法大・井之上駿太が400mHで世界選手権の標準突破 2人の学生オリンピアンに続け
パリオリンピックに出場した慶應義塾大学の豊田兼(4年、桐朋)や東洋大学の小川大輝(3年、豊橋南)を中心に、学生が国内トップクラスの選手となっている男子400mハードル。新たに法政大学の井之上駿太(4年、洛南)がここへ加わった。9月21日の日本インカレ準決勝で48秒46をマークし、来年東京で開催される世界選手権の参加標準記録(48秒50)を突破した。
喜びよりも驚き「世界の舞台が近づいてきた」
早稲田大学の渕上翔太(1年、東福岡)や東洋大の下田隼人(1年、豊川)がそれぞれU20日本新記録を出し、記録ラッシュとなった男子400mハードル準決勝。井之上も例外ではなかった。5台目まで13歩で刻んだ後、6、7台目を14歩で、残り3台を15歩でつなぎ、最後に残った力を出し切る。48秒46の好タイムが出た。
「まさか準決勝で標準を突破できると思っていなかったので、喜びよりもまだ驚きの方が勝っています。世界の舞台がより鮮明に近づいてきたことを、ようやくちょっとかみ締めてきました」。レース中は終始、追い風を感じていたという。「その風にうまいこと押されて、周りの選手たちもすごいスピードで走っていたので、そこにも引っ張られて、このタイムが出たんじゃないかなと思います」と振り返った。
ただ、この種目は走りきる体力だけでなく、ハードルを越えるスキルも求められる。インターバルで足が合わなければ一気にスピードをロスしてしまい、周りの選手と競り合った際はメンタル面も結果を左右する。翌日の決勝で井之上は渕上に敗れて2位だった。「走りが終始ガタガタで、力みもあったレースだったと思います。周りが見えていなくて、自分が速いのか遅いのか、分からない状況で走っていて、メンタルが揺れてしまった。隣から渕上君が来たときには、もう付いていける足がなかった」
冬場に取り組んできた体作りが奏功
中学1年から陸上を始めた井之上は、法政大に進んでから400mハードルに取り組み始めた。「もともとはスプリントをやっていたんですけど、大学に入ってからかなりのスランプに陥ってしまって……。そこへ苅部(俊二)先生からの勧めもあって400mハードルを始めました」
1学年先輩には、東京オリンピックや世界選手権に出場経験もある黒川和樹(現・住友電工)がおり「リード足が同じなので、すごく参考にさせてもらっています」と身近に最高のお手本がいる環境だった。「ストライドでのんびり走るタイプ」だったことも、「ハードルのテンポ走のような動きに、自分の走りが合っていた」と適性を感じている。
ただ大学での競技生活は先述のような不調に加えて、ケガも重なり、練習を積むことがなかなかできない3年半ほどだったと振り返る。「ハムストリングスの付け根を痛めたり、ひざの裏を痛めたり……。腱(けん)が弱かったので、筋肉の出力に関節が耐えられないということが多かったんです」。昨冬はウェートトレーニングの量を増やし、4年目で結果を出すべく、体作りに励んだ。その成果が少しずつ結果にも表れ、5月の関東インカレ男子1部400mハードルでは当時の自己ベスト48秒91をマークして優勝を飾った。
ロスを減らせば「47秒台も夢ではない」
井之上本人は、豊田や小川といった大学生オリンピアンとは、まだまだ力の差があると実感している。6月末の日本選手権決勝では、ライバル2人がパリオリンピック参加標準記録を更新し、特に豊田は日本選手3人目となる47秒台に突入した。井之上はこのレースで5位に終わった。「あの背中にどうやって追いつくか、そしてどうやって追い越すかというところを常に考えて、さらに強くなりたい」
ハードルを越えるときの滞空時間がまだ長かったり、着地する際にバランスをやや崩したりなど、スピードのロスにつながることがまだあると言い「もっとロスを減らす走りに近づけられれば、47秒台というところも夢ではない」と語る。
とは言え、早くに世界選手権の参加標準記録を突破したことで、冬季や来季のプランを立てやすくなったことも事実だ。日本インカレの1週間後、新潟市のデンカビッグスワンスタジアムであった「Yogibo Athletics Challenge Cup 2024」で今季3度目の48秒台となる48秒98をマークした後、勝負の年となる来年をこう見据えた。「まずは冬場にケガなく練習を積んで、4月のシーズンイン後は国内のグランプリやアジア選手権を経て、日本選手権で優勝して、東京世界陸上へと考えています」
まだまだ走りは洗練できる。その先に、日本代表の座がある。