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特集:パリオリンピック・パラリンピック

順大院・石山大輝 聖カタリナ大でパラ陸上を知り、「あれよあれよの間」に日本代表へ

パリパラリンピック日本選手団の旗手を務める順大院の石山大輝(撮影・上田幸一)

8月28日に開幕するパリパラリンピックの開会式で、陸上競技の走り幅跳び(視覚障害T12)に出場する順天堂大学の石山大輝(院2年、新田)が旗手を務める。5月の世界選手権で日本記録の7m08をマークし、パリではメダル獲得が目標。ただ、聖カタリナ大学(愛媛)を卒業するまでは、健常者の大会に多く出ていたこともあり、そこまで目立った存在ではなかった。

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日が沈んだ後の練習で、自分だけトラックのラインが見えず

松山市出身の石山は、子どもの頃からスポーツを楽しんでいた。小学校の低学年までは水泳、高学年からはバスケットボールをしていた。ただ、バスケは特に周辺視野が大事になる競技。「そのときは目が悪いという自覚はなかったんですけど、結果的に見えていなくてミスが多かった。自分の中では『球技が向いてない』という風に解釈していました」と当時を振り返る。

中学からは一転、陸上部に入った。本人によると「足が速いと勘違いして」最初は短距離種目だったが、ほどなくして走り高跳びに転向。「顧問の先生がすごく良い方で『陸上競技は楽しいんだぞ』ということを刷り込んでもらいました。そのおかげで、ここまで長く競技を続けられています。最初にそれを教えてもらえたのはすごく大きかったと思います」。新田高校でも迷いなく、陸上継続を決めた。

愛媛県の中村時広知事を表敬訪問、大学卒業まで松山で過ごした(撮影・川村貴大)

網膜色素変性症と診断されたのは、高校1年のときだった。日が沈んだ後も練習できる環境の中、先輩や同級生には見えているトラックのラインが石山だけ見えず、眼科を受診した。高校では顧問の先生から「ハイジャンプだけじゃなく、色んな種目を」と言われていたこともあり、メインは三段跳びになっていた。

基本的に前向きな性格の石山だが、夜に見えづらくなる夜盲だけは周囲から疎外感を受けることもあったという。「みんなが夜の締めでしんどい練習をしているときに、端っこの方で一人だけ筋トレをしないといけないこともありました。当時は高校生だったので、疎外されているわけではないんですけど、多少は感じていましたね」

それでも3年のときには全国高校総体(インターハイ)に出場した。14m15で決勝に残ることはできなかったものの、緊張と楽しさだったら、楽しさの方が上回った。「決勝に残ろうとか、優勝しようとなると、緊張も伴うと思うんですけど、それほどの競技者ではなかったので。すごい観客が多くて『盛り上がってるなあ』と思いながら陸上をやってました」

5月の世界選手権で日本記録の7m08をマークし銀メダル(撮影・伊藤進之介)

当初は「パラ陸上に関する知識が浅かった」

聖カタリナ大学に入った当初、陸上競技部は存在していなかった。石山は新田高校時代の同級生のキャプテンから「陸上部作るけど、入る」と聞かれ「入ります」と即答。自分たちで練習メニューを作り、動画を撮影し合って「この動きが違う」と言い合いながら、競技力を磨いた。日本インカレは「身の丈に合わなかったです」。世代のトップをめざすというよりは、地元の試合に出て、自分たちが楽しいと思えるような大学陸上生活を過ごした。

パラ陸上をきちんと知ったのは、大学3年のときだった。過去3度、陸上でパラリンピック出場経験がある矢野繁樹さんのガイドランナーと偶然知り合い、「なんでサングラスしてるの?」と声をかけられた。石山は高校時代から、紫外線が目に良くないという理由でサングラスをかけて大会に出ていたが、出場者の中では少数派で、ある意味目立っていた。目の病気のことをガイドランナーに伝えると、パラ陸上では弱視でも競技ができることを教えてくれた。

「正直、僕はパラ陸上に関する知識が浅かったです。視覚障害では全盲の方だけがやるスポーツだと思っていました。しかも今まで健常者の試合に出てきたので、自分がやるものではないのかなというイメージがありました」。障害者手帳の取得など、大学3年から少しずつ準備を始め、4年になると明確なクラス分けがないパラ陸上の大会に出始めた。卒業間近に3クラスのうち真ん中の「T12クラス」判定を受け、順天堂大学の大学院に進んでから、正真正銘のパラアスリートとなった。

自身初のパラリンピックでメダル獲得をめざす(撮影・上田幸一)

日の丸を背負っても、等身大で

その後は「あれよあれよという間に、日本代表になってました」。2023年はワールドパラアスレティクス グランプリのドバイ大会や、日本パラ陸上選手権、ジャパンパラ陸上でいずれも男子走り幅跳び(T12)の優勝を収め、パリで開催された世界パラ陸上選手権は4位。杭州アジアパラ大会の代表にも選ばれ、100mと走り幅跳びで銅メダルをつかんだ。

「会場が大きくなればなるほど、お客さんもたくさん入りますし、すごく楽しくできました。フランスでは小さな子どもたちが『JAPAN』のユニホームを見て『ジャポネ!』って応援してくれたんです」。日の丸を背負ったとしても、等身大で競技に向き合う姿勢は変わらない。

一方、海外の大会では「ベストが出せなかった」と今の課題も痛感した。「時差やコンディショニングの難しさを去年学べたので、今年はしっかり調整して世界で自己ベストが出せるような競技者になっていければと思っています」。体が後ろに傾きがちだったり、踏み切りが少し遠かったりしたとき、動きを俯瞰(ふかん)してすぐに修正できることが、石山の持ち味。5月の世界選手権後は、助走スピードにさらなる磨きをかけ、初の大舞台でメダル獲得を狙う。

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