アメフト

立命館大・岩屋口天 トライアウトから滑り込み入学の元気印、神奈川県立高の星になる

守備で唯一登録された1年生。はみ出したショルダーのフリップが今春の岩屋口の目印に(すべて撮影・北川直樹)

2015年以来9年ぶりの甲子園ボウル出場を狙う、立命館大学アメリカンフットボール部パンサーズ。今春は東西の上位校と多くの交流戦を行い、新たな戦力が台頭している。5月26日にあった近畿大学との試合では、序盤から攻守で近大を圧倒して56-10で大勝。イキの良い新人が活躍し、選手層の厚さを見せつけた。中でもこの春に多くの出場機会を得ているDE岩屋口天(そら、舞岡)は、大きなポテンシャルを秘めた存在だ。高い身体能力と思い切りのよさで、守備の元気印となるプレーを見せている。

期待のルーキー、がむしゃらプレー

この日、神奈川県からやってきたばかりのルーキーに出番が回ってきたのは、28-10で迎えた第3クオーター。ディフェンスラインの大外・DEの位置につくと、持ち前のスピードで近大オフェンスにプレッシャーを掛けた。

岩屋口は、春初戦の龍谷大学戦でいち早くスタメンになると、その後のゲームでも出場機会を得て、がむしゃらなプレーを続けてきた。ユニホームのサイズが合っていないからか、ショルダーパッドのフリップがプレーごとにはみだしてしまい、先輩にしまってもらう姿が初々しかった。

春シーズンの早い時期から起用されるということは、コーチ陣からも大きな期待がかかっているのだろう。まだまだ大学のレベルに適応しているわけではなさそうだが、1プレー1プレーに全力を懸ける様子から、気持ちの強さが伝わってきた。

鋭い出足で近大のOLのブロックを打ち破った

大学の誘いなく…「人生一度きり」開き直って挑戦

岩屋口は、決して体格面で恵まれているわけではない。身長180cmに体重93kgと、このポジションの選手としては目立つサイズではない。

そのためか、大学進学に関しても苦しんだ。多くの有力選手は2年生の冬ごろ(3年に上がる前)に大学から声が掛かって進路に目星をつけるもの。しかし岩屋口は、このタイミングでの進路決定は逸してしまう。

高2冬のオールスター戦では活躍したが、意中の大学からは声がかからず(99が岩屋口)

2年の年末年始に実施されるオールスター戦(「STICKボウル」と「ニューイヤーボウル」)にはどちらも出場し、STICKボウルでは優秀選手賞も獲得した。「これでいろんな大学から声が掛かると思いました」と岩屋口は振り返るが、思ったようには誘いは来なかった。「高校に入ったときから、大学でもアメフトを続けることは決めていました」というように、やる気はあった。しかし、気がつけば3年の秋大会も終わり、10月を過ぎていた。

「さすがに焦りました。自分で1部のいろんな大学に電話を入れてみたりしましたが、どこも締め切っていて……」

岩屋口は顧問の高野利明先生に相談した。この頃、関東のBIG8(1部下位リーグ)のいくつかの大学が候補になっていたが、一番上のリーグでやりたい気持ちが強かった。そんな時に、高野先生から「立命館だけ、まだ受けられる」と聞いた。約半年前の気持ちを、岩屋口は振り返る。

「いやあ、立命レベルでやれるのか、っていうのと、関西で一人暮らしっていうのがキモでしたねえ。家から通えるBIG8の大学で、早いうちから試合に出て活躍するっていう道も考えました。この2択でかなり迷いました」

そして岩屋口はこう考えた。

「人生、一度きりなんだって。親も結構応援してくれて、じゃあもう挑戦してみようと。僕は舞岡レベルなんで、上級生になってなんとか試合に出られればいいかなって。それでも出られるか、わからなかったですが(笑)」

DLの中でも引き締まった体はアスリートぶりを思わせる

スピードとパワー 入学即基準クリア

立命のこのときのトライアウト参加者は、岩屋口だけだった。立ち会った長谷川昌泳コーチ(現・大産大附属高監督)は、岩屋口の出した結果を見て「この数値なら問題なく合格だと思う」と言ってくれた。それもそのはずで、岩屋口は40yd走で4.7秒を出したという。これはDLとして規格外と言っても良い圧倒的なスピードだ。

こうして、高3の秋に滑り込みで立命への進学先が決まった。

立命のDLが試合に出場するためには、数値の規定があるという。ベンチプレスは120kg、スクワットは180kg。大学進学までの数カ月間、岩屋口はひたすらトレーニングに打ち込んでいた。その結果、ベンチプレスは125kgを支えるまでになっていて、入学した時点で規定をクリアしていた。

「ラッキーだなって思いました。ディフェンスの1年では、自分だけだったんですよ」。岩屋口がうれしそうに話す。この筋力にスピードを持ち合わせている。立命にとって岩屋口は、まさに“掘り出し物”のような好物件だったに違いない。

持ち前のスピードで果敢にプレッシャーをかけにいった

少人数の県立高で攻守とキッカー兼任

もともとはサッカー少年だ。兄の影響で少年サッカーチーム「南ヶ丘キッカーズ」(横浜市港南区)に入ってプレーしていた。そこで兄が仲良かった友達の弟が、横浜栄高校でアメフトをしているという話を聞いた。その平澤幸也さんは、その後明治大学にスポーツ推薦で進んだ(24年3月卒)。

「平澤さんが、明治から声を掛けられて『人生が変わった!』って話を中学生のときに聞いたんですよ。ワッ、自分もアメフトやってみっか!って思いました」

アメフト部がある舞岡高に進学してみたら、アメフト部の雰囲気も最高だった。

「自分たちの代は11人いたんで、単独チームで試合に出られていたんです(現在は他校との合同チーム)。まあ、初戦で勝っても2回戦で私立に負けるくらいの弱小でしたが」。DLとRB、K、Pをプレーした。

思い出に残っているのは、2年生の夏に東海大学グラウンドでやった、知徳高校(静岡)との練習試合だという。「暑くて、もうボコボコにされちゃって。自分もぶっ飛ばされて頭から地面につっこんじゃって。ヤバいなあって思いました」。今では大学レベルで試合に出ている岩屋口が、すがすがしい表情で当時の思い出を話す。

高1からずっと憧れていたという明治大からは声が掛からなかったが、こうして立命に来られたことを「ほんと、運命だなって思います」と繰り返し口にした。

「ソラが小1くらいのとき、兄の付き添いでサッカーの練習に来てて、グラウンドの端で一生側転してました(笑)」と平澤さんは振り返る

毎日「これがホンモノのフットボールか」

入学前は不安もあったが、立命に入ってからは先輩たちが歓迎して受け入れてくれたという。

「練習とか全てが、コレかあ、コレが『ホンモノのフットボール』か、って。毎日が、コレに耐えれば!って感じです。試合に出るようになって、キツいランメニューの効果を実感しますね。『あの人(トレーナー)のランメニューのおかげで、こんなに動ける!』っていうのを、日々実感しています」

ただ、関西のノリにはまだついていけていないという。「『お前、そこはちゃうやろ!』って突っ込まれまくってます(笑)。関東から来てるやつも何人かいるんで、まあなんとかやれてますね」

大学に入って、初めて複合の練習でマッチアップしたのが、OLエースポジションである左タックルを守る、森本恵翔(4年、初芝橋本)だったという。

立命館大・森本恵翔 高校通算31本塁打の超大型スラッガー、再び目指す甲子園

「いきなり相手がすごい人だな、どうしようって思いましたよ!(笑)。でもスピードで勝負しにいったら、QBサック出来て『うわ、出来るんだ! あれっ?』って。練習を重ねてると、ケイショウさんめちゃくちゃ強いですけどね。強い相手と勝負するのは楽しいっすね。立命でやってると、試合本番は意外と平気だなって思います」

立命の最強OLと日々練習をしているから、自信を持って試合に臨めたという

「舞岡魂」をズタ袋とともに

生まれ育った神奈川県を離れ、はじめての一人暮らしで、まだ数カ月。来る前は、家族から離れる寂しさなどから、勉強や部活へモチベーションが保てるか不安だったという。

「今でもふとしたときに寂しいと思うことはあります。でも部活に行くと、同じ目標を持った人たちがいっぱいいるので、第二の家族みたいな感じで安心感があります。キツいときもあるけど、毎回『もっとやらなきゃ!』と思えますね」

パンサーズは、早くも岩屋口にとってなくてはならない居場所になった。

今の目標を聞くと「僕は舞岡出身なので、謙虚に、一生懸命頑張るだけです」と控えめな言葉が返ってきた。そして防具を入れる舞岡高ウォリアーズのズタ(防具を入れるキットバッグ)を手に、笑顔を見せてくれた。「たとえバカにされても、これだけは使い続けます」。舞岡魂は譲れない。岩屋口は、いまや神奈川県立高校出身者の期待の星だ。

秋には、もう一皮も二皮もむけた岩屋口天が見られるだろう。楽しみが、また一つ増えた。

この笑顔。好きな選手は49ersのニック・ボーサ。「たまたま、同じ97番を渡されました!去年のキャプテンの方も着けてたし、良い番号ですね」

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