関西大・向井亮輔 勝って泣き、負けて泣いたOLの大黒柱「最後は関学に勝って泣く」
アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は11月26日の関関戦がラストゲームとなる。昨年2位の関西大学カイザーズは第5節、立命館大学に27-38で敗戦。5勝1敗で、6戦全勝で60度目の優勝を決めている関西学院大学に挑む。勝てば6勝1敗で関学、立命館とともに同率優勝となり、抽選で全日本大学選手権進出校を決める。2年生からOL(オフェンスライン)のスターターとして最前線で関大オフェンスを引っ張ってきたのが、副将の向井亮輔(4年、関大一)だ。
高1の担任は、現在の磯和雅敏監督
向井は身長181cm、体重122kgの堂々たる体格。横に並ぶ5人のOLの真ん中にセットし、ボールをQBにスナップするセンター(C)だ。プレー直前に相手のディフェンス隊形を見て、ブロッキングのアジャストコールをOLの仲間に出す。1対1の強さには定評がある上に、機動力も優れたものがある。左右にプルアウトしてはリードブロッカーとして相手を蹴散らし、ダウンフィールドブロックでDBも狙う。その動きはとても120kg超の大男とは思えない。昨秋は大学入学以来の目標だったリーグのベストイレブンに選ばれた。
奈良県生駒市で生まれ育った。いまも生駒市内の自宅から原付バイクに乗って最寄り駅へ。そこから約1時間電車に揺られて大阪府吹田市内の関大へ通う。車内では寝ていることが多かったが、今年は自分の練習や試合でのプレーをスマホでチェックしていることが多いそうだ。
地元の公立中学校ではバスケをしていた。当時の体重は80kgほど。受験では進学校の奈良県立郡山高校を狙っていた時期もあったが、関大出身の母に勧められて関大一高を専願で受験して合格した。受験期に体を動かさなかったら、体重が10kg増えていた。関大一高では「ラグビーかアメフトをやろうかなと思ってました」という向井の運命は、クラスの担任によって決まった。
いま関大アメフト部の監督を務める磯和雅敏さんが、高1の担任だったのだ。当時は関大一高の監督だった。「磯和先生にずっとアメフトに誘われてて、1カ月迷って5月に入りました」と向井。磯和監督は「おとなしい子で、大きな文化系の生徒という感じでした。クラブどうすんねんと聞いたらラグビーって言うので、それやったらアメフトやろ、と。ずっと言い続けてたら、しゃあないなって言う感じで入部しました。最初の担任が僕じゃなかったら、絶対にアメフトやってないと思います」と、笑顔で振り返った。
ようやくやる気が出始めた高3の春
入ったのはいいが、なかなか本気になれなかった。「高1の夏ぐらいにほんまにやめようと思って母に伝えました」と向井。すると母に「まだ試合も経験してないのにもったいない。試合に出られるようになっても面白くなかったらやめなさい」と諭された。体の大きさを買われてOLになった。一つ上の代にセンターがいなかったので、高1の1月にあった新人戦でCのスターターとして試合に出るようになった。
高2になっても、やらされている感覚しかなかった。ただ、自分のすぐ後ろにいる3年生のエースQBが、いま大阪公立大学でプレーする篠原呂偉人さんだった。「ロイドさんはカッコよかった。絶対にけがさせたらダメなんで、ロイドさんを守ることだけ考えてました」
ようやくやる気が出始めたのは高3の春だった。関西大会で立命館宇治(京都)に勝って喜んでいたら、関西学院(兵庫)に7-47と大敗した。「それが悔しくて、自主性を持ってやらなあかんと思うようになった」。この時期はOLの中でもCの隣のG(ガード)としてプレー。練習後に仲間と1対1の勝負を繰り返すようになり、初めて自発的にブロックとパスプロテクションを磨いた。
高校のアメフト部を引退し、関大への進学を前にした1月、向井はU18高校日本選抜の一員として海を渡った。アメリカはテキサス州ダラスで開かれた「インターナショナルボウル2020」に出場。いま大学フットボール界で活躍するライバルやチームメイトとともにU17アメリカ代表と戦い、28-20で勝った。「まさか受かるとは思わず記念受験のつもりでトライアウトを受けたら調子がよくて、選抜チームに入れました。試合中は『アメリカに勝てんねんなあ』と思いながらやってました」。選抜チームの練習の中で、同年代のトップ選手たちの意識の高さを知り、いろんなことを教わった。大きな刺激を受けて帰ってきた。
アメリカでのフットボール以外での思い出は、コンビニで売っているジュースの種類が多かったことと、現地のお米がおいしくなかったこと。そしてホテルのロビーで映し出されたNFLのプレーオフの映像を見て、現地の人たちが派手に盛り上がっていたことだという。
先輩を慕う傾向は「末っ子だからですかね」
2020年春に関大へ進んだが、新型コロナウイルスの感染拡大でまともに練習ができず、本格的な練習が始まったのは7月ごろだった。秋は京都大学戦でCとして2、3プレー、立命戦ではけがをした先輩の代わりに第4クオーターからGに入った。神戸大学戦では大学入学後初めて、Gのスターターとして出た。先輩たちに「ミスってもいいから思いっきりやれ」と言われて、ひたすら突っ込んだ。「めっちゃ緊張しました」と向井は笑う。
2年になると全試合にGのスターターとして出た。「立命の水谷(蓮、現・富士通フロンティアーズ)さんにやられた以外は、あんまりDLに負けることもなくなってました」と向井。強くなれたのは、練習で1学年上のDL新倉達也さん(現・オービックシーガルズ)と当たっていたからだ。向井は「速いしテクニックがすごい。新倉さんとの1対1を繰り返して、うまくなれた。練習で新倉さんと当たってれば、試合では楽な気持ちでやれました」と振り返る。
この2021年は甲子園ボウルの西日本代表決定準決勝で立命に1点差で負けてシーズンが終わった。向井は立命戦の直後に大泣きした。「悔しかった。2個上の先輩が大好きやったんで」。主将のOL岩本士さんや副将のRB前川真司さんらを慕っていた。「めっちゃアツくて優しい人たちでした。めっちゃ悲しかった」
3年になるとOLのポジションリーダーになった。OLのスターター5人のうち3人が抜け、向井はGでなくCとして試合に出るようになった。「人がいなくてセンターに戻ったんですけど、めっちゃ嫌でした。ただ、うれしかったのはOC(オフェンスコーディネーター)」だった武田(真一)さんが『俺は一番強いヤツをOLの真ん中に置く』って言ってくれたことでした」。高3のとき以来でQB須田啓太(3年、関大一)にスナップを送る日々が始まった。
オンとオフの切り替えがうまかった主将の柳井竜太朗さん(現・エレコム神戸ファイニーズ)や、副将のOL田川颯佑さんの取り組みを近くで見ていて、向井は2年のときと同じように「この代で勝ちたい」と思った。先輩を慕う傾向にあるのは、「末っ子だからですかね」と向井。しかも姉が2人の末っ子だけに、どこかで「兄貴」を求めていたのかもしれない。立命に勝って泣き、最後に関学に負けて泣いた。「関学戦が終わってすぐは泣かなかったんですけど、ハドルで柳井さんとか田川さんがしゃべってるのを見て、『ほんまに負けたんや』と思ったら泣けてきました」
「僕たちが試合を通じてオフェンスを盛り上げる」
学生ラストイヤーを迎えるにあたって、WRの横山智明(4年、関大一)と向井が主将の候補にあがり、横山が主将、向井が副将になった。向井は「僕はプレーで見せるタイプです。横山は賢いししゃべるのがうまい。一時期まねしようとしたけど無理でした」と笑う。横山から「しゃべるときに前もって内容を二つか三つ決めとけば、うまくしゃべれる」とアドバイスをもらったが、「僕にはちょっと難しかった」と向井。
秋のシーズンが始まり、1、2戦目はふがいない試合が続いた。横山が「ここで変わらんかったら終わりやで」という話をして、3戦目の近畿大学戦からチームが変わったという。最初の大一番となった第5節の立命戦は主導権を握られ、追い上げのところで須田が二つのインターセプトを食らって負けた。向井はまた泣いた。「用意したプレーは結構ゲインしたけど、練習で起きてるミスがそのまま出た。自分たちの代で負けると、こんなに悔しいんかと思い知りました」
昨年の関学戦では想定外のディフェンスを敷かれ、向井はCとして適切なアジャストの指示を出せなかった。「でも今年は何が来ても対応できるように準備してきました。オフェンス11人のうち5人がOL。よくも悪くもOLがオフェンスを左右する。僕たちが試合を通じてオフェンスを盛り上げていきます」。負ければ大学フットボールが終わる。向井の言葉に力がこもった。これが向井亮輔のOL魂だ。
7年間培ったブロックで、関学の壁に突破口を
2020年から大学の監督に復帰し、高1から向井の7年間を見てきた磯和監督は言う。「向井君は能力にあふれた選手ではなかった。大きな文化系の子が、アメフトの世界で努力して努力して上り詰めた。高校を卒業するころには『社会人でもやりたい』と言ってました。その通りXリーグのトップレベルのチームに入るのも決まった。彼をアメフトに誘って正解でした。ほんとに立派になりました。前は口が裂けても『俺についてこい』なんて言う子じゃなかった。最近は練習後のハドルでそんなことも言ってます。自信がつくと人は変わるもんやなあと思いますね」
QB須田は高校時代からずっと、向井から渡されたボールを手に数々のプレーを展開してきた。向井について語ってほしいと伝えると、よく聞いてくれましたとばかりに話した。「気がついたらもう6年ぐらいずっとスナップを受けてます。めちゃめちゃ心強い。向井さんは1人で3人ぐらいブロックするときがある。強いだけじゃなくて、うまい。身近すぎて分からなかったけど、『めっちゃすごい人に守ってもらってるやん、自分』って今年は強く感じます。パスのときは正面(からの相手の侵入)を気にせず、ポケットにとどまれる。向井さんに稼いでもらった時間を無駄にしないよう、いいプレーにつなげられるように準備します」
勝って泣き、負けて泣いてきた向井の4years.。「最後は関学に勝って思いっきり泣きたいです」。高1からの7年で培ったブロックで、関学の青い壁に突破口を開き続ける。そうすれば、カイザーズに光が見える。