國學院大・青木瑠郁 1年目から勝負するための「スイッチが入った」祖母からの言葉
1年時の全日本大学駅伝で並み居る有力ランナーとの勝負を制し、区間賞を獲得してから2年弱。國學院大學の青木瑠郁(3年、健大高崎)は「箱根駅伝総合優勝」を掲げる今季、チームの目標達成に向けて欠かせない存在だ。学生3大駅伝にはここまで、すべてに出走中。「1年目から勝負」する覚悟を決めたのは、祖母の存在が大きいと語る。
箱根駅伝後、個人で掲げた三つの目標
年始の第100回箱根駅伝を終えた後、青木は夏までに達成したい目標を三つ挙げた。日本学生ハーフマラソン選手権での優勝と10000mで27分台を出すこと、そして関東インカレでの優勝だ。「全日本で勝って箱根に向かっていくというのが、一番いい流れだと思うんです。その中で自分としては、10000mで結果を出していかないといけない」
3月に一つ目の学生ハーフ優勝を果たした後、狙っていたのは4月13日にあった金栗記念選抜陸上中長距離大会2024の男子10000m。しかしエントリーから外れ、急きょ1週前にあった世田谷陸上記録会に出走した。東京国際大学の留学生アモス・ベットとリチャード・エティーリ(ともに2年)がペースを作り、青木は自己ベストの28分02秒00。大学歴代2位の好タイムをマークした。27分台突入に向けて手応えを得たレースだったものの、5月の関東インカレは男子2部10000mで8位(28分16秒32)。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会は28分21秒74と、残り二つの目標達成は持ち越しとなった。
「関東インカレでは、國學院の主力として他大学と勝負できなかったことが反省点としてあります。ホクレンは7000mぐらいまで良い感覚があったんですけど、きつくなったところで一気に落ちてしまった。逆に言えば、そこを強化していけば駅伝でも勝負できる。課題が見つかった上半期だったと思います」と総括した。
その名が広まった1年時の全日本大学駅伝
ここまで3大駅伝で〝皆勤〟を続けている青木の名が広まったのは、ルーキーイヤーの全日本大学駅伝だ。5区を任され、4区の藤本竜から4位で襷(たすき)を受けると、順天堂大学と早稲田大学をかわし、当時の区間記録まであと3秒に迫る快走。チームを2位に押し上げるとともに、区間賞を獲得した。
本人はスタート前、びくびくしていた面があったと振り返る。このとき、4区の藤本が争っていたのは青山学院大学と創価大学。両大学の5区にはそれぞれ岸本大紀と嶋津雄大(ともに現・GMOアスリーツ)が控えていた。藤本がラスト2kmになったあたりで、前田康弘監督からは「たぶん青学と創価に追いつかれるから、うまく利用して走ろう」という指示が届いたが、ラスト1kmを切ると「藤本が後ろを振り切ったから、もう逃げるしかないぞ」という言葉に切り替わっていた。前田監督から電話を受けている最中、パッと横を見ると、岸本が青木のことを見ていた。
当時の大学駅伝界を代表するランナーたちが後ろから追いかける展開に、「やばい……」と思ったのもつかの間、「もう覚悟を決めるしかない」と切り替えた。思えば本番前、8kmの単独走練習でも区間新記録ペースで押せていた。好調そのまま、積極的な走りが生んだ区間賞だった。
「5000mで勝負したいです」と前田監督に直訴
國學院大への入学時、5000mの持ちタイムは14分12秒27。青木は高校時代、1500mも両立しており、國學院大に進むことが決まってからも、当初は1500mを勧められた。ただ本人には5000m、ひいては1年目から駅伝に出走することへの強い思いがあった。背景には、陸上を始めたときからずっと応援してくれている祖母の存在がある。
「高3の2月ぐらいから入寮して練習し始めた後、卒業式のタイミングで1回実家に帰って、祖母の家にも寄ったんです。『入寮してくるね』と顔を出したとき、『自分が元気なうちに、走っている姿を見たい』と言われて。祖母のひざが悪くなった頃だったので、そこでスイッチが入りました」
当初は「2年目から勝負して、3年目に主力になれれば」と考えていたが、祖母に元気な姿を見せるためにも「1年目から勝負しないといけない」と思うようになった。前田監督にも「自分は5000mで勝負したいです」と直訴。山本歩夢(4年、自由ケ丘)を筆頭に5000mを得意とするスピードランナーが多くいたこともあり、1年時の関東インカレに出場することはできなかったが、その年の出雲駅伝で3大駅伝デビュー。「孫の3大駅伝を見に行きたい」という理由でひざの手術に踏み切った祖母の決断も、青木の覚悟を後押ししている。
「成長させてくれた」2人の先輩
上級生となり、主力選手としての自覚も芽生えている。影響を与えているのは2人の元主将だ。
1年時の箱根駅伝前に調子を落として、本来なら青木が引くはずだった練習を代わりに担ってくれたのが、3学年先輩の中西大翔(現・旭化成)だった。中西は故障の影響で自身最後の箱根を走ることができなかったが、1区出走のために寮から東京・大手町近くのホテルに向かう青木のことを笑顔で送り出してくれた。2学年先輩の伊地知賢造(現・ヤクルト)は、3年時はみんなに注意する「嫌われ役」を買ってくれていたが、最終学年になると、周囲の意見を聞いて寄り添うタイプの主将になった。「2人のキャプテンの姿は、自分を人間としても成長させてくれたと思います」と青木は語る。
自分たちの学年は他の代の人からも「仲が良い」と言われるという。学年でのミーティングでは、主力だけでなく、練習があまり積めていない選手やマネージャーからも意見が飛び交い、全員がそれを快く受け入れる。現主将の平林清澄(4年、美方)を中心に、「箱根駅伝総合優勝」を掲げるシーズン。青木のほか、学年リーダーを務める上原琉翔(北山)や関東インカレ男子2部ハーフマラソン3位の高山豪起(高川学園)ら、勢いのある3年生たちの活躍も見逃せない。