同志社大・佐々木康成主将 2部で迎えたラストイヤー「日本一のチーム」へ覚悟の1年
2024年度、同志社大学アメリカンフットボール部ワイルドローバーの主将に就任した佐々木康成(こうせい、4年、追手門学院)。この秋シーズンを関西学生2部リーグで戦う同志社は、春シーズンに京都大学、立教大学、慶應義塾大学など、東西の1部校を破った力を持つ。高い戦力を持ちながら、近年様々な試練にもまれてきたチームを、佐々木はどう束ねるのか。下級生時からチームの軸として活躍してきた佐々木のラストイヤーは、またもチャレンジングな状況下にある。
独りよがり脱却 チームを信頼
「今まではずっと独りよがりなプレーをしてしまっていました。自分が一人でなんとかせなアカンと思った結果、WRを信頼して投げられなかったり、インターセプトにビビって通せなかったり。ようやく、OLやWR、RBを信頼してプレーすることが、少しずつできるようになってきたかなと思っています」
春シーズンのVゲーム(主力を出す試合)最終戦となった慶應戦に19-7で勝ち、佐々木はこの春の変化についてこう総括した。
同志社に来てからの3年間は、まるでジェットコースターのようだった。度重なる試練にもまれて何度も心が折れた。しかし、そのおかげで今の佐々木がある。今は主将として、日々全力でチーム作りに取り組んでいる。
不祥事で降格、自暴自棄になりかけた時期も
同志社は、佐々木が1年生だった21年シーズンに、京大との接戦を13-10で制して1部残留を決めた。この年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、リーグ戦は縮小して実施されていた。同志社はこの勝利で歓喜にわいていた。
しかし、翌年に部員数人が不祥事を起こし、リーグ戦を辞退することに。チームは2部に自動降格となった。この現実は、佐々木にとってとても重かった。
「橋詰(功)さんがヘッドコーチ(HC)に来たばかりで(22年2月に前任の日本大学から同志社に着任)、1部の強豪相手に勝って、なんとか周りに評価してもらいたいという気持ちが強かったんです。その懸けてた思いが、全部なくなってしまった……」
大げさでなく、人生が終わったと思った。「もう大学も全部辞めてしまおうかなとか、生きている価値もないんちゃうかって、一時はひどく落ち込みました」
そんな試練の中でも、橋詰HCが来てくれたおかげで、チームは大きく変わろうとしていた。佐々木が1年生の頃は学生主体で右も左もわからない状態だったが、橋詰HCの持つ絶対的な知識や存在感によって、チームの運営の仕方からアサインメントスキームに至るまで、全てがガラッと変化した。
佐々木は、もう一度頑張る覚悟を決めた。
1年での復帰かなわず 最終年次は主将に
2部落ちしたとはいえ、同志社は高いチーム力を持つことから、すぐに1部に昇格するだろうと思われていた。しかし、大阪大学と桃山学院大学を相手に接戦を落とし、入れ替え戦に出場することすらかなわなかった。チームのメンタルのもろさが露呈した、厳しい試練だった。この結果はチームにとってネガティブな影響となり、士気も一時的に低下したという。佐々木はこのときの気持ちをこう振り返る。
「すべてQBの自分の責任です。チームは今年1部で戦うために日々努力してきましたから、とてもショックでした」
佐々木は、この大きな挫折を乗り越えるために、今年主将を務めることを決めた。
「僕は1年からずっと試合に出てきましたし、自分のこれまでの取り組みや、日本一に対する気持ちをみんながくみ取ってくれて、最終的に『佐々木しかいない』という評価をもらえました」
無論、QBはチームの司令塔であり、試合中のプレッシャーや責任は重い。これに主将の責務が加わることは、並大抵ではない。
「試合中は常に冷静でいることを心がけています。プレッシャーはありますが、それを力に変えるようにしています」。佐々木は言う。
大事にしていることは、チーム全体を見渡しメンバー一人ひとりの力を最大限に発揮させることだ。仲間とのコミュニケーションを重視し、個々のプレーヤーが自信を持ってプレーできる環境づくりに注力している。
強かった時代の同志社を取り戻したい
佐々木は同志社大ワイルドローバーOB(92年卒)の父・健(たけし)さんの影響もあって、追手門学院高校進学を機にアメフトを始めた。当時、1学年上に鎌田陽大(はると、関学大から富士通)がいて、彼からQBの基礎を学んだ。
「鎌田さんは、自分がQBを始めてイチから全部見てきた先輩だったので、あるべき姿など色々なことを見せてもらいました」。このことが、佐々木の成長にとってはとても大きかったという。
父から、強かった時代の同志社の話を聞いていたので、大学進学は迷わずに同志社を志望した。「当時は関学にも勝ったことがあって、ローバーは“強豪”だったと聞いています。でも自分が入る時期は低迷している状態だったんで、自分がそれを変えに行きたいなと」。当時抱いた気持ちを振り返る。
ここまでの3年は、佐々木が抱いた決意を実現できていないのが現状だ。だからこそ、残された1年でチームのスタンダードを少しでも高めることに尽くしている。残された時間は、もう半年もない。
HCとタッグ「日本一のチーム」めざす
橋詰HCは、主将としての佐々木について言う。「下級生の頃からQBとして豊富な経験を持っていて、キャプテンとしての責任感が強いです。チームを良くしたいという思いが人一倍強く、何事も一生懸命やっているので、その熱意がチームに良い影響を与えていると思います」。佐々木が主将に就いてからのチーム作りと、彼のリーダーシップを高く評価している。
「今はまだプレーの波に課題がありますが、主将として苦労を重ねる中で、そっちの方も落ち着きが出てくるんじゃないですかね」。プレー面でも少しずつ、確実によくなっていると橋詰HCは言う。
昨年までのチームの課題として、経験値不足の面も大きかった。橋詰HCが言う。
「戦力がありながら、私が“力の出し方”をうまく伝えてやれなかった。コロナと不祥事の影響もあって、選手たちは2年間まともに試合経験がない状態でした。試合で切羽詰まったときに、普段できてることができなくなってしまう。彼らがプレッシャーに慣れるためにも、試合経験を積むことが大事ということで、多くの試合を組みました」。今春は4月末から毎週末試合をして、8試合を消化した。
佐々木と橋詰HCを中心に、同志社は“日本一”のチームを目指して取り組んでいる。この考えは、橋詰HCが日大時代に実践した取り組みに通ずるものだ。
「今は2部にいるので、日本一になることはできません。でも、“日本一”の取り組みをして日本一のチームをつくることはできる。そのためにチーム全体の意識改革を進めて、私生活からすべてを見直し、勝負へのこだわりを突き詰めることを大事にしています」と佐々木は言う。
新しいトレーニングを導入し、フィジカルとメンタルの両方を強化することに取り組んでいる。プレーの戦術面も再構築し、よりアグレッシブなプレースタイルを導入した。
「このチームが持つポテンシャルを最大限に引き出すことが僕の責任です」。佐々木の覚悟は決まっている。
来年1部で日本一を争うための、挑戦の年
同志社は挑戦の年を迎えている。佐々木の掲げる「日本一を目指す」というビジョンがチームに浸透し、秋シーズンのゲームでどのように実を結ぶのか。
佐々木は、今シーズンを「勝ちにこだわるシーズン」と位置づけている。「後輩たちには1部で戦ってもらいたいです。昇格後にまた低迷するようなチームを作らないためにも、今年は日本一を目指す取り組みを徹底して続け、その土台作りをしていきます」
佐々木の強い決意と、ローバー全員の取り組みで、新しい同志社を作り上げる。