東洋大・一條力真 高校時代は意識できなかったプロの世界、大学でつかんだ確たる自信
東洋大学の岩崎峻典(4年、履正社)と並んで今秋のドラフト候補と目される一條力真(4年、常総学院)は高校時代、そこまでプロ野球の世界を意識する投手ではなかった。新型コロナウイルスの影響を最も受け、最後の夏が地方大会も含めて中止となった高校3年から4年。大学で確たる自信を得て、プロをめざす。
最後のリーグ戦初登板、2イニングを無失点
一條にとって最後の東都大学野球リーグ戦、秋の初登板は9月10日の拓殖大学戦だった。2部で戦うチームの中で、6点をリードした八回、6番手としてマウンドに上がった。最初に対峙(たいじ)したのは高校時代のチームメートでもある中根琉維(4年、常総学院)。一條は150キロ台の速球を投げ込み、「とらえられた」が三ゴロに仕留めた。
「今はピッチャーが豊富にいるので、使わない手はない。『出し惜しみをしない』という意味で、完投はさせないです。オープン戦のような方式で『何イニング、何イニング』と決めてます」(井上大・監督)という起用方針のもと、一條は予定通りに八、九回の2イニングを任された。1安打を許したが、無失点。最後は自身のアピールポイントでもあるフォークボールで空振り三振を奪い、試合を締めくくった。
「久しぶり(の登板)だったので、力が入っちゃったと思うんですけど『ランナーを出してもいい』と思って、腕を振って投げるというだけでした」と本人は振り返った。
コロナ禍で真剣勝負の場が減った高校3年目
189cmの長身から投げ下ろす、本格派右腕。高校時代は2年の時から夏の茨城大会に登板し、同年秋の新チーム結成後は菊地竜雅(現・明治大学4年)と並ぶ二枚看板だった。しかし、秋は関東大会の1回戦で健大高崎(群馬)に九回逆転負け。このときにマウンドを守り続けたのが一條だった。
コロナ禍のため翌年の春季大会が中止になり、選抜高校野球大会への切符をつかめていなかったため、夏の甲子園交流試合への出場もかなわず。後にベスト8で大会が打ち切られた茨城の独自大会は、自己最速を更新する148キロをマークした。2試合を戦い終え、高校野球生活に静かに幕を下ろした。
高校入学当初は、最速が130キロ前後だったという。そこから体作りに励んだ。球速はアップしたものの、コロナ禍で真剣勝負の場が減ったことで、3年目は自分のボールが本当に通用するのか分からなくなることもあった。「夏にもっと投げられていたら(プロ志望するかも)分からなかったですけど、それ以前から自信はあまりなかったです。プロへの思いも、そこまでなかった」と本人は当時を語る。
メンタル成長の起点となった中央大学との入れ替え戦
逆に言えば、伸びしろ十分な状態で東洋大に進んだ。一條は4年間で成長した点について「メンタル」だと言い切る。きっかけとなったのは2年生だった2022年春、2部で優勝を果たし、1部昇格をかけて戦った中央大学との入れ替え戦だ。
東洋は細野晴希(現・北海道日本ハムファイターズ)、中大は西舘勇陽(現・読売ジャイアンツ)と後にドラフト1位で指名される両投手が第1戦で先発。一條は第1戦こそ細野の後を受ける形で勝ち星に貢献したものの、翌日の第2戦では制球を乱した。ビハインドの場面で5番手を任され、1回3分の2を4四死球と乱調。1勝1敗で迎えた勝負の第3戦は、登板機会が巡ってこず、チームはサヨナラ負け。1部昇格は次の機会に持ち越しとなった。
「ぐっちゃぐちゃで投げていて、デッドボールも与えてしまって。色々なところがバラバラでした。そこから成長してきたと感じています」と一條。以降は投球フォームの修正点を把握し、余計なことを考えすぎずに投げることを意識した。チーム事情で試合の終盤を任されることが多いのも、メンタル面の成長を後押しした。「同点やタイブレークの場面で投げると、自然と成長できるんだと思います。特にタイブレークは『点を取られても自分のせいじゃない』ぐらいの割り切りで投げています」
150キロ台の速球とフォークをアピールポイントに
先述の通り150キロ台の速球とフォークが魅力。「フォークはカットボール気味に入っちゃうとあんまり落ちないんですが、左バッターのツーシーム系を意識すると、いい落ち方をします」と感覚もつかんでいる。4年前は想像できなかったプロ入りへの思いを尋ねると、「今はもちろんめざしています」と頼もしい答えが返ってきた。