割り切れない思いがあったんです。受験勉強に向かいながらも、『このまま野球を終わるのもなぁ』という沸々とした感情が心の中にありました」

だが、いざ東大に合格すると、今度は大学で野球をする決心がつかなかった。スカウトされたわけでも、ツテがあったわけでもないから、東大野球部がどんなところなのか情報がない。3月末に岡山から上京した時には、まだ入部をためらっていたという。背中を押したのは、高校のチームメートだった。

藤田が「強かった」と言う1学年上の代のエース中村源太は、1年間の浪人を経て、同じ年に大阪大学へ進学した。中村は阪大の野球部に入部することを決めていた。藤田が迷っていると知ると、岡山大安寺野球部のグループラインで「一緒に大学野球を頑張ろうぜ」と何度もメッセージを送ってきた。それでも迷う藤田に「とりあえず自分の目で見てから決めたらいいんじゃないか」とアドバイスした。

岡山大安寺時代の先輩・中村はいま、大阪大で活躍している(撮影・朝日新聞社)

もっと弱いチームをイメージしていた

東大の入学式を終えて間もない4月10日。藤田は春季リーグの開幕戦で東大と早稲田大学の一戦を観戦した。1人で神宮球場に行き、チケットを買って、東大側の一般観客席に座った。「試合が始まると、神宮球場の雰囲気と東京六大学のスケール感に圧倒されました」と当時の感動を語る。

早大に一時は6点のリードを許したが、粘り強く追い上げる。早大の6本を上回る7本の安打を放ち、終盤に早大のエース徳山壮磨(現・横浜DeNAベイスターズ)を降板させたが、1点及ばず5-6で惜敗した。

「大阪桐蔭時代に甲子園で優勝した徳山さんといえば、僕らでも知っていたし、そういうすごい投手に東大打線が引けを取らずに食らいついていく姿を見て、血がたぎったというか。正直、もっと弱いチームをイメージしていたんです。東大って強いんだ、と。僕もここで活躍して、こんな風に応援されたいと思って、入部を決意しました」

新入生の練習初日の4月25日。藤田は入部書類を持って東大球場に向かった。

1年生の頃は体の線も細く、野球をやる体力がなかった。リーグ戦のベンチ入りはおろか、フレッシュリーグでもレギュラー確定には至らなかった。それでも環境に慣れて練習量が増えてくると、メキメキと力をつけていった。

「守備に関しては通用しそうだな、と。もともと得意というわけではなかったのですが、大学に入って練習で伸びた実感があります。あとはバッティングをなんとかできれば、と思っていました」

2年になると、課題のバッティングが急成長した。

試合前にバットを振る藤田。2年の時に打撃が急成長した(撮影・井上翔太)
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