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特集:うちの大学、ここに注目 2024

中央大学・綱川真之佑 逆境でもひたむきに続ける努力、もう一度扇の要をつかむまで

今春の日大戦。代打で出た綱川は優勝の望みをつなぐ一打を放つ(すべて撮影・中大スポーツ新聞部)

2年前、歓喜に沸く神宮球場。中央大学は激闘の入れ替え戦をサヨナラ勝ちで制し、1部残留を決めた。そんな中、ベンチでうずくまり涙を流す男がひとり。当時入学して間もない1年生キャッチャー綱川真之佑(3年、健大高崎)。そして2年後、今度は自らのバットで優勝への望みをつなぐ勝利をつかみ、歓喜の輪の中に彼はいた。苦難の道を朗らかに登る背番号22に注目する。

高校最後の夏「自分のサインで負けました」

小学3年生から野球を始め、当時から憧れの存在であった阿部慎之助(現・読売ジャイアンツ監督)と同じキャッチャーの道へ。野球漬けの少年時代を過ごした。高校は群馬の名門、健大高崎。進学先に選んだ理由を聞くと「名前の響きがかっこいいじゃないですか」と笑った。満を持して入学したものの、これまでに春夏通算10度の甲子園出場を誇る強豪校。2年生の夏までは1番下のCチームで、「捨ての代」と呼ばれ、唇をかむ日々を過ごした。

屈託のない笑顔が綱川のトレードマーク。高校時代は2年夏まで唇をかむ日々を過ごした

綱川には忘れられない試合がある。逆境をはねのけ新チームの正捕手となり、秋の関東大会で優勝、選抜大会出場を果たして迎えた高校最後の夏の群馬大会決勝。相手は現在のチームメート、皆川岳飛擁する前橋育英。1-1のまま迎えた延長十二回表無死二塁。綱川は、バッターが前打席でタイミングが合っていなかった落ち球のサインを出した。しかしそれを狙いすまされ、ボールは綱川のミットに収まることなくライトスタンドへ運ばれた。「自分のサインのせいで負けました」。苦すぎる記憶は彼の胸に深く刻まれた。

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大学入学直後に1部残留へ貢献、涙

中大へ入学し、迎えた春季リーグ。綱川は1年生ながらベンチ入りを果たした。チームはバッテリーエラーが目立ち、あと1勝すれば入れ替え戦回避という状況から勝ちをつかめず、入れ替え戦へ回ることが決まった。

その日の夜、綱川は監督室へと呼ばれた。そして清水達也監督からひと言「いけるか?」と聞かれた。綱川は「いけます」と即答。入れ替え戦からスタメンマスクをかぶることに不安はあったが、考えるより先に返事をしていた。「緊張でおかしかったです」と当時の心境を明かしたが、入れ替え戦では初先発の西舘勇陽(現・読売ジャイアンツ)とバッテリーを組み、3試合無失策。東洋大学の細野晴希(現・日本ハムファイターズ)から二塁打を放つなど、中大の1部残留に大きく貢献した。

残留を決めナインが歓喜に沸く中、ベンチにはうずくまる綱川の姿。「終わってから実感が湧いて。人生で初めてうれしくて泣きました」と、激動の大学野球のスタートを切った。

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大学1年秋にはリーグ11位の打率を記録するなど、打撃も魅力だ

つかんだ定位置、ひじの故障で失う

その後は正捕手争いを制し、1年秋には全試合先発出場、無失策、リーグ11位の打率を残した。多くの東都ファンたちが、1年生ながらグラウンドで躍動する綱川の姿を、長年中大の扇の要を務めた古賀悠斗(現・埼玉西武ライオンズ)に重ね合わせた。

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しかし順風満帆とも思えた大学野球人生に影がかかり始める。異変が訪れたのは2年春。チームは勝ち点が取れない状況が続き、入れ替え戦を見据えていた。そして國學院大學1回戦、綱川はひじに痛みを感じた。だが「痛いとか言ってられるチーム状況じゃない」と試合に出続けた。その後、チームは残留を決めたものの、リーグ戦後のオフが明けた練習で、綱川は痛みでボールを投げることができなくなっていた。

熾烈(しれつ)な正捕手争い、甘くはなかった。綱川が1カ月間練習できず不完全燃焼の日々を送るなか、同学年のキャッチャー野呂田漸(ぜん、3年、秋田中央)が台頭していった。そして迎えた2年秋、松山での開幕戦。坊っちゃんスタジアムのスコアボードに綱川の名前が並ぶことはなかった。

もう一度ここに座ることをめざし、綱川は努力をやめない

「奪われてから初めて気づきました。キャッチャーは自分じゃないんだって」

悔しさを胸に刻みながらも、ベンチからライバルに声をかけメモを取る姿があった。「活躍を素直には喜べないですけど、自分が実力で負けただけなので」と真摯(しんし)に自分と向き合った。

訪れた好機、優勝の望みをつなぐ一打

「取り返す」と誓い挑んだ今年2月のキャンプ。決意とは裏腹に、初日からひじの痛みが襲った。今年に懸ける思いが人一倍だった綱川は、痛みに耐え練習を続けたが、キャンプ終盤にはボールを投げることができなくなった。「悔しかったです。でも逆に春はバッティングを頑張ろうと思いました」と下を向くことはなかった。

ひじの痛みが続いた今春。「悔しかったです。でも逆に春はバッティングを頑張ろうと」

前を向く者にチャンスは訪れる。迎えた春季リーグは中大の躍進劇が続いた。優勝の可能性を残すには勝利が絶対条件だった日本大学3回戦。1-1の延長タイブレーク十回裏は、3人が代打の準備をしていた。そして迎えた1死満塁の絶好機。監督が選んだ代打は、綱川だった。

「自分が決める」と向かった打席の3球目。日大左腕・山内翔太(4年、習志野)の直球をはじき返し、一塁ベースを駆け抜けた。中大スタンドは歓喜に沸き、仲間からは手荒い祝福を受けた。試合後には「やっと勝利に貢献出来て良かった。いつでもレギュラーを奪い返したい」と闘志を見せた。

ミットに刻む孔明の言葉「鞠躬尽力」

綱川のキャッチャーミットの内側には、「鞠躬尽力」(きっきゅうじんりょく)と刺繡(ししゅう)が施されている。「鞠躬尽力、死して後已(や)まん」とは、諸葛孔明が出陣に際し、逆境に立ち向かう意志の重要性を説いた一文で、謙虚な姿勢で全力を尽くし、それを死ぬまでつづけてやまないという意味。健大高崎時代の恩師、赤堀佳敬コーチ(現・磐田東高監督)から、「お前に合ってるよ」と送られた言葉だ。

どんな逆境を迎えようとも、彼は前を向く。その原動力を問うと「野球が好きだから、応援してくれる人がいるから、それだけです」と屈託のない笑顔を見せる。鞠躬尽力の文字を手のひらに感じながら、綱川は今日も爽快な捕球音をグラウンドに響かせている。

キャッチャーミットの内側には、孔明の言葉「鞠躬尽力」が刺繡されている

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