東北生活文化大・三浦向日葵(上)〝スケート観〟が一変した荒川静香さんらとの共演
フィギュアスケート女子の東北生活文化大学・三浦向日葵(3年、東北)が今年3月、自身のSNSで競技生活からの引退を発表した。数々の全国大会に出場し、10年以上にわたって仙台のフィギュアスケート界を牽引(けんいん)してきたスケーター。幼少期から目指し続けた「誰かの心に残るスケート」を体現するまでには、努力と葛藤の日々があった。
「誰かの心に残るスケート」を目指して
小学1年生の頃、親戚らと訪れた盛岡市のスケートリンクで滑ったのを機にスケートを始めた。小学3年生の10月からは地元・仙台市のクラブに所属。羽生結弦さんの元コーチでもある阿部奈々美コーチに師事し、着実に技術を磨いた。
練習はほぼ毎日行い、土日は午前10時頃から午後6時頃までリンクに立ち続けた。平日も、1時間のレッスンを物足りなく感じるほど練習にのめり込んでいたという。三浦は「もともと飽き性なんですけど、スケートだけは飽きなかった。シングルジャンプの次はダブルジャンプ、その次はコンビネーションをつけてみようと、どんどん難易度を上げていくことが楽しくて、毎日コツコツ練習していました」と当時を回顧する。
小学5年生の夏、三浦の〝スケート観〟が一変する出来事があった。仙台出身のトップスケーターである荒川静香さん、本郷理華さんと3人でアイスショーに出演することになったのだ。
「スポットライトに当たってお客さんの視線を浴びる経験は、その時が初めてでした。試合とはまったく違う、今までに感じたことのない感情や雰囲気を味わわせていただきました。同時に、『誰かの心に残るスケート』をしたいと思うようになったんです。点数はつかなくても、『三浦向日葵のスケート』が1人でもいいから誰かの心に残ればいいなと……」
もちろん、オリンピックや全日本選手権に出場することも大きな目標の一つ。ただ、それ以上に目指すべきスケーターとしての将来像が、幼心にはっきりと浮かび上がった。
「表現」へのこだわり持てなかった中高時代
「誰かの心に残るスケート」は簡単に会得できるものではなかった。試合ではジャンプやスピンを成功させるのに精いっぱい。練習中もジャンプの出来によって気分が浮き沈みしてしまい、表現にこだわる余裕はなかった。
ノービスの大会で活躍し、中学生になってからは栄養不足に陥ったり、脚を疲労骨折したりするほどハードな練習に取り組んだ。ケガを乗り越えて進学した東北高でも、2年時に全日本ジュニア選手権出場を果たすなど結果を残した。努力は無駄にはならなかった。だが、「三浦向日葵のスケート」は見つからないままだった。
高校3年の最後に臨んだ全国高校総体と冬季国体の結果が振るわず、大学進学前は一時的に競技を離れた。その期間もリンクには足を運んでいたが、目的は練習ではなく友人らに会うこと。三浦は気分転換で滑る日々を新鮮に感じた一方、「目標を持って練習していた自分と、曖昧(あいまい)な気持ちでスケートをしている自分とのギャップ」に苦しんだ。
そんな時、アイスホッケーをしている2歳下の弟に「今辞めたら後悔すると思う。2人で国体の選手になろう」と声をかけられ、競技継続を決意。今年1月の冬季国体で弟との約束を果たすまで、スケートに打ち込んだ。
ようやく見つけた「三浦向日葵のスケート」
大学では初心に立ち返り、「誰かの心に残るスケート」を追い求めた。特に意識するようになったのは、引退を決めて臨んだラストシーズン。三浦は「一つひとつの練習や大会に『最後』がつくようになって、技の成功だけにこだわり過ぎず、悔いはあっても後悔はないように心から楽しむしかないと思えるようになった」と話す。
「こんなに大勢の方に注目してもらう舞台は、これからの人生でないだろうし、自分のスケートを自由に表現しよう」。ショートプログラムの「ピアノレッスン」は自ら選曲し、フリープログラムの「ラベンダーの咲く庭で」は振り付けを担当してくれた鈴木明子さんと対話を重ねながら綿密に作り上げた。「最後」のプログラムへの思い入れが強まると同時に、これまで重きを置きがちだったジャンプやスピンに加え、表情の作り方、手の動かし方、スケーティングなど細部にまでこだわるようになった。
そして、三浦は一つの答えを見つけた。「周りからは『優雅な滑り』とか『滑らかなスケーティング』などと言っていただいたり、スピンを『ポジションがきれいで回転が速い』と評価していただいたりしますが……誰かを思いながら、気持ちを込めて、自分自身が心から楽しんで笑顔で滑るスケートが『三浦向日葵のスケート』だと思います」
支えになったSNSの声が「答え合わせ」に
周りからかけられた言葉やSNSの声が「答え合わせ」にもなった。三浦は大会などで滑った後、現地で寄せられる言葉を励みにするだけでなく、SNS上での自身の演技に対する感想もチェックして自信につなげていた。「向日葵ちゃんのスケート忘れないよ」「記憶に残るスケーターだよ」「お疲れさまでした、ありがとう」。引退を発表した際にあふれたねぎらいのメッセージにもすべて目を通した。
中には「これからの未来にたくさんの幸せがありますように」「次のステージでも輝けますように」など、今後の人生を後押ししてくれる声もあったという。三浦は「今まで苦しかったこともたくさんありましたけど、報われた気がしました。『誰かの心に残るスケート』を達成できたと感じる瞬間でもありました。今は実習や課題に追われて忙しい日々を過ごしていますが、心が折れそうになってもみなさんのメッセージを思い出して前向きに頑張ります」と感謝している。
「三浦向日葵のスケート」は、1人どころか多くの人の心に刻まれた。だからこそ、胸を張って誓う。「みなさんの前で滑る機会がまた来るかは分かりませんが、自分のスケートは自分にしかできないものなので、これからも大切にし続けます」