相撲

早大・篠原茜 創部107年目で初の女子部員、競技の裾野を広げる「先駆者」としても

稽古後、蹲踞(そんきょ)の姿勢で写真に収まる篠原(すべて撮影・井上翔太)

1917年に創部し、今年で107年目を迎える早稲田大学相撲部に、初めて女子部員が誕生した。2022年の全日本女子相撲選手権超軽量級(50kg未満)で優勝したこともある篠原茜(1年、大妻)。クロスカントリースキーとも両立させ、競技者としてだけでなく、大会の運営にも興味を持つ彼女の原動力とは。

早稲田に入って驚いた「基礎稽古」の多さ

8月上旬、東京・東伏見にある早稲田大の相撲道場を訪ねると、翌日から合宿の予定が組まれていたこともあり、部員たちは普段より軽めの稽古に精を出していた。四股やすり足といった基本運動の後、胸を出す相手に立ち合いの姿勢からぶつかっていく。篠原もこの日は男子部員にぶつかり、全身の力を使って相手を押していた。

「早稲田に入って驚いたのは、基礎稽古が多いことです。女子は結構『技術、技術』みたいな感じなんですけど。重りを持ったすり足とか、肩を押さえられながら前に進む稽古とか。今まで相撲を取らない稽古をしたことがなかったので、基礎だけで終わるということにはビックリしました」

すり足は重りを持って行うこともある

大学では、1年目から早速実績も残している。社会人選手も参加する6月の全国女子相撲選抜ひめじ大会では一般の部55kg未満級に出場し、準優勝。同月末の全国学生女子相撲選手権は個人戦の超軽量級で優勝を飾った。7月の全日本女子相撲岐阜大会でも一般の部55kg未満級で優勝。「上出来です。ここまでできるとは、思っていなかったです」と語る。

スキー継続を助けてくれた「恩師」

相撲を始めたのは小学5年のとき。参加賞のお菓子目当てで、わんぱく相撲の大会に参加した。「双子の弟がいて、よくケンカしていたから強かったんでしょうか」。小5で中野区の地区大会を優勝し、東京都大会でも2位に入った。勧められるがままにクラブチームの葛飾白鳥相撲教室に入った。

一方、母親が青森出身だったこともあり、小さい頃からスキーも好きだった。進学先の大妻中学高等学校には、どちらの部活動もない。相撲は引き続き中学までクラブチームで続け、スキーは他校の練習や合宿に入り交じる形で腕を磨いた。中学までは山を滑り降りるアルペン、高校に上がる前にはクロスカントリーに切り替えた。

男子部員に胸を出してもらい、当たりにいく篠原

当時は2人の「恩師のおかげで助けられました」と篠原は言う。1人目は「頑張るきっかけを与えてくれた」と感謝する、スキーの練習に参加させてもらっていた他校を定年退職した先生。そして2人目は学内のスキー部立ち上げに際し、協力してくれた担任の先生だ。当初はスキー部の創設がなかなか承認されず、このままではインターハイにも出場できない状態だった。国民体育大会(国体、現・国民スポーツ大会)の予選通過など、篠原が好結果を収めると、ようやく承認された。篠原は高校1年から3年連続で国体とインターハイに出場。引率してくれた担任の先生は雪山からオンライン授業をしていたという。

「普通なら気にしなくていいところで苦しんだ」

篠原は高校時代、1年ごとに目標を立てていた。「高1はスキーを始めたばっかりだから、スキーを頑張ろうと。練習時間も割きましたし、ノートに技術のことを書いてすごく考えながら競技をしていました。2年になって相撲を頑張ろうと思って、実際に全日本で優勝できて……。3年では勉強を頑張ってましたね」。スキーの技術をノートに書くことで思考が整理され、それが相撲に生きることもあった。葛飾白鳥相撲教室は中学生までだったため、高校時代は主に出稽古で鍛えていた。

早稲田大でも相撲部に入部したのは、高校2年のときに果たした全日本女子相撲選手権での優勝を再びつかみ取るため。加えて「自分がパイオニアにならなきゃ、今後も道は切り開かれないんじゃないか」という思いもきっかけにあった。稽古が行われていると知らされ、「行きます」と答えたところ、気付いたときには「入ってました」。

取材の日は特別に相撲を取り、技の習得にも励んだ

一人の競技者としてだけではなく、競技をやりたい人たちが続けられる環境作りにも尽力している。初めて参加した中野区のわんぱく相撲大会は、中学生になると審判などのボランティアを務めるようになり、もう7年目になる。新たに「新宿区でも手伝いたい」と区長に連絡したところ、大会運営の全般を任されるようになった。

スキーも同様だ。高校時代、合宿に参加させてもらっていた他校の選手や国体で知り合った選手が、競技を続ける環境がなくて困っていることを知ると、「私が立ち上げる」と思い立ち、現在は東京都スキー連盟にクラブチーム新設を申請中。「自分は競技を始めるまでとか、相撲をどこで続けるかとか、普通にやっていれば気にしなくていいところで苦しんだので、そういう人が少しでも少なくなればいいなというのがモチベーションです」と篠原は言う。

競技者としてだけでなく、競技を続けられる環境作りにも励む

後世のためにも――。お手本となる存在

自分だけでなく、後世のためにも――。身近にお手本となる存在もできた。「奥富(夕夏)さんという世界チャンピオンがいらっしゃるんですけど、すごく相撲を楽しんでいるんです。わざわざ早稲田に来てくれて、一緒に稽古をしてくれて、惜しげもなく私みたいな者にも技を教えてくれるんです。私も相撲をめっちゃ楽しもうと思いました」

まだまだ大学生活は始まったばかり。競技者として、そして競技の裾野を広げるための先駆者として。これからも篠原の挑戦は続く。

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