陸上・駅伝

國學院大・山本歩夢「走れないもどかしさ」を乗り越え、万全な状態でスタートラインに

國學院大の山本歩夢は3年から副将を務める(5枚目を除きすべて撮影・井上翔太)

本来なら、5月の関東インカレで彼のことを取り上げたかった。しかし男子2部5000m決勝で9位となり、レース後にうなだれて涙を流す國學院大學の山本歩夢(4年、自由ケ丘)を見て、声をかけることができなかった。チーム目標に「箱根駅伝総合優勝」を掲げる今シーズンは、山本の復活が一つのポイントになるだろう。ラストイヤーにかける思いを聞いた。

國學院大・青木瑠郁 1年目から勝負するための「スイッチが入った」祖母からの言葉

箱根駅伝を走れず、当時は複雑な思いも

8月下旬に夏合宿地の新潟・妙高を尋ねると、元気にジョグをしている山本の姿があった。ちょうど1年前のこの時期、左足のシンスプリントを発症。その後、9月の北海道合宿には参加できず、治療に専念していた。思い通りにいかない時期を過ごしただけに、今年は練習を継続できていること自体がプラスの材料になっているようだ。

昨年10月の出雲駅伝は「治りかけぐらいの中、急ピッチで上げていった」と振り返る。4区を任され区間6位。「状態が上がりきらずに走ってしまって、動きを崩してしまった」と言う翌月の全日本大学駅伝は2区を走り、区間11位だった。左足をかばうと、今度は右足に重心が乗り、負荷がかかってしまう。11月は右の大腿骨(だいたいこつ)を痛め、箱根駅伝への出走はかなわなかった。

今年の夏合宿ではしっかりと練習を継続できている

箱根駅伝の前はチーム内でインフルエンザへの感染が相次ぎ、苦しい時期を過ごした。「僕が故障で行ってない合宿の後に、みんなインフルエンザになってしまって……。僕は元気だったので『出たい』と思うこともありました。走れないもどかしさを持ちつつも、裏方として『絶対にできる』とみんなを鼓舞することしかできなかった」。当時は複雑な思いを抱えていたと明かす。

3月の日本学生ハーフマラソン選手権も出場を回避し、本格的に走れるようになったのは4月から。前期はチームとして「出るレースで勝ちきる」ことを目標に定め、主将の平林清澄(4年、美方)が大阪マラソン、青木瑠郁(3年、健大高崎)が学生ハーフを制するなど好成績が続いた。山本にとっては「僕もここで結果を残さないと」という強い意気込みを持って、臨んだ関東インカレだった。

國學院大主将・平林清澄 勝ち切ることを徹底した先に見すえる「箱根駅伝総合優勝」
國學院大・青木瑠郁が学生ハーフ初優勝 平林清澄の大阪マラソンVから、もらった勇気
チームのいい流れに乗るためにも、関東インカレにかける思いは強かった

平林清澄とは「よく意見交換してます」

山本は小学2年から陸上を始め、高校2年のときに國學院大が出雲駅伝で初優勝を飾った姿に憧れて進学を決めた。「出雲で土方(英和)さんが大逆転で優勝したり、箱根の1区で藤木(宏太)さん(いずれも現・旭化成)がラストで急に出たり。そこで國學院を知って『かっこいいな』と思ったんです」

高校3年の終わり、國學院大の沖縄合宿に参加。同学年で参加していたのが平林と中川雄太(4年、秋田工業)だった。このときから「僕らの代で強いチームを作って、箱根で優勝しよう」と誓い合い、山本は平林について「この子だけ動きが違う」と感じていた。「お互い福岡と福井なので、最初は全然知らなかったんです。でも『強くなるだろうなあ』というのは常に思ってました。あと、陸上のことが大好きなんですよ。ジョグによく一緒に行って話すんですけど、本当に色んなことを考えてます。僕は結構、長い距離に苦手意識があって、平林はどちらかというとスピードに苦手意識があるので、よく意見交換してます」。お互い、さらに伸ばしたいと思っている部分を補完し合っている関係性のようだ。

仲が良い平林とは、お互いに意見交換し合うことも多い

先輩たちに聞き回り、成長につなげたルーキーイヤー

山本の3大駅伝デビューは、1年時の箱根駅伝。3区で区間5位と好走した。もともとはスピードランナーで、今では5000m13分34秒85の大学記録を持つ山本が、1年目から21.4kmを走りきれた理由は何か。ルーキーイヤーでの成長ぶりを尋ねると、一つの答えは、自ら先輩たちにアドバイスをもらいに行く「行動力」だった。

「1年目の前期は、全然活躍できませんでした。僕は高校までスピード練習ばっかりしていて、耐える練習があまりなかったんです。でも、大学では距離走とかインターバルが入ってきて、最初は慣れるのが大変でした」。そこで、当時の先輩たちに「どういう練習をしてるんですか?」と聞き回り、自分でもできそうなことを落とし込んだ。

たとえば水曜日にポイント練習で、土曜日に距離走が行われる場合、いずれも前日の火曜日と金曜日がジョグになる。その際は、ジョグで自らを追い込み、翌日のポイント練習や距離走に臨むことで「火水と金土でセットとして練習している」という先輩がいた。山本は「みんな努力しているのは当たり前なので、その中で違いを見せるためにはどうすればいいのか。自分で考えることがちょっと苦手だったので、まずは強い先輩に聞いて、たくさん吸収してました」。こうして力をつけ、1年目の箱根はリラックスした状態で、戸塚中継所のスタートラインに立った。

1年時の箱根で3大駅伝デビュー、前主将の伊地知から襷を受けた(撮影・藤井みさ)

走る前の準備に力を入れる

今では後輩も増え、自身の1週間の過ごし方を伝える立場にもなっている。昨年は主将の伊地知賢造(現・ヤクルト)と平林に並ぶ「3本柱」と呼ばれ、「自分が走らないといけない」と自らにプレッシャーをかける面もあった。ただラストイヤーは、「みんな一致団結して、一人ひとりが勝ちきるレースを思い描いていた」。目覚ましい成長を遂げる後輩たちを頼もしく感じている。

山本個人としては、「疲労がたまってきた後に故障しやすかった」というこれまでの経験から、臀部(でんぶ)やハムストリングスに刺激を入れてから走るなど、実際に走る前の準備に力を入れている。トレーナーからの助言で、上半身の可動域が広がったことにより、呼吸も入りやすくなった。下半身は補強を入れることで安定したフォームが身につき、長く走っても疲れにくくなってきている。

「今は、3大駅伝で優勝することしか考えてないです」と山本。そのためにはまず、昨年味わった悔しさを力に変え、万全な状態でスタートラインに立つことをめざす。

万全な状態でスタートラインに立つことが「箱根駅伝総合優勝」の目標に近づく

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